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「礎」立教183年11月号 巻頭言

十月、本部ひのきしん隊からの要望で、中野分会は近畿圏の会員に呼びかけ特別ひのきしん隊を組ませていただきました。初日は空高い秋空のもと稲刈りひのきしん。今年は害虫ウンカの影響で枯れている稲穂が多く、いたるところに灰色のサークルができていました。

「お供えのお米が減るかもしれないな〜」と話していたとき、ふと思ったことは、それでも収穫できるお米があることの感謝と、ダメになったお米も通常のお米も、日光や水の働きがあってこそ収穫できるという気づきでした。

我が家では十全の守護を毎日拝読しています。【くにとこたちのみこと 人間身の内の目うるおい 世界では水の守護の理。…】

あたりまえと思っている働きに、神名を配して説き分けてくださることで、お前たちはあたりまえのように「水は水」「火は火」と思っているが、ありとあらゆることは神様の守護ということを忘れてはいないか?と問いかけてくださっているんだなと感じました。

お道では知っていることを見直すことの繰り返しが多いように思います。様々なことと再び出会い、出会い直すことで、改めて感動できる瞬間が確かにあります。

歌人松尾芭蕉は「古人のあとを求めず 古人の求めたるを求めよ」と弟子に贈ったと伝えられています。文中の古人(こじん)とは、過去の偉人という意味で、「昔の偉人が、何をしたかという結果をまねるのではなく、何をなそうとしたかという志(こころざし)を見極めて行動しなさい」という意味です。

営みを繰り返すうちに形骸化してしまうことはよく有ることです。
大切なことは、繰り返しのなかに新たな【出会い】を求めることではないでしょうか。
それが私たちの志「あらきとうりよう」ということではないかと思います。

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