『礎2月号委員長挨拶』

夕つとめへ向かおうとすると、行きたくないそぶりを息子がみせる。どうしたのかと尋ねるが、行きたくない理由は話さなかった。遊びたい盛りの幼いとき、おつとめよりも遊ぶことを優先してしまう気持ちは分からなくはない。
その時、あらためて「おつとめ」をなぜつとめるのかを考えてみた。
朝つとめは日の出の時間、今日という日を迎えられたことにお礼申し上げる。そして、今日という日をご守護いただけるようにお願いする。
夕つとめは日の入りの時間、今日も一日、息から知恵まで少しもやすむことなくお守りいただき、家族や御縁のあるかたにいたるまで、お守りいただけたことをお礼申し上げる。また明日という日をお恵みいただけるようにお願い申し上げる。
このように教えられたことを思い出した。
ちょっとしたことですが、子供に自分が信じていることを伝えさせていただいているのか。そして、私自身がおつとめに心を込めてつとめさせていただいているのかを反省した。

物事が始まるには必ず目的がある。
天理教青年会は大正七年十月二十五日に創立した。当初から「あらきとうりよう」を行動理念として掲げてきた。「あらきとうりよう」とは教えが伝わっていないところへ踏み入り、道を広める布教者であり、みずから進んで信仰を掘り下げる求道者を意味する。
青年会は百年のふしめを迎え白紙になった。その記念すべき一筆目は「世界たすけへの挑戦」となった。この基本方針を周囲の人へ伝え、自ら心を込めて努めさせていただきたいと思う。


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