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スポーツビジネスの、未来の話をしよう。

2020年も終わりますね。
今年の振り返りも兼ねて、noteを書きたいと思います。

今回のテーマは「スポーツビジネスの未来」の話です。
(※スポーツビジネス という言葉は好きではないのですが、わかりやすいようにこの言葉を使います。)

今年はスポーツ業界はコロナウイルスの問題で、まさに大波乱でした。(過去形ではなく、現在進行形で・・・)

今年は埼玉県川越市でJリーグを目指すサッカークラブ「COEDO KAWAGOE F.C」の立ち上げもあったので、いろいろバタバタでしたが、スポーツ業界で自分のやりたいことに向けて、確実に前にコマを進めることができた1年でした。

スポーツは、誰かの夢であり、希望になれる

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僕自身は小学校川越でサッカーをし、中学はクラブチームで、高校は川越の高校3年間本気でサッカーをやって、高校時代には学校史初の埼玉県選手権ベスト16までいけ、サッカーどっぷりの毎日を過ごしてきました。

社会人になってから、
こうしてサッカーではJリーグを目指し、事業分野ではスポンサー収益には頼らない収益構造を作る、地域貢献活動に関してもKPIを引いて川越の街の価値になることを本気でやる、そんなサッカーチームを作って思ったことは、『サッカー』というツールを中心として、こんなにも多くの人から応援してもらえるスポーツの可能性はとてつもないなと思いました。

それと同時に、
僕らCOEDO KAWAGOE F.Cは多くの人の想いや、人生を背負ってクラブ運営していく必要があるんだなという強い覚悟が生まれていきました。

選手、スタッフ含めた、大の大人30人が「川越に夢と感動を創出し、100年続くクラブへ」というミッションを共通ゴールとして、サッカーに、事業に、ホームタウン活動に本気で挑戦していく。

そんな壮大な夢に向かって挑戦していく姿は誰かの希望になれるんだということをこの数ヶ月間で強く実感できました。

COEDO KAWAGOE F.Cに初めてパートナー企業として参画してくれた企業さんからいただいた言葉が僕の中で刺さっていて、『将来夫婦でCOEDO KAWAGOE F.Cの試合を全国のスタジアムで観戦するのが1つの夢になった』そう言っていただきました。

誰かの夢や希望になれるスポーツってすごいなあと、とても思った瞬間でした。

スポーツ業界に課題を感じるなら、今すぐ動き出すして、”圧倒的な”結果を残すしかない

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今のスポーツ業界、スポーツビジネス に必要なことは何か。

それは間違いなく「結果」です。

しかもその必要な結果はただの結果ではなく、「圧倒的な結果」です。

例えば、スポンサー収益をたくさん営業して、
今年に限って3億円あげました!とかではなく、
売上を定常的に30億上げる仕組みをどう作るかが今求められています。

Twitterで見ていても
「コロナで経営が傾くなんて、Jクラブの経営陣は終わってる!」
とかそういう趣旨の発言を見たりします。

が、結局そんなこと言ったってスポーツ業界は1mmも前には進まないわけです。
スポンサー依存の収益構造がやばいことなんてJクラブの中の人でもわかっていると思います。

スポーツ業界で結果を出すことでしか、スポーツビジネスは変えられない

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結局、「結果を出した人しか、世界を変えられない。」

僕は基本的にいつもそう思って生きています。

「スポーツ業界を変えたいんだ!」

スポーツ業界にもそういう人って結構いますが、まともに話を聞いてもらうことはできないでしょう。
それはシンプルに”その人が結果を出していないから”。ただそれだけの話です。

けど、実際にスポーツ業界で誰もが認める結果を出したとすると、全ての話は変わります。

2020年7月に設立、10月に法人化した「COEDO KAWAGOE F.C」に関しても同様です。

僕らは現状ぶっちゃけ今何者でもないと思います。

しかしながら、「COEDO KAWAGOE F.C」ではスポーツ業界の当たり前に本気でチャレンジし、本気で変えていくとお約束します。

僕の考える今のスポーツ業界(クラブビジネス)の当たり前というと、

・サッカークラブはあくまで娯楽的な存在(なくなっても困る市民は一部)
・スポンサーに依存した収益構造(全体の売上の50-70%程度)
・スポーツ業界は慢性的に給与が低く、上がりにくい(働き続けたくても、年収が上がらずやめざるを得ない人たちがいる)
・若い人たちがチャレンジしにくく、新しいものが生まれにくい

というあたりは、
僕らCOEDO KAWAGOE F.Cとしては果敢にチャレンジしていきたい部分です。

COEDO KAWAGOE F.Cは、
ホームタウンである川越市にとってなくてはならない存在になるし、サッカークラブの収益はスポンサーに依存しない収益構造にするし、クラブスタッフ全員年収500万を十分超える年収帯にしていきたいし、若い人のチャレンジを応援できるクラブにします。

僕らが上記に成功したとすると、
きっと日本のスポーツビジネス (クラブビジネス)の今までの当たり前は変わっていきます。

それは僕らが結果を出したから。それだけの理由です。

僕はCOEDO KAWAGOE F.Cがサッカーではもちろんのこと、事業でも日本を代表するクラブになることを心から信じています。

日本を、そして世界を代表するクラブを、
埼玉県川越市から創ろう。

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2020年、僕にとって、とても悲しかったことがありました。

湘南ベルマーレ フットサルクラブ所属の久光重貴選手が亡くなりました。
理由は肺がんということです。

久光さんは会った回数こそ数回ですが、
僕が心から尊敬している人です。

選手としてはフットサル日本代表としてプレーしたこともあり、フットサル界で長年活躍してきた一流プレイヤーながら、僕のような若輩者にも大変優しく、そして温かく触れ合ってくださいました。

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久光さんは本当にすごい方です。

なんで数回しか会ったことのない若者にこんなふうに接することができるんだろう。

素直にそう思い、『なんで久光さんはそんなふうに接してくれるんですか?』って聞いたことがあります。

そしたら『話してて直感的に感じることがあるんだよ、この人ならできる』って言ってくれました。

久光さんはがん治療をしながら、フットサルの練習に参加していました。
しかも、ただのフットサルではなく、フットサルトップリーグのFリーグです。

久光さんには、勝てないなと思いました。

久光さんとベルマーレの練習場の横の河原で色々1時間くらい話したこともありました。
ご自身も、治療中で相当辛いのに、僕にはその素振りも一切見せず、フットサル界への期待をいつもたくさん話してくれました。

誰かの可能性を素直に信じれるって本当にすごい人だ。
僕も僕より下の世代の子達にそうありたいといつも改めて認識させられてました。

会うたびに、「ありがとう」って握手求めてくれるのもとても嬉しかったです。

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↑ソーサルと久光さんのやっているフットサルリボンとのコラボ企画をやらせていただいた時

「中島くんはきっとフットサル界を変えてくれると信じている。」と言ってもらって、久光さんにはフットサル施設もたくさんご紹介いただき、実際に「ヒサが中島くんを応援してるならシステム導入するよ!」と言ってくれたフットサル施設さんもいました。

御恩をまだお返しできていない中での、久光さんの訃報。
言葉を失いました。今でも久光さんを想うと胸が痛いです。

久光さんに直接的に価値をお返しできない今、
僕が久光さんに価値をお返しできることは久光さんが代表理事として行っていた、がんの啓発と小児がん患者支援のための活動である「フットサルリボン」を広めることなんじゃないかなと思ってます。

COEDO KAWAGOE F.Cの箱を使って、
ここを何かしら貢献できる座組みを考えたいと思います。

自分の力不足を痛感しとても悔しいですが、
久光さんはきっとそんなのは望んでなくて、きっと笑って「頑張って!頼むよ!」って言ってくれるんだと思います。

久光さんにいただいた御恩を、しっかり業界に対して価値で返していきます。

『ヒサと共に』


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