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アルメニア生活記5🇦🇲(ナゴルノ=カラバフ編)

 最大の目的であったKONIFAの観戦もでき順調な滑り出しを遂げたナゴルノ=カラバフ生活。宿のバルコニーから見える景色と自然の匂いがたまらなく良い。朝に飲むチャイ。日本でも少し早く起きればできることなのに、そんなことを思いながら熱いチャイに角砂糖をひとつ落とした。ブクブクと泡を立てる角砂糖を見ながら、人間にはインターネットや便利な道具、車や高級なものなどではなく、こう言った時間が本当は必要なのかもしれないと考えてしまった。
 一口飲むチャイの味は甘かった。やはり甘いのは好きではないみたいだ。

時間がゆっくりと進む感覚があるのが海外生活の1番大きな特徴かもしれない。別に何かしてるわけではないからこそ感じることのできる感覚なのかもしれないが、そんな時間が案外好きだったりする。特に朝日を浴びながらゆっくりと何かを口にする時間は至福のひとときだ。徐々に頭が働き出し、体が動き始める。その感覚を感じられる時間が日本にいたときは存在しなかったのだ。朝日を浴びる時間なんて特になかった。気がつけば室内にいるのが日本スタイル。電車の中、オフィスの中、教室の中、様々な空間の「中」にいるのが現代の普通なのかもしれない。たまには1時間早起きして、外で日を浴び、風を感じるのも人間には必要みたいだ。これは日本に帰ってもやろうと思う。今は。そう。今は。結局ギリギリまで寝てしまうのが私なのだ。だからあまり自分に期待もしていない。

 そんな最高の朝を迎えたこの日は隣の町まで出かけてみることにした。隣の町には滝があるというのだ。しかもアンブレラウォーターフォールと言われる滝らしい。「傘の滝」なんとも興味深いではないか。そんな理由で行ってみることにした。

私たちが宿泊している町ステパナケルトからシュシという町まではバスで30分程度だ。山道をひたすら登っていく道は乗客が多く乗っているバスには少し厳しいらしく、スピードが全く出ない。徐行のようなスピードでゆっくりとたしかに登って行った。


 シュシという町にはこれまた何もない。紛争の傷跡が残る建物も多く存在し、壊されたままの建物や、墓などの歴史的な遺産を見ることが可能だ。しかし、私たちの目的はあくまで滝。町の中には案内板など無く、どこから行けばいいのかさえわからない。近くにあった美術館に入って聞いてみると、奥からとんでもない美人が出てきた。全く不思議なものだ。同じ地球に住んでいるのに、こんなにも作りが違うとは。相手が美人すぎることもあって少しばかり緊張したがなんとか道を聞き出した。どうやら結構大変なようだ。

 言われた通りに道を向かうと、もはや道というよりは崖だった。すぐ横には岩肌が顔を出し、こちらを覗いている。しかし少し顔をあげれば自分がこんなに高く美しい場所に立っていることを実感できる。今回のトレッキングは行きが下りで帰りが上りのコース。残念ながら他に人は見当たらない。とオフラインマップで出てきたルートを頼りに向かってみるが、まともな道ではない。ボーボーに生い茂った草木の中を進むこともあれば、錆びて使い物にならなくなった扉を飛び越えたり、急斜面を降ったり気がついたらルートから外れていて、目の前が崖の端だったこともあった。実に複雑なルートでありながら、途中で岩に現れるペイントが道しるべであることに気がついた。本当にあっているかどうか疑心暗鬼ではあったものの、唯一の手がかりがそれしかなかったので従うことにした。

 それが功を奏したのか、順調に山を下ることができた。あっという間に1時間半が経過していた。やっと山を下りきったときに小さく案内板が出てきたのがなんだか不思議な感じがした。もっと上から案内してくれと切実に思った。

ここらは川沿いにひたすら歩く。川の水は綺麗とは言えないが、マイナスイオンを感じることができる場所なのだ。日本でいうならばここはパワースポットにでもなるのだろうか。

 やっと全貌が見えてきたのは崖の頂上にいた頃から2時間が経過しようとしていた頃だった。何かシトシトと遠くから音がする。歩いていくとまるで傘から滴り落ちるような滝が目の前に現れた。「お〜〜〜」という歓喜の声は残念ながら上がらなかった。なんせ汗でビショビショ、思ったより道のりがハードだったことで興奮よりも安堵感が勝ってしまった。「ふ〜〜」と一息つき、水をガブガブと飲む。改めてゆっくりと傘の滝を見てみると、あれ。案外大きくないし、水の量も少ないし、迫力はない。少しばかりがっかりしたが、傘の内部に入って見て涼しむことによって結果オーライにした。 何度も何度も見ていると、だんだんとトトロの世界観に見えてきた。この湿った緑の感じと、水の滴りかた、そして、迫力よりも可愛さがあるところ。トトロだ。そう。トトロなのだ。

この世の中、写真も加工し放題、文章は盛れるし、情報も溢れている。期待して行った観光地が案外がっかりなんてことはよくある話だ。でもそれを含めて楽しさがある。予想通りじゃなかったときもあれば、期待しないで行った場所がとてもよかったりする。つまり行って見て初めて答え合わせができるのだ。

 その点から言えば今回の滝は50点といったところだろう。少し期待しすぎてしまった。まあそれでも面白かったから良いのだ。この50点は今現在の点でありいつの日か変わるかもしれないのだから。思い出になったとき、記憶が薄れてきたときに、どう思うかは全くわからない。

 そろそろ帰るかと腰を上げふと空を見上げると、大きな山が目の前にそびえ立っていた。これを下ってきたのかとゾッとした。今度はこれを登らなくてはならない。最後に傘から滑り落ちる水を少しだけ手にとって出発した。

 何度も休憩しながら、ゆっくりと、着実に登っていった。時折振り返ると、傘の滝はおろか、川すら見えない。ようやく登りきった頃にはまた、高い高い大地の上に立っていた。高ければ高いほど登った時は気持ちのいいものだ。もうとっくに手の中の水は蒸発していた。