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トルコ生活記🇹🇷3

 シデという町はあまり馴染みのない町だろう。前回の記事でも説明したように海がとても美しい町だ。ヨーロピアンの間では人気の町らしく、多く見かけた。しかし日本人をはじめとするアジア人の姿はあまり見かける事ができなかった。何が良いか。それはその美しい海だけでなく、強い日差しや夕日だ。外に1歩み出るだけで気持ちが晴れる。何もかもを忘れてゆっくりできる。そんな町だ。

 私は毎日海に向かった。アンタレヤのそれよりもビーチは綺麗で、居心地もよかった。何よりもその強い日差しが気に入った。日を追うごとに変わっていく体の色。この変化も健康になった気がして好きだった。ビーチでシートを敷き横になる毎日。本を読みながら風を感じる。以前ベトナムにいる時にこんな話をした。

「時間の使い方」


 この記事では日本人の時間の使い方と他の国の人間の時間の使い方の違いに気がつき、もっとゆっくりしてもいいのではないか。そういったものを書いた。旅を続けていくうちに時間の使い方は大きく変わった気がする。何も急ぐ必要はない。そんなことを思う毎日だ。急ぐ事が、効率よくこなす事が時間を有効に使うという事なのか。そうは思わない。そんな考えが生まれてしまったからこそ、海では思う存分ゆっくりした。日本人がいない環境では、ゆったりとした時間がすぎていく。その自然に流れるペースに身を任せてみる。好きなだけ、好きな姿勢で、好きな本を読む。それは今までどこで読んだ本よりもリラックスして読む事ができた。内容がどうのこうのよりもその自然体でいられる環境がたまらなくよかった。ページは次々と風に吹かれるようにめくれていく。

 気がついたら眠りについてしまうほどリラックスできていた。時にはこういった風にゆっくりと時間を使うことも重要なのだろう。特に忙しい日本人には。どこの国に行っても日本人の印象は真面目で勤勉。今までに何度も伝えてきたかもしれないが本当にそうなのだ。その真面目さが、他国での日本人の印象の良さに繋がっているのかもしれないが、だからそれがいいかと言われればそうは思わない。時間は有限だからこそ、有意義に使わなくてはならない。日本人にとっては難しい問いかもしれないが、この機会にぜひ考えてみてもらいたい。

 さて少し話がズレてしまったが、何はともあれ、ゆっくりとした時間を有意義に過ごしていた。海に行かなくても町を歩きながら時間を感じることもできた。あえて予定を入れないで過ごした日もあった。そして日没の時間が近づくにつれて私たちのテンションは上がっていった。なんせ世界的にみても美しい夕日がここでは見る事ができるのだ。カメラを片手に砂浜を裸足で練り歩く瞬間は自然に溶け込めた感じがした。見ると周りにも同じような人がたくさんいた。

 空が茜色に染まり出す。すると今まで青かった海が徐々にオレンジに染まっていく。そして日が沈み出すと、そのオレンジの海は輝きを放つ。キラキラと輝く水面。その後ろで大きな円を描く夕日のマッチは今まで見てきた夕日の中でも間違いなく上位の景色だった。輝く水面にカメラを向ける。するとファインダー越しにもそのキラキラした水面が写り出す。影も長く大きい。まるで絵画のようなその風景は写真に残すより、自分の目にもっと焼き付けておく必要があったのかもしれない。

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 夕日が沈む瞬間というのはオレンジから金色に変化していく海。たった1時間と少しの間に何度も姿を変えてくれる。1分として同じ表情はない。波によってその輝きは変わる。風の向きでも違う。一瞬一瞬が見たことのない表情なのだ。それは人間なんかよりはるかに豊かな表現だ。

 やっと夕日が沈んだ。ビーチにいた人たちが去っていく。その背中はどこか悲しく、どこか満足感のある不思議な背中であった。きっと私たちも同じような背中をしていたのだろう。なんの違和感もなく過ごせていたのはそういったことなのだろう。その景色が永遠のものではないという事実と、そんな絶景を見れたという満足感が頭の中でうまく混じり合わない感覚。人間はやはり同じ感覚を持っているのだろう。そう思わざるを得ない瞬間だった。

 夜もまた不思議な表情を見せてくれる海。砂浜を歩く感触。水面に映るわずかな光。そのどれもが日中見ることのできなかった姿だ。自然というのは私たちが思っている以上に雄大だ。この海の先にはどんな世界が待っているのだろうか。ただ単純にそんなことを考えてしまった私。

もう1度世界に出てきてよかったと改めて感じた。それ以上は何もいらなかった。

都会のビルに囲まれていたら絶対に出会うことのできない景色。感覚。ただの自己満足の世界だ。すべてを主観的に見ている。しかし。そんな景色に、そんな感覚に出会えた私はやはり幸せ者なのだろう。

 だが、私の旅はまだ再スタートしたばかりなのだ。これから先に出会う新たな景色、新たな人々、新たな感覚、その全てに今以上の期待をしてしまう私は欲にまみれた人間なのか。それとも人間として当たり前の姿なのだろうか。

そんな答えはきっといつまでたっても見つからない。見つからない答えを探すのが旅の醍醐味なのかもしれない。

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