飛行機に置いてある雑誌風コラム #2

旅の楽しみと言えば、人は何を思い浮かべるだろうか。
食事、旅館、温泉、観光、歓楽街...。
人それぞれだと言えばそれまでだが、また「そんなものは人それぞれだ」という者とは、掴み合いの大喧嘩になるのだが、私にとっての旅の楽しみは「距離」において他ならない。
空港までの電車の移動距離、搭乗口までの歩行距離、飛行機の飛行距離、その全てが遠く、長くあるべきだ。
私にとっての旅の良し悪しは、平たく言えば「いかに遠いか」に掛かってくるのである。
先日、とある雑誌のインタビューでこの想いを述べた際、インタビュアーの花咲 草夫という男に首を傾げられ、掴み合いの大喧嘩になったのはご愛嬌。
さて、ここで矛盾を禁じ得ないのだが、遠ければ遠い方が良い、という訳でもない。
私が旅に求める距離という言葉は、あくまで便宜上の「距離」である。
噛み砕いて言うと「こんな名所もないへんぴな土地に、わざわざ時間を掛けて、遠くまで来てしまった」
この失敗にも似た感情に、私は至高の悦楽を感じるのだ。
先日、電車に乗る事1時間、飛行機に乗る事2時間、飛行機を降りる際の段取りの悪さに腹を立て副操縦士と掴み合いの大喧嘩になる事4時間、フェリーで5分、膨大な時間を費やし、私は九州南部に位置する、とある島へと降り立った。
その島を、ある人は長崎県だと言い、また、頭の固い連中は沖縄県だと言う。
そう、そんな島だ。
海は枯れ果て、大地はひび割れ、草木が焼き尽くされたその島の船着き場で、私は旅をまるごといただきますとばかりに、大きく深呼吸をした。
と、その刹那、肺が焼ける様に熱い。
後に知る事になるのだが、私は火山灰を大量に吸い込んでしまったのである。
島の青年団に担架に乗せられた際、私の右側の青年の腕時計が頭に当たり、掴み合いの大喧嘩になったが、そのままフェリー、飛行機、救急車と、たらい回しにされた結果、筆者は今、都内の病院でこの原稿を書いている。
肺の痛みと病院食の不味さに耐え、私は思った。
この距離こそが旅であった、と。

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