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追い込んだら自分で起きるようになった

朝、子どもが自分で起きてこない。
それぞれアラームかけてるのに起きてこなかった。
病気ではない。ただの朝寝だ。

ぎりぎり準備が間に合う時間に声を掛けていた。
不本意だ。

「起こす」のはとっても不本意なので、あくまで「声を掛けていた」だ。

「起こしてもらった」
「起こしてくれる」
「どうせ起こしてくれる」

そんな風に思われたくない。
そんな風に思うんじゃねぇ。
オヤジのことをなめてんじゃねぇ。

僕は「起こして」はいなかった。

「おーい 時間まだええんかぁー?」

畳んだ洗濯物を部屋に持って入るついでに。
カーテンと雨戸を開けるついでに。
その日の洗濯物を干しに行くついでに。

「おーい まだ大丈夫なんかー?」

「間に合うんかー?」とは言わない。
「大丈夫なんかー?」と言う。
「間に合うんかー?」だとまるで僕が起こしているみたいだ。

「大丈夫なんかー?」

僕は起こしていない。
僕はただ声を掛けていた。


でも結果、起きなかった。
辛うじて起きてきても、声を掛けたオヤジに悪態たれる始末。
朝から機嫌が悪い。自分で起きないくせに声を掛けられたら悪態つく始末。

こういった現象に対して「年頃やなぁ」と詠嘆で済ますことさえ、
あぁ、いったいぜんたい不本意で仕方がない。
そうやって詠嘆する。


そしてもう、声を掛けないことにした。
その後どうなろうが子どもら自分の責任だ。
小学生とはいえ、自分の責任だ。

自分のケツは自分で拭く。
ちょっと遅刻するとか、生死に関わらない責任は小学生でも取ったらいいさ。

さぁ。
ぎりぎり準備が間に合う時間に声を掛けていたが、
ぎりぎり準備が間に合う時間にさえ声を掛けないのは、
オヤジの我慢大会だ。
自分のケツは自分で拭けと言えど、その領域に親が踏み込むのも勇気の一歩だ。


そして、
ぎりぎり準備が間に合わない時間に長女が自分で起きてきた。
焦っている。
僕の横を通ったときに僕に対して舌打ちをした。

「なめるな」

僕は言った。

「自分で問題解決できないうちは人をなめるな」

僕はそう言った。


長女はいつものバスが間に合わないので、自転車で行った。
自分のケツを自分で拭いていた。
翌日から、長女も次女も自分で起きてきた。


しかしまぁ、
偉そうな親だなぁ。僕は。



りょーちんさんの記事を拝見してすぐやってみた。