【読書ノート】碾臼(ひきうす) M.ドラブル著

 最初は京都の古本屋だった。新京極を北に向かった突き当たりを右に曲がって、河原町通を突っ切ったところにある古書店。
 店頭のワゴンセールに置かれてなんともなしに手に取ったら「妊娠して初めてわかったことは……」という文章が目に飛び込んできて、何も考えずに買ったのだった。
 著者はマーガレット・ドラブル。英ケンブリッジ大首席卒業、俳優と結婚して三人の子供を持って離婚。日本でいうと昭和十四年(1939年)生まれなのでシングルマザーとして生きることは英国でも難しかったのではないか、と想像する。実際日本で出版されたドラブルさんの文学作品、実際彼女の経歴は女性の生き方を追求してきた先駆者として紹介されることが多い。
 彼女をめぐってお互い牽制しあっている二人のボーイフレンドの間のエアポケットに、舞い降りた男性の子供を妊娠し……これ以上はネタバレなので書かないが、「会社妻」という言葉があるように、今でも既婚未婚を問わずそれぞれの居場所で世話をしあっている異性のパーチナーがいるのが現実だ。
 例えば「うちの嫁さんが自分の趣味に理解がなくて」と愚痴る人がいるが、それは違う。あなたに一番寛容な配偶者でさえあなたの「全て」を理解してもらうのはまず無理。だから複数のパートーナーを持ってその空隙を埋めべきだ。だって自分の母親でも「えっ、私にそんなこと言うの?」と違和感を感じたこともあるだろう。
 自分の趣味を共有できない欲求不満は「会社妻」なり「お茶飲み友達妻」なり「登山サークル妻」「オーケストラ妻」で満たせばいい。念を押すが、ここでいうパートナーは「セックス上のパートナー」でないので、不倫ではない、けれどもセックスを求めてはいけない(もちろんお互い好きだったら求めてもいい。ただし私は責任が持てないが)。
 このドラブル作品に登場する主人公ロザマンドは、病院や世間や友人の心配をよそに娘オクタビアを出産する。彼女が生計を立てられるのが不動産を所有する両親からの援助があったり、自分自身も大学教員をつとめるほどの知的社会に生きていることもある。もちろん「それはちょっと……」と言いたくもある。日本だって貧困層を救うことを目的にしていたマルクス経済学者の多くが富裕層の出身だったし、今だって炊き出しボランティアをする人は富裕層で金は出すけど東京の港区や大阪の豊中市にある自宅をホームレスに提供することはない。
 それはさておき、細々と小説を書く身としては「〜はこういう過去をたどってきた」「〜がこう考えるわけは〜だった」などストーリー展開が説明だけでなされることも多いのが気になった。わかりやすく言うと改行もセリフもなしに状況説明で済ませてしまう「原稿用紙が黒い小説」だった。日本に限らず小説はセリフで説明を語らせる「原稿用紙が白い小説」の割合が増えているし、増やすべきだと思っているので、いろいろ感じるところがあった。
 ただこういう小説が話題になること自体が当時の時代背景(文中の登場人物がこぞって未婚の母になることに反対していることが何よりの証拠なのだが)そんな中で演劇、学術活動、小説でそうした女性の立場を擁護してきた彼女の功績は不滅だ。











つのは、

全てを


結婚してもしなくても、のような望まぬ妊娠、というより
  

 権利と
と会うrが日本でいうとまで三条通りの商店街から行きつけの

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