東京がアフガニスタン化していることについて

 大手新聞の電子版で「ノーベル賞受賞者で東京の高校出身者が一人だけ」という記事が出た。しかもそのかた、日比谷高校出身の利根川進さんは地元が名古屋で純粋な東京育ちではないらしい。

 夢を持って東京で一生懸命頑張っているのに、恵まれない人にウケないことはわかっているのだけれど、正面から取り上げたい。

 ノーベル賞、オリンピック、文学賞、大リーグ、などなど、一番教育機会に恵まれているはずの「東京生まれ東京育ち」のかたがほとんどいない。「東京生まれの東京育ち」ということは東京に出てきたのはその上の世代。

 出てきた理由は人それぞれだろう。小さいころにいじめられていられなくなったり、その町では夢が実現できない一大決心をして都会に出てきたり。中には都会に出てきた途端に「よっしゃ、おれもここの一員じゃん」と、安心してしまい、努力を止める人もいるだろう。

 東京生まれの東京育ちの子供を見て気づいたことがある。朝から晩まで怒られっぱなしなのだ。それもピアノをなんどやってもうまくいかないとか、計算問題をしようとしない、ならまだしも「ちゃんとやりなさい!」と怒鳴ったり、ひどい場合は「はい、ちゃんとやるのよー」とやる前から親が怒る気満々なのだ。

 本当はこういう文章は自分にも跳ね返るので書きたくない。何よりメンタルに影響する。私はいまは故郷の関西でUターンで単身赴任中。ベランダから故郷の山々を見ていて気づいたことがある。

 東京ってさ、みんな成功するために地元を捨ててきているので、成功しなければいけない。現実には、そんな簡単にテレビに出られるぐらい成功するわけもないので、ほとんどの人があがく間に、婚期を逃し、出産適齢期を逃し、成功しているふりをする人で溢れかえるのだ。そしてマンションの一室で誰にも気づかれることなく一生を終える。

 東京では、東大慶應早稲田を出ていれば「誰かが」「いつかは」見てくれる、と思っているかもしれない。でも世の中で通用している番組やコンサート、商品はデザイナーさんやスポンサー、販売の人が何人も集まって実現しているもの。偏差値でいうと例えば10人だと600、1000人だと60000(大きなイベントだとこれが普通)の偏差値の知性を集めないといけない。

 人生は競争でなく協力。個人の能力だけでは通用しないことは、東大慶應早稲田が一番よくわかっている。今までどれだけ鼻っ柱を折られてきたことか。

 ラグビー部や野球部出身者が就職でいいのは、彼らが筋肉バカだからじゃなくて、目的達成のためにはどうすればいいか、仲間にどう仕事を振ればいいか、威張り散らしては誰もついてこないので、絶えず振りでもいいからリーダーシップをとらないといけないことを知っているからだ。

 さて本題に戻りたいのだが、いまや子供が受難の時代だ。先程言ったように世の中に必要な偏差値は6000とか60000とかなのに、まだ生まれて10年前後しか経っていないのに、「人を蹴落とせ」とか言って興味のないテキストを押し付ける。また親自身が東大慶應早稲田を出ているわけでもないので、偏差値が上であればいい、と思い込んでいる。

 そして子供といえば、学校でいじめられないか、とか美味しくもない給食を残さず食べ切られるか、ドッヂボールでうまく切り抜けられるか、など必死に生き延びて、やっと安息の場である家に帰ってきたのに、言葉の拳銃を突きつけて親が勉強しろと迫る。

 東大に入りたければ親が入ればいいのに、ピアニストにさせたかったらまず自分がやってみればいいのに。人に「やれよ!」と声高に言う人の多くは、自分でやろうとしない人だ。 

 何の業績もなく、自分が良くなろうともしていない人間が、言葉の暴力、SNSでの書き込みなどで、人を傷つけるチャンスを狙っている。家庭の中まで自由を奪っている点で、これはタリバンではないのか。日本の子供達はアフガニスタンと同じぐらい学問の自由を奪われた世界に生きている。

 いや、家庭の中で思想統制がされている分、タリバン以上にタチが悪い。

 お父さんお母さん世代とも、自分が尊重されることもないから人の人生も尊重できず、ネットでしか生存空間を見出せない。これでは子供が引きこもるのも当たり前だろう。

 頑張っても報いることもない。だって世の中に必要な偏差値は600とか60000だから。人と仲良くすることが成功の秘訣なのに、それを親が自覚していない。いや、外で働く父親や母親はわかっていても、隣近所や学校にいる、人に対して優位を保つ事に汲々として、人生の最大限の力を注いでいる人たちが見逃していくれるわけはない。

 例えば気象観測が好きな小学生がいたとしよう。その子は近所のおばさんにめざとく見つけられてこう言われるはずだ。「あ〜ら、○○ちゃんはお天気予測が好きなんですって、変わってるのねえ。ぷっ」。ただでさえ狭い近所に言いふらされて地域社会でも人生が終わる。

 今回ノーベル賞をもらった真鍋先生が新天地を求めて国を出て行ったのも容易に想像がつくだろう。

 これを解決する方法は、たぶん、ない。

 そして東京の子供たちがノーベル賞をとったり、オリンピックで活躍することは絶望的なのだ。

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