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配車アプリが出来る前から、生活様式はある意味進んでいたインドネシア

東南アジアで最大、世界でも第4位の人口を誇るインドネシアでも、配車アプリがすごく普及しています。
地場企業の運営するGo-jekや、マレーシア発のGrabの二大アプリが覇権を握っている状態です。

始めにUberが進出し、その後の2015年にGo-jekのスマホ向けアプリがリリースされ、スマホの普及とも相まって配車アプリはインドネシアでも一気に拡がりました。
配車アプリとしては自動車とバイクタクシーを呼ぶことができ、フードデリバリーもあります。
単発だけでなく、6時間や12時間単位で運転手付きレンタカーとしての配車もできます。

配車アプリがデビューした当初はやはり、インドネシアでもタクシードライバーによる抗議のストライキがありましたが、ストライキ中にはほぼ全てのタクシーが営業を停止していた為、逆に配車アプリの需要を激増させてしまったという笑い話もあります。

10年以上前からインドネシアに来ている自分にとっても、アプリが普及して移動がすごく便利になったと思いましたが、インドネシア人の生活ではアプリが出る前からそれに近い事をやっていたなという事にも気づきました。


アプリが普及する前からインドネシアに根付いていた配車文化

バイクタクシーは東南アジアでは昔から庶民になじみ深い交通手段ですが、インドネシアにも配車アプリが出来る前から、Ojek(オジェック)というバイクタクシーがそこら中に溢れていました。
配車アプリが普及した現在では旧来のOjekの数は減ったものの、今も尚生き残っています。
(法的な妥当性はともかくとして、インドネシア人の生活に根付いていた事は確かです。)

自動車のタクシーは、最大手の会社は独自の配車アプリをローンチしたり、車両のタイプを増やしたりなどサービスを拡充して生き残っていますが、なぜ旧来のバイクタクシーが無くならないのか気になっていました。

自分なりに調べてその理由を考えてみると、旧来のバイクタクシーは移動手段としてだけではなく、意外と色々な役割を持っていたという事です。

まずこのOjekは縄張りがあります。
いろいろな場所に客待ちをする溜まり場があり、そこにはいつも同じ顔ぶれのドライバーが待機しています。
これらの客待ちドライバーが、地域の防犯の役割も果たしているらしいという側面があります。

Ojekのドライバーはいつも同じ場所で客待ちをしているので、特に住宅地では見慣れない顔の不審な部外者に気づきます。
インドネシアの場合、それなりにしっかりした住宅地では入口ゲートがあり、警備員も配置されていますが、Ojekのドライバーも見張り役として犯罪の牽制にはなってるのではないでしょうか。

またインドネシア人は元々、携帯電話番号を交換している顔見知りのOjekドライバーを持っていました。
出かけたい時に直接電話して呼ぶのはもちろん、家の近所のドライバーにあそこの店で〇〇を買って届けて、みたいな使い方もしていました。

さらに、これが旧来のOjekが無くならない大きな理由の一つかなと思ったのは、子供を一人で出かけさせる場合です。
交通インフラが整っていないインドネシアでは首都圏であっても、徒歩で出かけてちょろっと電車やバスに乗って、みたいな事がなかなか容易には行きません。
親が毎日、子供を学校まで送り迎えしているケースも多いです。
今日はどうしても送り迎えできないという時に、付き合いが長い顔見知りのドライバーであれば子供を預けるのも安心です。

アプリ配車は手軽で便利だし、各社安全性や品質の向上に努めてはいるものの、小さな子供を預ける場合はどんなドライバーが来るかわからないアプリよりも、顔見知りのドライバーに直接頼みたいというケースもあるのだと思います。


レンタカーもドライバー付きで

インドネシアには個人事業主みたいなレンタカー屋もたくさんありましたが、運転はドライバーの仕事の様な考えが強いここでは、運転手ごとレンタルするのも当たり前です。
頑張って車を買った人、または買えた人は、使わない時に車を貸したり自分で送迎して、ローンの足しにしていたりもしています。

路線バス会社で働いていた自分の顔見知りのおじさんは退職後、自分で買ったハイエースを使って同じ路線で白バス(?)をやっていた事もありました。
今はバス会社も独自のアプリをリリースして、座席予約やGPSでの現在地追跡もできる様になりましたが、渋滞大国のインドネシアではいつ来るかも分からないバスを1時間近く待ったり、待った挙句に満席で乗れないなんて事もあったので、白バスのおじさんもそれなりにお客をつかまえられたんだと思います。
もちろん、法的な観点ではモグリだと思いますが。

経済やインフラが発展途上な場所では共通している事かも知れませんが、この様にインドネシアも配車アプリが登場する以前から、自動車のシェアリングエコノミー的な文化が根付いていた様な気がします。


インドネシアではフードデリバリーも全くもって新しい概念ではない

日本でも昔から出前や宅配はありましたが、「それをサービスとしてやっているお店」に限られました。
またUberが登場してから「フードデリバリー」という言葉が一般化したと思うので、日本では既存の「出前・宅配」に対して、アプリを利用した新興サービスの方を「フードデリバリー」と言い分けている気がします。

インドネシアでは旧来のOjekの頃から、近所の屋台や飲食店で食べ物を買って届けてもらう、という使い方も普通にしていました。
そもそもインドネシアの飲食店では、ほぼどこでもテイクアウト可能です。
お店で食べた時でも、食べ残したら折り詰めして持って帰るのも当たり前です。
なので大体どのお店もテイクアウト用の容器があります。
日本の様にわざわざ、「宅配できます」とか、「テイクアウト可」みたいに言及する必要もない状態です。

アプリが登場してからはいつでも頼めるし、様々なお店の検索もできる様になったのでもの凄く便利になったとは思いますが、そういう意味では日本ほどのイノベーション感はなかったのではと推測しています。
テクノロジーの話ではなく、ライフスタイルの変化、という意味ではですが。

ECに関しても、今はインドネシア地場のTokopediaやシンガポール発のShopeeなどが普及しており、とても便利になりました。
こういうマーケットプレイスを使えば、個人でも売買が容易です。
ところがインドネシア人はこういったマーケットプレイスが普及する前から、YahooメッセンジャーやBlack Berry メッセンジャーなどのチャットアプリを駆使して、個人でもたくましく商品の売買を行っていました。
この辺のEC事情に関しては、別の記事で書こうと思います。


ほぼ同時期にリリースされたテクノロジーやサービスも、新興国と比較してみると面白い

良く言われる事ですが、今回話題にしたようなオンラインサービスなどは、インフラの整っていない新興国の方が早く普及する傾向があります。
インターネットやスマホが普及した現在、物理的な交通インフラや公共施設をイチから建設するより、オンラインサービスを普及させた方が圧倒的に投資が低く抑えられるからです。

一方、数十年前に既にインフラが整っていた日本では、インドネシアの様な新興国ほど必要性に迫られないという側面があります。
もちろんあれば圧倒的に便利にはなるんですが。
また法規制による厳しい取り締まりや、既得権益も新興サービスの普及を阻害します。 

40代の日本人である僕は、物心ついたころから便利な環境で生活していたわけですから、インドネシア人の様に自分たち自身で逞しく不便さを解消しながら生きる必要がありませんでした。
逆に言うと、既存のインフラや常識に囚われなければ、インターネットや配車アプリが普及する以前から、もっとフレキシブルに生活様式を変えられたかも知れません。
(ここではとりあえず、安全性や法的な妥当性は置いておいて)


配車アプリひとつ取っても、この様に日本と他国の状況を比較してみる事でとても興味深い視点が様々得られます。


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