知的複眼思考は万能なのか【ディスカッション活動紹介】

課題書籍 苅谷剛彦「知的複眼思考法」

 知的複眼思考とは、ありきたりの常識や紋切り型の考え方(ステレオタイプ)にとらわれずに、自分自身の視点からものごとをとらえ、考えていくための方法のことを意味します。相対する表現として、単眼思考というワードがあります。

 本書の著者(苅谷剛彦さん)は、毎年大学の授業でこの知的複眼思考法を紹介するために、以下のことをするそうてす。まず、学生に何らかのレポートを書かせ、そこに赤ペンで"A・B・C・D"の何れかを記します。翌週に回答を返却した際に、学生たちはそのアルファベットに一喜一憂します。しかし、著者は「これは私の右手が勝手にいたずらして書かれたもので、何の意味もない」と説明をします。学生たちは長年の学校生活で、赤字でアルファベットが書かれていれば、それは成績だという「ステレオタイプ」に捉われてしまっていたのです。この試みをきっかけに、ただの記号に意味を持たせてしまっているのは何なのか、学校で教師が生徒を評価するとはどういうことか、などの多角的な視点でものごとを考える知的複眼思考の大切さを教えることができます。

以上の内容をもとにして、ディスカッションが始まりました。

中澤先生:疑問をどうやって解き明かすか、誰もが納得できる論理的かつ科学的な説明ができる思考が大切ですね。それでははじめましょう。
K君:著者が大学の授業で用いられたやり方は、少し乱暴だと思いました。100人中100人が成績だと思いこむでしょう。複眼思考がいくら大事だといっても、こんなことまで常に疑っていたら疲れます。「当たり前」や「神話」が社会を成り立たせている側面も忘れてはならないですね。そういった意味では、単眼思考(自分の頭で考えず常識に従う)の方が有効な場面もあると思います。皆と同じ考えを持つ単眼思考は安心しますし、コミュニティへの帰属意識を高め承認欲求が満たされるという効用もあるかと思います。複眼思考と単眼思考はどれくらいのバランスで使い分けるべきでしょうか。
T君:異質と同質のバランスは大事だと思います。僕の実感だと、ゼミ生のみんなは物事をよく考えていると感じるかな。複眼思考をできていると思う。複眼思考のデメリットとしては、他と違うことでハブられる可能性があると言うことですかね。
Uさん:自分の経験からTくんの言った通り異質と同質のバランスは大事だと思います。自分は本文中の詰め読書の反対のことを大学受験の時にしていました。問題文の段落の最後の1〜2文を先読みして回答の根拠や筆者の言いたいこと、重要なポイントを効率よく集める読み方をしていました。これは情報を集めるための読書であり単眼的と言えるでしょう。量をこなすためには最適でした。一方で複眼的なこともしていました。小論文を書くとき1つのテーマに対して賛成の立場と反対の立場と両方から書いていました。また志望分野であるスポーツ科学の視点から書くだけでなく全く志望していない法学の立場から書くこともありました。これは今思うと文中の1人ディベートのようなものですね。このように勉強していたおかげでグーチョキパーキュー(スポーツ科学部2018年度小論文)も臆さず書けました(笑)
中澤先生:ああ!君たちあのジャンケンの年なんだね(笑)
一同:(笑)
O君:部活の話になりますが単眼思考の人の方が続いていたように思います。体質に疑問を抱いても、ルールに従うことがうまくやっていくためには必要だと自身の経験から感じます。
中澤先生:単眼思考もいいじゃん。
T君:Oくんの意見の通り単眼思考でルールに従えば確かに和は保てるけれど、大きい集団の全員がそれだと頭打ちになっちゃうと思います。組織の持つ前提を受け入れていくことも大事だけれど、例えば部活で負け続けの時に全員が何も考えずに従来のやり方を受け入れるだけでは空気の入れ替えができずに負けが続いてしまうと思います。
K君:確かに人間関係の維持には単眼思考の方が役立つことがありますね。あまり複合思考を表に出しすぎると、ひねくれていると嫌われてしまうかもしれません。いわゆるめんどくさいやつ扱いですね(笑)頭の中が複合思考でもアウトプットは単眼思考というふうにしていればそうはならないのかもしれませんが...。
F君:うーん、僕はK君とは反対の意見ですかね。複合思考を持てば他者の意見を理解できるようになるんじゃないでしょうか。複合思考をすれば「こんな見方もあるよな」っていう風に他の人の考えも理解した上での議論ができると思います。
K君:まあそうなんだけど、それってユートピアなんじゃないのかな。あまりこういうことを言うのはよろしくないけど、世の中のマジョリティは残念ながら複眼思考ができない人だと思います。例えば野球部のボウズの話になるけど、あんなことしたからといって甲子園に行けるわけじゃないのにずっと続いているじゃないですか。だからといって、髪を伸ばしてもOKにしようと提言すると、チームの和を乱して士気を下げてしまうかもしれない。試合で勝つという目的をみんなで達成するためにはある程度思考停止して、従うのも仕方ないと思います。会社でも自分で選んで入って給料を貰っている以上、もしちょっと引っかかることがあっても、些細なことならば思考を放棄して会社の意向に合わせるべきだと思いますね。下手したら食えなくなってしまうので。
中澤先生:S木くんはどう思う?
S木:単眼思考は一本道で、複眼思考は分かれてる道みたいだなって思います。一本道はラクだけど、いっぱい分かれている道は選択肢が多くて難しいなって。
中澤先生:Aさんは?
Aさん:初対面の時には単眼思考、仲良くなりたくなったら複眼思考って風にすればいいかなって思います。最初はやっぱり「そうだよね、そう思うよ」って相手に同調した方が人間関係が円滑に進むと思うんです。でも、ちゃんと友達になりたいって思ったら「自分はこう思う」っていう意見も言った方がいいし、いきなり自分の意見をなんでも言うんじゃなくて関係を作ってから踏み込むようにすればいいと思います。
中澤先生:S田くんはどうだろう?
S田君:戦前は単眼思考が潮流だったじゃないですか。戦争に対して疑問を言わずに「御国のために命を捧げる」みたいな。単眼思考と複眼思考どっちを採用するかはそういった社会の流れもあると思います。今は学校教育でも自分で考えるようにって言われていて複眼思考が求められている社会だけれど、今後Uターンして単眼思考が求められる社会になるかも知れないと僕は思います。結局社会全体の流れ次第ってところなのではないでしょうか。
中澤先生:みんな単眼思考と複眼思考をどう選ぶって話をしているけれど、その考え自体が複眼的だよね。行動に移すかどうかってだけで、頭の中はすでに複眼思考をしている。だから、この議論だって複眼思考な訳だよ。
F君:僕も同じことを思っていました!単眼思考の人たちはそもそも単眼思考をしていると思ってない。だって、他の選択肢があることが分かっていて相対化していればそれがもう複眼思考だから。
中澤先生:今僕はFくんと意見が一緒でちょっと安心したけれど、この他の人と一緒だと安心するっていうのは単眼的なのかな?ところで、さっきT君はゼミのみんなが複眼的に考えていると言っていたけれど、それって良いことなのかな?みんなが複眼思考しているのはみんなが自力でそうしているのか、ゼミに入って考えるようになってつまり僕のおかげなのか、それともS君が言っていたみたいに社会の流れのおかげなのか?どうなんだろう?
T君:複眼思考が良いのかって話ですが、この場(ゼミ)においてはその方がいいと思います。単眼思考だとディベート段階で収束していくじゃないですか。
K君:さっきから単眼思考と複眼思考をそれぞれどの場面で使うかって話しているけれど、それって正解の場面があると信じている前提での話であって「正解信仰」なんじゃないかな。(※注「正解信仰」は、自分の頭で考えず安易に正解を求めてしまう現代人の悪癖だとして、課題書籍で批判されています)絶対にこの場面でこの考えが正しいっていう答えがあることなんてないと思う。結局ベストなタイミングで使うのが「知的」複眼思考法ってことなんじゃないかな。また、複眼思考では論理的に物事を上手く進めることに役立つけど、人間関係で周りの人の気持ちを汲んだり空気を読んだりする能力とは別なんじゃないかな。IQとEQが違うように。
U山:話変わっちゃうかも知れないんですけど、どの時代にも革命家っているじゃないですか。革命って社会の流れに逆らうってことで、要するにさっきS田君が言ってた通りだと受け入れられなかったりハブられたりするかもしれない行為な訳ですけど、革命家は周りにフォロワーがいて尊敬もされてる。これってなんでなんだろうって思った時、人徳とか人望の問題なんじゃないかなって思ったんです。もしひねくれてるって嫌われたら複眼思考のせいじゃなくて自分のせいなのかなって。さっきのEQの話聞いてちょっと思いました。
中澤先生:なるほどー、面白いね。みんなは複眼思考が出来る方が良いって感じだけど複眼思考って正義なのかな?単眼思考でラクしたい人に「頑張れ頑張れ」って複眼思考させるのは良いことなのかな?今ゼミでも複眼的なことしてるけどこれどうなんだろう?
S木君:中途半端で良いと思います(笑)
F君:ダーウィンの進化論の時代って弱肉強食、強ければ弱い者を支配したって良いって時代だったじゃないですか。でもそれを社会の流れだからって容認すると殖民地時代に逆戻りするかも知れない。相手の立場に立てるのが複眼思考だから、僕は必要だと思います。流れに乗るだけじゃなくて時には逆らうべきなんじゃないですか。
中澤先生:議論が白熱してきたけど、時間が来たのでここで一度打ち切りましょう。ところで、著者は大量に本を読むことが考え方のパターンを学ぶ絶好の機会で、本の内容自体は忘れてしまっても良いと言っていたけど、これについても機会があれば話してみたいね。中澤ゼミの大量の課題文献は良いと思う?(笑)オブザーバーの院生の方は何か感想がありますか。
院1:余裕がある時には複眼思考ができますが、短時間ではそうもいきません。単眼思考は深く考えないからできます。どちらも必要な場面はあるかと思いますが、できるなら色々なことを考えていた方がいいですね。
院2:学部生なのにみんなちゃんと考えられていて「良い意見だな」と単眼的に聞いていました(笑)
院3:自身は書かれたことを素直に受け取ることが多く、批判は難しいと感じていました。だから今回は勉強になるなと思いました。


 このように、知的複眼思考の大切さを声高に主張する著者に対して、そもそも論ですが前提を疑うことから議論が始まりました。著者と対等な目線で批判的に本を読む、これは知的複眼思考法を養うのに効果的だと課題書籍の第2章に書いてありました。その点では、著者の主張に対して様々な視点(複眼)からの意見が出たので、有意義なディスカッションだったかと思います。

皆さんは複眼思考が万能だと思いますか。長文でしたが、最後まで読んでくださってありがとうございます!!

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