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〈怪談〉裸足の人

学生の頃なので、かなり昔のことになる。
友人の住んでいるアパートの建物がとても不思議な作りで、外観を見ると縦に割った二つの建物を連結した様になっている。当然、中もそんな感じで、連結部分が階段二段分ほど食い違っていて、本当にそのまま階段になっていた。天井もその様に折れている。
入口から入って左手になる方がなんとなく新しいので、本当に増築して連結したのか、それにしても、別棟というわけでもなく、縦に連結して高さが合っていないというのが、なんともいえない違和感だった。
おまけに、一番奥の縦一列は使われておらず、通路全体が石膏ボードで塞がれているのだ。友人もこの建物を内見したときに不動産屋の人に聞いたそうだ。
不動産屋の説明によれば、当初は近くの会社の寮として建てられていたものが、賃貸物件にすることになり、建物のオーナーの予算の関係で、内装工事に至らず、そのまま封鎖されているそうで、それはそれで理屈も通っている様だし、詮索もできなかった。

建物に入るには、入口のインターフォンから部屋番号を入力して解錠してもらう必要があるのだが、中に入ると全ての部屋の入口が引き戸で、引き戸の入口が並ぶ集合住宅というのも違和感のある光景だった。寮として使う予定だったとしても、なんとなく変な感じがした。

友人は、時々建物に人が入ってくることがあると言う。
戸がノックがされて、「トイレを貸してください」と外から声がかかることがあるそうだが、仕組み上、人に紛れて入ってくる人は居るだろうということで、返事をしたこともないし、用心のためにチェーンロックも忘れないそうだ。

ある日、友人が、実家からどういうわけか塊肉を送ってきて持て余しているので、食べないかということになり、友人宅に行くことになった、夜に何人か集まるということだったが、特に予定の無い日だったので、夕方頃に友人宅にたどり着いた。
手土産にビールを数本と、家で飲んでいたバーボンがそれなりに余っていたので持っていった様に記憶している。

部屋は、入口に入ってすぐに、6畳のキッチンがあって、隣にも6畳ほどの部屋がある2Kの間取り。二つの部屋は、襖よりも少し幅の狭い引き戸が四枚入っていたが、友人は戸を外して押し入れに入れてしまい、二間続きで使っていた。
なんとなく雑談をしながら、過ごしているうちに日も落ち始めて、外がほんのり夕焼け空になる。唐突に、入口の引き戸ががらりと開いて、人の気配がする。友人は鍵をかけていた筈で、二人で反射的にキッチンの方を見る。

男があがりこんできた。
ぬっと入ってきた男は、どこか腑抜けた様な感じで口が半開きになって、目にも力がない。白いものが目立つ長めの髪が乱れていて、顔色もあまりよくなかった。
少しだらしない雰囲気だが、特に汚いとか汚れているという風でもない。
しかし、足元を見ると裸足で、ズボンの裾もくるぶしの少し上まで濡れているのがわかった。
そんな人があがりこんできて、そのまま立ち尽くしている。そんな異様な光景が目の前にあった。
「ちょっと、あんた」
声をかけても、男はとにかく呆然としていてこちらに反応する様子がない。
三人で、立ち尽くしていた。
当時はまだ携帯電話も普及していなかったので、110番をしようにもポケットからひょいと電話を出すこともできない。友人がじりじりと固定電話に近づいていくのがわかる。とにかく男は、ただ玄関からあがって数歩のところで立っている。
口元が少し動いている様に見えるが、男からは切れ切れに「ふあああ……。ふあああ」と、全く力の無い、ただ声が乗る前の息の様なものが漏れてくるのがわかるだけだ。

電話機は床に置いてあり、友人は少ししゃがんだ姿勢になってプッシュボタンに手を書ける。「1」を押す音が異様に大きく聞こえるが、男の様子は変わらない。それを見て、友人が続けてプッシュボタンを押す。
「眼の前なので、本当に、いえ……。もうとにかく……」と、電話の向こうが要領を得ない雰囲気が伝わってくる。
電話はしていても、男からは目を離さないままだ。何がどう伝わったかはわからないが、電話をつなぎっぱなしのまま、受話器を床に置いて、友人も再び中腰の姿勢から立ち直す。

何分ぐらい立ち尽くしていただろうか。友人がぽつりと言う。
「押し出せないかな」
「え」
「うん」
そこに、インターフォンの呼び出し音が鳴る。
「マジか……」
別の友人か警察かわからない。入ってきた男は、インターフォンの音にも反応しない。
インターフォンの音が止まらない。
友人はついに悲鳴の様な奇声をあげて、男に突進した。放ってはおけないので、そのまま後に続いて、とにかく二人がかりで男を突き飛ばして外に押し出し、開きっぱなしになっている玄関を閉めて鍵をかける。

「はい」
友人がインターフォンに出る。
「今、外に押し出しました。……わかりません。開けます。白髪で、裸足です」
入口の引き戸には除き窓がついているわけでもなく、とにかく耳を当ててそとの気配を伺うしかなかった。
恐らく警官らしい人が話しかける声が聞こえる。男はそのまま連れていかれる様子だ。
しばらくして、扉をノックする音がする警官の様だ。友人が鍵を開けて玄関を開ける。
警官は顔見知りかどうかなど、通り一編の質問をして、被害がないかなどと聞いて帰っていった。

「鍵かけてたよな」
チェーンロックをかけて、友人がこちらを向く。
「かけてたね」
その動作は、確かに記憶にある。
「まぁ、肉食おう。肉」
「うん。まぁ、とりあえず飲もう」
とにかく、その夜はわけもわからずしこたま酒を飲んだ。

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