誰にでも開かれた世界の中で、誰からも見えない場所

普段私たちが見ている画面の中には、数え切れない程の人の「今」や「これまで」で溢れている。

誰もが簡単にそれに「触れる」ことができる現代において、沢山の人に見られているものがある一方、数十人、数人、または誰も見たことのないものも同様に存在している。

人気かどうか、それとその人の人生の価値にはもちろん相関なんてない。
しかし、「再生回数が多い」というフィルターが入ることによって、そのコンテンツを受け取る姿勢には、「皆が見ているから」という受動的要素がどうしても入ってくる気がしてしまうし、没入感も薄れてしまう。

だから、再生回数の少ないものに出会った時、より純粋にそれを受け取ることができるように感じる。さらにその中でその人の「世界」が鮮明に映されていた時、勝手ながらその世界をより深く感じ取れたような気持ちになるし、またそれを受け取った数少ない一人として、より特別感を感じる。

誰にでも開かれた世界の中で、誰からも見えていない場所。そこはインターネットがなかった時代の、物理的距離のためにそもそも辿り着くことができなかった場所とは違う。誰もが、いつでも辿り着けるはずなのに誰にも触れられなかった場所。そう考えると、そこは世界の中でどんな場所よりも端っこに思えるし、そこに広がっている景色を見てみたいと思う。




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