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臆病な僕らは今日も震えて

汐見夏衛氏著作、「臆病な僕らは今日も震えて」を読了したので、感想を綴っていこうと思う。

この作品は、去年?か一昨年あたりに有隣堂に立ち寄った時に購入したもの。
表紙の絵になんだか惹かれて、手に取り、あらすじを読んでみるとなんだか面白そうだったので購入してみた。

それなのに、なぜにこんな時を経て読み終わったのかと言えば、いうまでもなく本棚の肥やしになっていた。

次々本を買う私の悪い癖(とは思ってないけど)で、どんどん積読してしまう。
先日「きりこについて」を読み終わり、次に読もうと手に取った作品が今作。

裏表紙にあるように、物語にボロ泣きしてしまうのだろうか?

あらすじ



主人公の緒方きららには、幼い頃から繰り返しよく見る不思議な夢があった。
虹色の花、虹色の蜜蜂、虹色の木──。
全てが虹色に輝く虹色の夢。
なぜこんな夢を見るのか不思議なまま、きららは陰鬱な日々を過ごす。
そんなきららは自分が生まれた時に母親が亡くなってしまったため、家族の中で1人だけ母親の記憶がなく、また、コミュ障のおかげで友達もおらず、おかげで家でも学校でもずっと居場所がなく、疎外感を感じていた。
ある日、きららは「自分はこれ以上生きていてもしょうがない」と死を決意にして展望台から飛び降りようとした瞬間、ふと、自分の見る夢と同じような絵を描いている1人の男の子に出会う。
なんでも芳川景と名乗る彼もまた、きららと同じような虹の夢を見るのだという。
奇妙なきっかけで知り合った2人は、虹の夢の謎を追っていくうちに1人の男性の存在にたどり着く。
そして、2人は自分たち生い立ちについて向き合うのだった。

以下ネタバレあり感想


懐かしのケータイ小説


この小説を読んでいてずっと「なんか縦書きだと違和感あるなー」と感じていた。
これはもうなんとなくの感覚でしかなかったので、最初はあまり気にしていなかった。

それである程度読み進めた時ふと、カバーの袖の部分の作者の紹介の欄を見てみると、あぁ、そういうことか」と妙に納得した自分がいた。

この作者は野いちご出身。
そして、その野いちごはケータイ小説サイトだ。

懐かしーーー!!!!
流行ったーーーー!!!
学校の図書室で同級生がめっちゃ読んでたーーー!!

「赤い糸」とか「恋空」とかがケータイ小説だったよね!
なんて懐かしい記憶が蘇る。
野いちごと魔法iらんどとかめちゃくちゃみんな見てたわ。

それで今作はそのケータイ小説の感じが、色濃く出ている。
…が多い感じとか特にそうだと思う。

だからか全体的に文章が若い気がする。
おそらく作者が作品を1番届けたいターゲット層が主人公のような中・高校生だと思うのだけど、心理描写とか物語の進み方が受け入れやすく、故に共感を生みやすい作品となっている。

それでその世代よりちょっと上になった私は、凄い懐かしい気持ちで溢れていた。

等身大の主人公


今作の主人公、緒方きらら。
彼女のような家でも学校でも居場所がなく、生きづらさを感じている人は、少なくないと思う。

勉強もダメ、運動もダメ、風貌にも自信がなくかと言って愛嬌もなければ、上手く人とコミュニケーションをとることも出来ない。

どこをとってもダメダメで、自分なんて生きる価値がないと思ってしまうのは、大人になってからでも思ってしまうことは確かにあるけど、青春期には特に思ってしまうことではないだろうか。

特にこの主人公は、姉という絶対的な比較対象がいるわけで、その姉が自分の正反対のキラキラ輝く人物に写ってしまうから、尚更嫌になる。
というか、私はこの主人公を取り巻く家族が苦手。
善意の押し付けだし、家族とのつながりを大切にとかいうくせに、主人公の気持ちに寄り添おうとはせず、ただ自分たちの理想を押し付けようとしてる雰囲気がビンビンに伝わってきて、かなり嫌悪感があった。

後の章で話すけど、この主人公のお母さんは、矢野隆介という人物から心臓移植を受けたレシピエントで、その心臓移植を受けたあとに生まれたのが主人公のきらら。

だからそのことを知ってる主人公周りの人物は、「お母さんの命と引き換えに」とか「お母さんが命懸けで産んだんだから」という言葉を容赦なくきららに投げかける。

いや、それわざわざ言わんで良くない?

それを聞いたとて、じゃあどうしたらいいんだよ?
自分じゃどうしようもないことを永遠言って、ちょっと気に食わないことがあると、故人を引き合いに出してくる。
それを言ったらこっちは何も言えなくなるのに。
凄い嫌なやつだなー、このさくらって姉は。

絶対的な姉と、記憶のない母の命という圧に押しつぶされそうになってる主人公が、今作では等身大で描かれている。

それが最期の一言だったら

緒方きららと、芳川景が同じ虹の夢をみる理由。
今作での物語の軸となるその謎の正体は、矢野隆介という自分の存在を知ることで解決する。

かつてきららと景それぞれの母親は、矢野隆介という人物の心臓と肝臓をそれぞれ移植されていた。
その矢野隆介が幼い頃から繰り返し読んでいた「にじいろのくに」という虹をテーマにした絵本が、彼の臓器を通して強烈な記憶となり、その子供達である2人が同じ虹の夢をみるようになった。

そんなことあるか?というのは一旦置いといて、その矢野隆介はバイク事故にあって脳死状態となり、ドナーとなった。
ある日突然のバイク事故。
それで命はあるけど、もう目を覚ますことはない、と言われてしまう。
そんなことが起きるなんて夢にも思わなかった彼の家族は、大した会話を交わさなかったことをすごく後悔しており、その話を聞いてきららも、父や姉が何があっても挨拶をするように厳しく言ってきたのは、大切な人が、いつ自分の前からいなくなってもおかしくないことを知ってたからだと悟る。

確かに人はいつか死ぬ。
それはわかっていることなのに、次の瞬間自分の身に起きるとは不思議と誰も思わない。
変わらない日常が続くと思っているし、それが当たり前だと思っている。

全然違うのに。

死は誰にでも突然訪れる。
貴方の大切な人も、明日突然いなくなってしまう。

それは決して大袈裟ではない。

最後に

結果的にボロ泣きはしなかったし、途中主人公のウジウジ具合とネガティヴさにイラついた。

でも、物語の終盤の方で、自分の生い立ちのルーツと、亡き母の思いに触れたことで、前向きに生きようとした主人公の成長には、グッとくるものがあった。

この物語に共感する中・高生は多いと思う。

特に悩みを抱えている子には、一緒に戦ってくれる一冊になるのではないだろうか。

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