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原子力関連施設の誘致と企業誘致の違い


前回の記事では、すでに多額の電源立地地域対策交付金を活用したまちづくりを実践している道北の幌延町にスポットを当て、実質的に『迷惑料』として支払われた交付金が内包する"麻薬的性質"に正面から迫ってみた。

ところで、原子力関連施設の誘致に批判的な市民の声に対して、自治体側が「企業誘致と同じじゃないか!」と反論するケースをしばしば目にすることがある。ただこの説明、一般市民目線で見ればなんとなく説得力がありそうにも聞こえるのだが、実情を知る者から見れば、企業誘致に真剣に取り組んでいる自治体を冒涜するレベルの酷い説明にしか聞こえない。

そこで今回は、実際に地域にもたらされる『光』と『影』にも着目しながら、原子力関連施設の誘致と企業誘致の違いについて、できるだけわかりやすく解説していきたいと思う。


「企業誘致」は都合の良い言葉


自治体が、しばしば原子力関連施設の誘致と企業誘致を同列に扱おうとするのには、当然、はっきりとした理由がある。

その理由のひとつは、一般的に、地域の産業政策の中でより効果的であると言われる「企業誘致」という"言葉の響き"を巧みに利用することによって、原子力関連施設の誘致があたかも地域住民の生活を豊かにするかのような印象を与えやすくなるからだ。

もちろん、「原子力関連施設の誘致と企業誘致との間に本質的な違いはない」と本気で考えている自治体のトップや職員がいないわけではないだろうが、そんな人はむしろ少数派。あえて「企業誘致」という言葉を持ち出すところを見れば、地域の住民に対して、意識的に印象操作を仕掛けていることは見え見えだろう。

ただ、「企業誘致」という言葉がしばしば印象操作に利用されるのには、原子力関連施設の誘致と企業誘致の間に類似点があるからという理由も、当然そこには存在する。もし両者の間に類似点がまったくなかったとすれば、印象操作にも何にもならないわけで、両者の間に一定の類似点があるからこそ、原子力関連施設の誘致を試みようとする自治体は、あえて「企業誘致」という言葉を利用することでコトの本質をぼやかしているとも言えるのである。


原子力関連施設の誘致と企業誘致の類似点


では、まずはじめに、原子力関連施設の誘致と企業誘致の類似点の方から見ていくことにしたいと思う。

原子力関連施設であれ企業の本社や工場であれ、そこに新たなハコモノが建設され新しい機能が追加されることによって、人も動きもモノの流れも大きく変化する。実際、「幌延深地層研究センター」のある幌延町では、施設での研究や作業に携わる職員が、一定数、幌延を拠点に生活しているし、また、工事や点検などの作業で不特定多数の人が不定期に当地を訪れていることもよく知られた事実だ。

こうした変化に伴って、町内のスーパーマーケットは周辺地域のお店よりも品揃えが豊富で店内の活気も十分に保てているし、旅館などの宿泊施設も、特に平日は工事関係者などの利用により高い稼働率を維持している。また、直接、間接を合わせれば、それなりの数の雇用が町内で新たに創出されていることも事実なので、これらの点においては、企業誘致と同様の効果が地域にもたらされているということができるだろう。

たしかにこの部分だけを切り取れば、地域にとって、何にも悪いことはないように見える。だからこそ、原子力関連施設の誘致に動こうとする全国各地の地方自治体が、住民を説得するための切り札の一つとして「企業誘致」という言葉を巧みに利用しているのだ。

だが、類似点があるからといって、相違点を表に出さないまま原子力関連施設の誘致と企業誘致を同一視させようとするやり方は、ある意味、とても悪質だとも言える。地域が誤った道を進まないようにするためにも、こうした卑怯な物言いが全国的にはびこっていることを、私たち一般の市民もしっかりと注視しておかなければならない。


原子力関連施設の誘致と企業誘致の相違点


今度は、原子力関連施設の誘致と企業誘致の相違点を見ていくことにしたい。

ただし、相違点についていきなりクドクドと説明をはじめるといささか混乱を招きそうなので、最初に二つのポイントを頭出ししておこうと思う。


POINT 1 交付金の有無

原子力関連施設の誘致では、国から多額の交付金が地域に投入されるが、企業誘致では、一部の寄付などを除き企業側から直接お金が地域に渡ることはない。

POINT 2 地域を離脱するリスク
原子力関連施設の誘致では、ひとたびそこにハコモノができてしまえば、国の都合でそこから出ていくことはほぼ想定されないが、企業誘致では、企業側の都合でいつでもその地を離れていくリスクを抱えている。


POINT 1 交付金の有無


これは、原子力関連施設の誘致と企業誘致の相違点を語る上で、非常にわかりやすい視点であろう。

シンプルに言うと、原子力関連施設を誘致すれば、黙っていても交付金という大きな"オマケ"が付いてくるが、一般企業を誘致しても、直接的に大きなお金がセットになって付いてくるわけではない。別の言い方をすると、原子力関連施設の誘致ならば、施設がそこにできることがひとつのゴールだが、一般企業の誘致は、施設がそこにできただけではまだスタート地点に立っただけなのである。

国の交付金制度の問題点については、前回の記事の中で詳報したので重複は避けるが、「頑張らなくても、お金が空から降ってきてラッキー」で済まされないことだけははっきりしているし、国が地方を"麻薬漬け"にするという明確な意図をもって設計された交付金制度に、「地方自治体が、地域の大勢に影響がない範囲で上手に利用する」という概念など存在するはずもない。

これだけは、常に意識しておきたい重要なポイントであると言えるだろう。


POINT 2 地域を離脱するリスク


私がここで強調したいのは、むしろこちらのポイントについてだ。

実のところ、この「地域を離脱するリスク」があるかないかによって、直接的、間接的に地域が受ける影響は少なくない。もしかすると、交付金と同等か、あるいはそれ以上に大きなものがあると言っても過言ではないのかもしれない。

では、それはなぜか。いくつかの大事な視点について、ここから一つひとつ検証していくこととしたい。


自治体職員が抱く危機感の違い


企業誘致が成功し、そのまちに企業の本社や工場が建つと、定住人口も交流人口も増えることになって、まちは一気に活気づく。誘致した企業の規模が大きければ大きいほど、まちにもたらされる経済効果も大きくなるから、一件の企業誘致に成功することによって、まちの未来が良い方向に大きく変わることだって十分にありうるのだ。

ただし、実際の企業誘致の現場では、「本社や工場がそこに建ったら終わり」ではない。企業側の視点で見れば、何かしらのメリットがあるから、そこに本社や工場を建てたのである。翻って言えば、「そこに拠点を置いておくメリットが無くなれば、企業がいつまでもそこに居続ける理由もなくなる」という、とてもわかりやすい構図であるとも言えるだろう。


そのため、自治体が企業誘致という施策を成功に導くためには、企業にずっとそこに居てもらうための努力を続けることが必要になる。実際、本社や工場が立地してからの数年間は固定資産税(地方税)を減免したり、機械や設備の導入に対して補助金を出したりと、直接的に企業を支援する制度を設けている自治体が多いのも、このような理由があるからだ。

また、こうした直接的な支援策を講じるだけでなく、企業の課題解決をサポートしたり、社員の家族が地域で快適に生活できるようにと、さまざな情報提供を積極的に行っている自治体も現実に少なくない。

私がかつて一緒に仕事をさせてもらった自治体の担当者などは、寸暇を惜しんで頻繁に企業を訪問し、新規事業に関すること、経営戦略に関すること、地元雇用に関することなどあらゆる情報を頻繁に収集していたし、地域に対する企業側の要望にも積極的に耳を傾けていた。そうした業務に臨む姿勢からは、「わざわざウチのまちに来てくれた企業と共に、これから地域の未来を創り上げていくのだ」という強い意志が感じられたものだ。

ともすれば、特定の企業を優遇しすぎともとられかねないそのやり方に賛否の声はあるのかもしれないが、個人的には、そんな自ら意欲的に行動できる自治体の職員の存在こそが、地域にとってかけがいのない宝なのだと思っている。そう、必要以上に批判を恐れることなく、自治体職員自らが積極的に企業に刺さり込んで行かない限り、企業誘致という施策がそう簡単に大きな効果を生むことはないのである。


地域住民が抱く意識の違い


また、原子力関連施設を誘致した地域と、一般企業を誘致した地域とでは、地域住民が抱く意識にも顕著な違いが見られる。

例えば、誘致した企業がものづくりの企業であれば、その会社の商品を積極的に購入するとか、もし通信関係の企業であれば、契約の相手先をその企業に乗り換えるなどといった行動により、地域住民自らが企業を積極的に応援しようとする具体的な動きが見られる地域もすでに多くあるのだ。

これ以外にも、企業が実施するイベントに地域住民が積極的に参加したり、転校してきた子どもたちを同級生やその保護者が一体となってサポートしたりと、さまざまな地域住民の努力があって、企業はその地域に安心して居続けるられるのである。


では、なぜ地域の住民たちは、自らこうした行動に出るのだろうか。

もちろん、そこには相応の理由がある。そのまちにやってきた企業に対して、「来てくれてありがとう」という気持ちを多くの人が持っているということだ。つまり、企業を誘致することに対して、反対の立場をとる人がもともと少なかったということ。業務や業態によって多少の温度差はあれど、人口減少が加速するこの時代においては、基本、外からわが町に企業がやって来ることに好意的なスタンスをとる住民が多いということだろう。

このように、多くの住民の合意というバックボーンがあって成立する企業誘致ならば、その誘致の効果がどれほど地域にもたらされたかにかかわらず、住民たちの中に大きな分断が生まれるリスクも低い。この点、地域に大きな溝を生むことにつながる原子力関連施設の誘致とは、まったく事情が異なるのである。


真のWIN-WINとは?


こうして「企業誘致」という自治体の施策をひも解いていくと、「企業誘致」を成功に導くためには、その企業に逃げられないようにするため、自治体の職員も地域の住民も、長きにわたって相応の努力を継続しなければならないことが浮き彫りになってくる。これは、もちろん口で言うほど簡単なことではない。地域全体として、心から「来てくれてありがとう」の気持ちを持たない限り、なかなか続けるのが難しいことなのではないだろうか。

一方の企業側も、こうした地域の全面的なサポートを受ければ、災害発生時に施設を市民向けに開放したり、地域の子どもたちの施設見学を積極的に受け入れて生涯学習にひと役買ったりと、地域貢献活動に力を注いでくれることもあるだろう。このような一つひとつの小さな取組の積み重ねによって、地域と企業の間にGive&Takeの良好な関係性が構築されていく。

企業誘致について、もし「企業側の都合でいつでもその地を離れていくリスクを抱えている」とだけ説明すれば、ともすると大きなマイナスのようにも聞こえるわけであるが、実はこうしたフラットな関係性があるからこそ、地域と企業の双方がお互いに良い緊張感を持って高め合うという相乗効果が生まれるのだ。そう、これこそが本当に意味でのWIN-WIN。そんなふうに呼んでも、いいのではないかと思う。


役場内の景色が映し出す地域の悲観的な未来


この点、原子力関連施設の誘致だったらどうか。仮に、立地自治体や地域住民が施設関係の職員やその家族をサポートする努力をしなくたって、地域が出て行ってくれと強硬に主張でもしない限り、途方もなく長い期間にわたって、施設がその町からなくなることはないだろう。そう、たとえ地域が何の努力をしなかったとしても、相手からおいそれと逃げ出すことなどあり得ないのである。

ただこれだけなら、たとえ原子力関連施設や国との間にWIN-WINの関係性を築くことができなかったとしても、それだけで地域に大きなマイナスを生じさせることはない。最も恐ろしいのは、地域の人々から「自らの手でこのまちを守り育てていくのだ」という意識が希薄になっていくことなのだ。

ただでさえ多額の交付金で"麻薬漬け"にされ、自立した町政運営ができない状況に追い込まれてしまうというのに、それに加えて、地域の人々のやる気を削ぎ、ついには"魂"まで吸い取られてしまう。これは、本当に恐ろしいことだと思う。


ところで、"魂"が吸い取られてしまったまちを象徴するような空気を、誰でも日常的に感じられる場所がある。それは、原子力関連施設が立地する自治体の役場の中だ。

地域から自立心が失われてしまったことと、役場内の空気にまったく緊張感が感じられないことの間には、当然に因果関係があると考えるのが自然だろう。勤務時間中に、のんびりとコーヒーを飲みながら脚を組んで新聞を読む管理職員。かかってきた電話を放置して、ネットサーフィンにうつつを抜かす一般職員。もちろん全員ではないが、全体観としては決して表現を盛ったつもりはない。そんな光景を見させられると、誰だってウンザリすることだろう。

もし機会があれば、一般の市民の方も、原子力関連施設が立地する自治体の役場の内部をチラッと覗いてみることをおすすめしたい。きっと多くの人が、「本当にこれでいいのか?」「これがわが町の未来なのか?」と不安な気持ちを抱くに違いない。

こうした役場内の景色は、地域の悲観的な未来を映す鏡であるとも言えるだろう。ちなみに私は、寿都町の職員の方々が、寿牡蠣やシラスなどの地元の特産品を必死にPRする姿を何度も目にしている。その姿を見ているだけでも、職員の方々がいかに地域を愛しているのかが、こちらにもまっすぐに伝わってきたものだ。もし10年後、あるいは20年後、あんなに汗を流して地元産品の魅力をPRしていた役場の職員の方々の活気が失われてしまっていたとしたら…。絶対に、絶対に、そんな風景だけは想像したくない。


原子力関連施設の誘致がもたらす恐ろしき負の効果


誤解がないように付け加えておくと、私がこうした実情をここに綴っているのは、何も原子力関連施設が立地する自治体の職員を批判したいからではない。

実際、一般に知られているイメージと比べて自治体職員の仕事は激務だし、はっきり言ってコスパも非常に悪い。それでも多くの職員が、次世代を生きる若者たちが暮らしやすいと思えるような、そんな豊かな地域をつくっていこうという強い意志を持って業務に従事している。もちろん原子力関連施設が立地する自治体の職員だって、最初からグダグダだったわけではないだろう。入庁したての頃は、皆、高い志を持って業務に従事していたはずなのだ。

ところが、多額の交付金を国からもらえるから、特徴ある事業が立案できなくても当面は何の支障もないし、効率的な予算執行ができなくてもすぐに自治体の財政が傾くこともない。また、原子力関連施設の運営を地域が主体的にサポートしなくたって国が主導して事業は進めてくれるし、別に、施設の職員や家族を積極的にサポートしなくたって、その人たちが勝手に町を出て行ってしまう心配もない。

そんなぬるま湯にずっと浸かっていたら、どんな人間だって、自分でも気づかぬうちに前向きに頑張ろうとする意欲は萎えていき、やがて今度は自ら進んでぬるま湯に浸かるようになるという悪循環を繰り返す。人間なんて、基本は弱い生き物なのだ。そういう、私だってもちろん同じ。だから、いくら原子力関連施設が立地する自治体の職員の仕事ぶりにいら立ちを覚えたとしても、その職員たちに矛先を向けて安易に批判を展開するのは、はっきり間違っていると言っていい。

批判されるべきは、地方を"麻薬漬け"にするような制度をつくった国であり、政治であると断言してもいいだろう。ある意味では、"魂"まで吸い取られたその地域もまた被害者なのである。

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国の交付金制度の下では、国と地方の間に真のWIN-WINの関係性は、絶対に生まれることはない。寿都町にいま必要なことは、「わが町の未来に必要なことはいったい何なのか」を地域が一体となって議論すること。その議論をおざなりにしたまま、目の前にぶら下げられたニンジンに飛びつくことの是非を議論したって、それはほとんど意味のないことだろう。

もちろん、高レベル放射性廃棄物最終処分場が本当に将来、寿都町内にできるのかどうかというところに関心が集まるのは当然のことだが、問題の本質は、「この国の地域づくりの姿はいかにあるべきか」というもっと大きな課題といかに向き合っていくかにある。

そこで次号では、私たち国民がこの「核のゴミ」問題とどのように向き合っていけばいいのかに加え、「この国の地域づくりの姿はいかにあるべきか」にも踏み込んで、私なりの見解を延べてみたいと思う。

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