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うちの裏には竹藪がある(72侯/竹笋生)

裏に竹藪のあるおんぼろなアパートに住んでいる。
台所の湯沸かし器は小型湯沸かし器、風呂はバランス釜、部屋は全部和室で、もちろん木造だ。
駅から遠いし隙間風もある。
道を挟んで向かいは、大家さんが住む一軒家。その隣には大家さんの家庭菜園。
良いところは、家賃が安いところと、春になると大家さんがタケノコを掘ったのをくれるところ。

引っ越しの翌日に大家さんがやってきて、一通りの話をした後に聞かれたのが、
「あんた、タケノコは好きか?」
だった。
ええ、好きですよ、と答えたら、数か月後に茹でたタケノコを持ってきてくれた。
「茹でるのが億劫かと思って、茹でておいた」
とのことだった。
ありがたく頂戴して、刺身風に食べたりタケノコご飯にしたりして、あっという間に無くなった。
それが、去年の今じぶん。

今日、帰宅したらドアノブに茹でタケノコが入ったビニール袋がぶら下がっていた。
これは今年のタケノコだな。
今日は帰宅が遅くなったから、大家さんが置いて行ったのだろう、と思う。
茹でたてなのか、ビニール袋を持ってみるとまだ暖かい。

カバンを置くなり、まずはタケノコの穂先をちょんちょん、と切って、醤油を少しつけて食べる。おいしい。
ふわあ、と鼻に抜けていく、タケノコ特有の香り。春のにおい。
春になるとどうにも気候に体調や精神がついて行かないように思う時があるけれど、そういう時は春のアレルギーなんだって、と、昔の知り合いが言っていたことがある。本屋さんでアルバイトをしていた時に、一緒に働いていた人だ。
だから、アレルギーに勝つために、少量の春成分を取り込むのは有効なんだ、と言いながらタケノコの田楽焼きをつつきながら日本酒を飲んだのは渋谷の桜ヶ丘の居酒屋だったけれど、この前通りかかったら潰れていた。

あいにく日本酒は調理酒しかなかったので、今日はビールを開ける。
最近話題のベルギービールみたいな発泡酒は、なかなかおいしい。

ビールを飲んだらお腹が膨れてしまったので、炊飯器にタケノコご飯を仕込んで風呂に入って早々に寝ることにした。

夜中にふと目が覚めると、タケノコご飯の炊ける匂いがする。
あれ、タイマー炊飯にしなかったかな、と思いながら、もう一度寝入ろうとすると、枕元に何かの気配があった。
薄目を開けてちらりと見ると、

「こんばんは」
何かが、いた。
小さい人というか、小人、というか、妖精、みたいな。
全体的にほんのり光っている。
顔立ちは大人びているのに、多分自分の腰くらいまでしか背丈はないであろう何者かが、枕元にかがみ込んでじっとこちらを見ている。

「こんばんは」
もう一度、何者かは言った。
「…こんばんは」
「夜分にすみません、私たちは竹の精なのです」
私たち、というが、どうも一人にしか見えない。
「私たち、は、地下で繋がっているので、私は私たちなのです」
そうか、そういうものか。
寝ぼけた頭で理解しようとするが、多分理解の範疇を超えている。寝ぼけた感じが抜ける気がしない。もしかしたら夢なのかもしれない。
「夢ではないのです、私たちは、私たちを代表して、あなたにお聞きしたいことがあって裏山の竹藪から来たのです」
取り敢えず、布団の上で起き上がって見た。自分の座高と、竹の精の身長がちょうど同じくらいだ。目線が合う。
「はあ」
「あの、タケノコって、お好きですか?」
何と答えるべきか。タケノコは、竹の子どもなのか。

「…好きですよ」
「ニンゲンの方は、皆さんお好きですか?」
「うーん、わりと好きな人は多いんじゃないですかね…。買うにしてもそんなに安くないけど、売ってますし、お店でも」
「では、タケノコは美味しく食べられるために掘られている、ということでよろしいですか?」
「よろしいと思います」
竹の繁殖力や成長力はものすごいので、竹藪を持っている人は手入れが大変だとも聞いたことがあるし、大家さんがタケノコをせっせと掘っているのはそういう理由もあるかもしれないけれど、竹を代表してやってきた竹の精の手前、そういうことは言わないでおこう、と思った。

「大家さんのところには、聞きに行かないんですか?」
「オオヤサン?…ああ、地主様のことですね」
地主なのか。いいなあ。
「あの方は、私たちが見えないのです」
「見えない?」
「ええ、竹の精を見ることができるニンゲンは限られていて、私たちの持つ春の成分に反応する体質のヒトでないと、見えないようなのです」
「大家さんは、違うと」
「さっぱりです」
何となくそんな気はする。いつも朝早くから畑仕事をしてるらしいし、冬は雪が積もると雪かきも自分でしている。夏は炎天下でも畑に水を撒いて草取りをして、ラジオ体操を第二までしている。
「ただ、私たちの山の手入れはよくしてくださるし、お社の水も毎日変えに来てくださるし、よい地主様です」
それではお邪魔しました、と、竹の精はどこかへ姿を消し、話している時は去っていた眠気が再来したのでもう一度寝たら、朝になっていた。

タケノコご飯をおにぎりにして出勤し、早くに帰宅したら家の前で大家さんに会った。
昨日はタケノコをありがとうございました、と言う前に、大家さんが口を開く。
「今年のタケノコ、もってきたから」
「あ、ありがとうございます」
「あんたのとこ、昨日もタケノコご飯だった?いい匂いしてたねえ、上手に炊けたね。続けてタケノコだと迷惑だったかね?」
「そんなことないです、タケノコ、大好きなので…」
「それは良かった」
煮物にしたらええ、田楽焼きもええな、と言いながら大家さんは大家さんの家に帰って行った。

首を傾げながら帰宅して、残りのタケノコご飯を食べて、風呂に入った。
布団に入ろうとすると、枕元に何かがごつごつしている。
敷き布団をめくって見たら、畳を突き破ってタケノコが生えていた。
お前か。

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