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コネコとシイナさんとお盆の話4:空飛ぶ盆踊り

今夜は盆踊りです。
シイナさんは飛べない胡瓜を懐に入れて、夕涼みがてらふらっと行ってみることにしました。
「コネコ、綿あめ買って欲しいのにゃ」
「あんな原価の安そうなもの」
「原価よりロマンなのにゃ」
会場に近づくにつれ、どんどんという太鼓の音がだんだん大きく聞こえてきます。  
ここは町内で一番大きな公園で、夏の間はラジオ体操の会場にも使われています。
真ん中に櫓が組まれ、その周りでちらほら踊る人々、さらにその周りにぐるりと屋台が並びます。
「けっこう沢山来てるにゃ」
「死んでる人もいますからねえ」
飛べない胡瓜がさらりと怖いことを言いました。  
死者たちはどこにでも行けるわけではなくて、こんな風に人の多い場所か、生きている時に行ったことのある場所にしか行けないそうです。
「そうじゃなかったらハワイはお化けだらけになっちゃいます」
「生きてるうちに行っときたいにゃ、ハワイ」
コネコは飛行機に乗ったことが無いのです。  
飛べない胡瓜いわく、今日は死んでる人が二割くらい混じっているとのこと。
「今日が迎え火ですし。明日はもっと来るかもしれないですね」
「それでも、お盆に家に帰りたくないお化けがこんなにいるのにゃ…」
お盆に帰省しなかったシイナさんも他人事ではありません。
「いや、仕事だったからさ…」  

会場を一周して、コネコは念願の綿あめを買ってもらいます。
「絶対べたべたになるよ」
「そこも含めてロマンなのにゃ」
どぶ漬け胡瓜の屋台もあって、飛べない胡瓜はそこには近づかないようにしよう、と思います。うっかり割り箸を刺されたりしたら剣呑です。
「それにしても、こんなに沢山帰ってきたらみんなどこに泊まるのにゃ?」
「家族がいれば家に帰りますし、帰らない人は好きなところに行くみたいですよ。ビジネスホテルなんかもお盆には特別室ができますから」
「お化けルームにゃ?」
「そんなようなものです」
踊りの輪にも加わらず、屋台で飲み食いするわけでもない。ぼんやりと佇むあの人はお化けでしょうか。  
「いや、結構死者の皆さんは楽しそうに踊ってますよ」
「意外」
「死んでも振り付け覚えてるのにゃ」
シイナさんは冷えていなさそうな缶ビールを一本買って、踊りの輪を眺めます。
「踊る阿呆に見る阿呆なのにゃ」
「同じ阿呆なら、踊らない方でいいや」
コネコはすでに両手と口周りがべたべたです。

いよいよ本格的に空が暗くなってきて、オレンジっぽい屋台の灯りばかりが人々の顔を照らします。誰が生きていて誰が死んでいるのか、見ただけでは全然違いが分かりません。
「どっちかっていうと、シイナさんの方が死んでるみたいにゃ」
「覇気がないと言ってくれ」
「はきはきしてないにゃ」  
べたべたになったコネコの両手と顔を洗うべく、今度は水道を探して歩き出します。
「あっちに蛇口があったはずなのにゃ」
「ハンカチは?」
「ないにゃ」
べたべたよりはびしょびしょの方がまだマシです。どぶ漬け胡瓜の屋台の横を通り抜ける時、またしても飛べない胡瓜は緊張していました。  
へえ、今年はどぶ漬けの茄子もあるのか、美味しそうだな、と屋台を横目で見ながらシイナさんは思いました。しかし、胡瓜の中に一本だけ混ざったその茄子はどうも様子がおかしいのです。
タライの中で、泳いでいます。
「こいつも…こいつも…、単なる胡瓜だ!」
どうやらこれは、単なる茄子ではないようです。  

茄子はタライの中から飛び出るとふわりと宙に浮かびました。
「空飛ぶ茄子だにゃ…」
「あ、牛くん! 牛くんじゃないですか!」
「馬くん!? 馬くんどこだい? タライの中かい?」
「ここだよー!」
シイナさんの手提げの中から勢いよく飛び出して、胡瓜の馬と茄子の牛は感動的に再会します。  
雷に打たれた後、飛べなくなって帰れなかったと、切々と胡瓜の馬は訴えました。
「そんなことだろうと思って、ロードサービスから妖精の粉も借りてきたよ」
一体どこからか、茄子の馬は粉の入った小瓶を取り出します。かちり、と瓶の蓋が回ったその時、思いがけない突風が吹き抜けました。  
あらゆるものを浮遊させるという妖精の粉が、あたり中に飛び散ります。

「うわあ!インシデントだ…」と、茄子の牛。
そして輪になって盆踊りをしている人々も、屋台で売り買いしている人々も、タライにどぶ漬けされている単なる胡瓜も、コネコもシイナさんも、少しずつ浮かび始めました。  
浮かんだまま踊り続ける人、宙を泳ぐスルメイカを追って飛ぶ人、浮かびながら綿あめを頬張る人、太鼓ごと浮かんでいる叩き手などが夜の空を漂っており、しかし誰も騒いだりはせず空は不思議と穏やかな雰囲気に包まれています。
スピーカーから流れる東京音頭が下の方で小さく聞こえます。  
「コネコも飛べたにゃ! 飛行機に乗るより先に自分で飛んだのにゃあ」
シイナさんだって実は、国内線しか乗ったことは無いのです。学生時代、釜山へは船で行きました。
今夜の空に浮かぶのは半月のはずなのに、なぜかどんどん大きく、どんどん満月に近づいていきます。
「このまま天国にゃ?」  
「ここからは侵入禁止ですよ」
東京音頭がそろそろ聞こえなくなった頃、誰かが耳元で囁くようにそう言って、そしてふわふわと飛んでいた人々は瞬時に地上に戻されました。
「空を飛ぶ夢を見てたみたいにゃ」
けれど、どぶ漬けのタライには一本も胡瓜が残っていません。
「きっと空飛ぶ胡瓜に転職したのにゃ」  
その不思議な夜はどうやって帰宅したのか覚えていた人は誰もいなくて、翌日はいつも通りの暑い夏の日でした。

おもに日々の角ハイボール(濃い目)代の足しになります