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モンスター弱者の思考分析

モンスター弱者、とでも呼びたい人たちがいる。
病気だとか、経済力がないとか、不美人だとか、モテないとか、そういう自分の立ち位置を利用して他人に影響を及ぼそうとする人たち。
なこはかつて、メンヘラのことを「精神疾患がアイデンティティーになってしまっているために、治療して寛解することを望まない人」と定義したんだけど、モンスター弱者っていうのはそれの、より広義な概念になるのかな。

モンスター弱者は別に強者になりたいわけじゃないんだと思う。
経済力がないから働こうとか、病気を治して健康になろうとか、不美人ならせめてにこにこしていようとか、優しくなってモテようとか、そういうのはないみたい。
ただただ、モンスターのままで肯定されて生き延びていたい。
だって、モンスターであることがアイデンティティーだから。

「弱い立場」を拠り所にするモンスター弱者は、人間関係の優劣や強弱に、とても敏感ないきもの。
そして、それがゆえに、モンスター弱者にとっては、人間関係は強者と弱者の支配と被支配の関係で捉えられている。
思考がこの関係性に捉えられていること自体が、いかんともし難くモンスター弱者を弱者足りえさせているのに。

実際の人間関係に支配や被支配の原理なんてほんとうは無いのだとしても、モンスターの主観的ではそのような世界観なのだろう。
そして、主観が支配と被支配の世界観に囚われていることこそが、彼らがモンスターと化してしまった理由なのかも知れない。

好きを伝えて、好きで返ってくるか、嫌いで返ってくるか分からないというのは、健全で自由な世界だと思う。
好きな人に必ず好かれるのは無理だけれど、嫌われたい人に嫌われるのは、比較的簡単だとも思う。
モンスターは健全で自由な世界が耐えられないから、自分が好きな相手に好かれないよりは、好きな相手を自分から嫌いになって、その相手に嫌われるように振る舞うことがあるのではないだろうか。
好かれれば支配できるかも知れないけれど、嫌われていれば支配されることはないから。
つまり、モンスターの感情は、自らの手の中ではなくて、世界観というブラックボックスの中に仕舞われている。

モンスターの心のブラックボックスには、仕舞われた自分と他人とがいて、その箱の中から出て来られないことには、モンスターは箱の中で死ぬのだと思う。
強者になれない絶望が箱の中でひとをモンスターにするのなら、ひとがひとでいるためには、まずはその箱から解き放たれること。

おもに日々の角ハイボール(濃い目)代の足しになります