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日常生活の中での話

実際の所、この日常生活についても意外と落とし穴があるんですよね。

何をどう解釈したものなのか、敏感だ、繊細だ、生きづらいだと言葉が付いたものだから、自分が気づく感じる所の話になりがちですが…。

実は日常の中では刺激を受け続けてるけど、意識しないように体の仕組みが作用してる

というのも実情なので、気づけてないから話が出来ない、経験談すらでないという状態になってると思います。

うん。

それは何故か?っていうとですね。

そうじゃないと、人間まともじゃいられなくなるんですよ。不快感とかもありますからね。

ということで、日常生活でのアレコレをまた書いてみようと思います。

そして、お約束。(どすっ

ということで、お約束は読んでも読まなくても良いです。

ま、書き出しで色々言うのも何なので。


ひとまず、簡単な例え話を。

例えば学生であれば移動教室の話。

もう卒業した人も、こういう事なかったですか?

理科室とか、家庭科室に行くと、最初は独特の匂いを感じてしまう

ということが。

あくまで、個人として理科室や家庭科室がそうなだけで、人によっては病院に行くと、薬のような臭いがする…とか感じる人はいると思います。

ただ、こういうのって慣れるんですよ。

ソレは何故か?というと、慣れて意識しないようにならないことには、その場に留まり続けることが苦になってしまうから。

それを人体の仕組みとして、そうならないような作用が日常的になされてる。

そして、それに対して、感受性が高い人って簡単に気づいてしまうんですよ。また、日常生活を送る中で、当たり前レベルに慣れてしまってるような部分でも、違和感が少しでも発生したら気づくんです。

それも、周囲から浮くようにいち早くとかそれ故に気づいてるのが自分だけになり、1対他の状況にすらなる

個人としての経験談って、結局はWikipedia程度でも読めばこういうことだって少なからずわかるくらいにはあるんですよ。

だから、敏感だ繊細だ生きづらいだ、だけ言うんじゃなくて、心理学上の概念としての内容に触れれば、相応の感受性があれば同じこと出来ますよね?

みたいな。

ついでに言えば、そういう事をサラッと言えるほどに、普段から狙ってやってたんですよ。

感情的になってる記事でも、それはちゃんとやってたりします。また、感情が荒れてるのは、嫌でも幼い頃から受け続けてる”否定”というネガティブがネックになってて、世の中に溢れてるネガティブに反応すらしてる様だったりします。

出来る出来ない、してるやってる、ではなく、そうあるがゆえに自然とそうなるんですよ。

加えて、先日こんな記事を書きました。

色が見えるというのは光の作用によるものなので、色が見えてる以上、目は光の影響を常に受け続けてる器官でもある。

眩しいばかりが光の影響じゃないんです、よ。

これは、上で例に上げた臭いも同じくで、音もそうなんです。苦痛とか不得手ばかりが、臭いや音の影響じゃないんですよ。

って、こんな当たり前の話をしなきゃいけないのか?ってくらいに、

なんでこんなバカバカしいブーム起こしてるんですか?と思います。

また、そんな中でHSP専門だろうが、カウンセラーって国家資格ですか?

臨床心理士とか、公認心理師みたいな。大学院に行ってまで学ばないと取れない資格と比較してどうなんですか?っていう。

個人として民間の通信講座で資格取りましたけど、日常とか現実に目を向けたら、こりゃアカンっていう闇に気づいたから、取るだけで終わらせてたりします。

うん。


ごく当たり前の生活の中も大事

今回も結構突っ込む事になるだろうし、図星を突かれるみたいにもなると思いますが。

もう、幼稚園児時点でそんな感じだったので、どうしようもないです。

って自分で言ってしまうくらいに把握もしてます。

幼い頃から、よく気づく、面倒見が良いって言われてましたが、その理由として、

”そういう事を教えられるだけでなく、出来ないと突然のように怒られる事があるから、怒られないためにやってるだけ”

幼稚園の時点で、何かこう次元が違うみたいになってたんですよ。

喧嘩はダメ、優しくしなさい。

そう言われるだけで、普段の生活に応用するだけでなく。

大人とは言え人間です。ストレスや何やらから気が立って、気がつけば怒ってしまってた…と後悔することもあるんじゃないかな、って思います。

成長してそういう部分に気づいてからは考え方が変わりましたが、人の怒りの感情、そこに含まれるネガティブなものが苦手すぎたので、自分から塞ぎに行くには、相手の思う様な行動を取るしか無いって自然とそうなってたんですよ。

ただ、こういうのも成長しないと、言葉に出来ないので、

「だって出来ないと、先生怒るでしょ?」

としか返せず、痛い目を見てました。それだけでなく、怒ってる時に、

「喧嘩はダメ、優しくしなさいっていうのに、それってやっちゃダメなことじゃないの?」

何はどうあれ、感覚的にそういう事に気づくタイプだったんですね。幼い頃から。

そして、幼稚園に通いだしてからというもの、こういう色々が頻発仕出した結果、1歳時点で気づいてたからなのか、母から、

「あんたが気づくことは、お母さんでも気づけなかったりするから、きづいたとしてもその場で言わないようにしなさい」

というアドバイスをもらって、口にせず行動するようになったわけですが。

成長する間にやっぱり磨かれてしまうからか自分にとっての普通とか当たり前の行動に対し、周囲にとってはそれが配慮や気遣いだという、いい加減個人差、個性としてください…って呆れるほどに、アレコレ言われるようになった、と。

それでも、何度説明しても、お前はことさら違うからって、指摘されるほどに自然とやってしまう自身の配慮する気遣うという行動が原因で周囲からは配慮をされないという矛盾すらも日常生活になってしまい

人間不信こじらせるほどに精神やんで、引きこもってる。

過ぎたるは及ばざるが如し、と言いがちなのも。

自分自身が常にそうあるから、なんですよ。

ただ、感受性としての気づく=もう既に当たり前のように目を向けると視界に入って気づくという部分の情報量が違いすぎる、というね。

でも、そういう過ぎるすらも、悪い結果を招く事がある。

それ程に日常生活を送る上で、社会に出て居られなくなったんですよ。

トホホです、トホホ。

もうね?

無意識のうちにそういう行動するくらいだから、どうしようもないんですよ。

イチイチ意識して全部抑えろってなると、ただでさえ病んでるメンタルがどうなることやら…なので、通院してても頭抱えるんです。

ふう。


何故そうも、日常で示すようになったのか?

という部分では、自分の人生としては病んでドロップアウトして久しい。そんな中、母がガンになり、最期を覚悟した時に父すらも、部屋から出ていけと私だけを残して、

1歳時点で既に、ありえないほどの気づき方をしてる話と、後悔や謝罪の話をされた

という、経験を持ってようやく、何かもう生まれつきおかしかった=進化とか、突然変異とか、そういう話だったりしてね…と、冗談交じりでもそういう可能性が見えなくもない、という経験すらすることになりました。

それが示すかのように、とはいえ偶然とも言える。

でも、人生がそもそも、世の中の先取りしてますよね、って1度だけ言われたことがあります。

オタク文化にしろ、幼い頃から性自認がおかしいにしろ、1歳時点で気づき察しがおかしいにしろ、生まれつき持ってる物が不思議と自身の人生で絡んで来てるんです。

事実は小説より奇なり、まさにそんな感じで。

ただ、こういうのはあくまで可能性や推測の域を出ないですし、拘りすぎると、オカルトや都市伝説、スピリチュアルという方向に傾いてしまうものだと思います。

そこを、科学的に説明するなら結局は次世代に遺伝子を残そうとするのが動物ですし、その中では突然変異もありえる、だから進化という適者生存の様が見て取れる現実がある。

という事になろうかな、と思います。

とはいえ、そういう科学的な部分の話も、自身の気づくだ何だのところに一致するか?なんてのは、証明しようがないので、多分こんな感じなのかねぇ?にしかしないんですよね。

使えそうなものがあるかな?くらいには触れますし、使えそう=応用できそうなものがあれば、自然と取り入れます。

まぁその、偶然なんでしょうけど、そういう個体として生まれてるっぽいなぁというのは最近感じなくもないですが、でもだからなんだっていうんだよwと自分で否定もするんですよね。

ただ。

それ程にあるので、HSPのブームなんて、ちゃんちゃらおかしいんですよ。

自己啓発本って悪い部分として、悩んでる人、困ってる人に対する商売道具なだけって部分があるんですよね。

そういうのも感じ取るから、触れない。

そもそも、読んだとして全部取り入れて常に人生を送る中で活かしてる、なんてことないと思います。読んでるのに悩む、読んでるのに迷う。

そんなの読んでどうするの?って普段言わないだけですが、思ってます。

だからこそ、ブームは絶対に否定したいものなので、ごちゃごちゃ言うわけですが。

あと、臨床心理士の先生にカウンセリングもしてもらいましたが、最終的に自分で向き合うって事になった理由には、

私:どうしたら良いと思いますか?

臨:どのようにしたいですか?

という、腹のさぐりあいみたいになってしまった…みたいに感じたし、それ故にこれ以上は無理って私のほうが判断して

自分で向き合うしかないですよね…

って自分から切り出して、最終的にまとまったっていう感じです。

まぁ、あくまで私個人の視点での意見ですけどね。

とはいえ、

・他者の感情を取り込みすぎ、それを自分の物として処理しすぎ

・それが過ぎてて自他の境界線が薄すぎる

・現実を深いところで見つめすぎてる

・自動思考がすごい勢いで働いてる=本人からすると色々取り込みすぎてる分んの処理してるんです、とかサラッと答えられる

・そうあるからか、可能性を追いかけすぎてるのか相当にぶら下がってる=私からすると色々気づきすぎるので自然とそうなると、これまたサラッと

という感じなので、迂闊に触れられなくなったのかもしれません。

そもそもが、成人知能検査をしてもらったのは、このカウンセリングの1年弱前だったのですが、

1言ったことに対して、2以上、5とか10と言う感じで、言葉の伝わり方だけでなく、伝え方も合わせて、数値に出来ない部分がある

って評価をもらいましたし、ね。

1言った事に対してというのも、幼い頃から「喧嘩はダメ、仲良く、優しく」と教えただけで、面倒見が良いと評価出来るような行動するタイプだったので…。

必要以上に受け入れず、否定してるとはいえ、自分ではおおよそわかりきってる事だったりもします。

また、こういう部分から総じて言えば、

過ぎてるどころじゃないので、観測できる現実にたいして、否定を一旦挟んでゆがめる

こういう事しないと、人間社会の中では生きていけなかっただけでなく、今ではもう無理…にすらなってたりします。

認めようにも、過ぎてるから、認めて表に出せば攻撃されるんですよ。

変な話自分ではわかってるけど、わかってない振りをするために相当にゆがませて、普通の人間を演じてるんですよ。

そもそも、いくら気づきやすいとはいえ、完璧とか絶対って無理です。環境だけでなく、状況の変化で自然と、本能的に身構える事で、能力が下がるなんてこともあります

そういうのも自然と無意識のうちにスイッチがはいるかのように突然低下するし、その状況や環境を脱するまでそれに気づけないようになってるんですよ。

ほんとこう、人体ってよく出来てるなぁ…すら、自分で実感、体感できるんですね。

まさにこう、生存本能っていうんですかね?

意識できなくなる程に、即座に反応しちゃうんですよ。

ほんとこう、色々書きましたが。

自分自身が一番そう思ってそうなこととして、

一体私は何なんでしょうか?いやまぁ、人の子として生まれた以上人間なんですけどね。

という感じです。


あとがき

まぁ、文字で書いたところで分かりづらいし、対面してみても、下手すると出てこない可能性があるんですよね。

最後の方で書いたように、環境の変化だけでなく、状況の変化で身構えるというか、いつの間にか防御するかのようになってて、意識にすらロックがかかるような事って何度も経験してます。

というか、通院してるとそうなります。

幼い頃から、皆まで言っても信じてもらえない、が恐ろしいほど多いので、自然と「これ以上は言えないわ」って一瞬頭に浮かんだと思ったら、ソレすら忘れて、言わない私になる感じもあるんですよね。

とはいえ、多重人格?と疑って訴えてみても、あっさり否定されましたけど(笑)

まぁ、その、ね。

気持ちは分からなくもないですが、HSPにしろ、LGBTQやトランスジェンダー、性別違和にしろ、最近あった選挙や政治にしろ、ですね?

楽しようとし過ぎです、人間が。

幼い頃から、それに気づいてるんですよ。もう、どうしようもない程に。

だから、中学くらいで「これ以上の便利は要らない、便利になれば欲がでて、更に楽をしようとするだけになるから」とか口走るようになってたんですね。一時期だけですが。

そう言う部分に、真面目過ぎって言ってくるんですよ。

こういうのも深くまで掘り下げると恐らく「お前の真面目さが普通になると、自分達が面倒になるから」

だから、周囲から人を集めて、過ぎてるという一言で深掘りしないままの状態で一致をとって、多数派を形成して、”1対他でお前がおかしい”にしようとしてくるんですよね。

ってくらいに、見える、分かるんですよ。

この、面倒になる云々って突きつけると、間違いなく怒りますし。図星だもの。

だからこそ、あくまで私は自然とそうなるタイプだから、放っておいてくださいって何度も言うし、放っておいたところで、どちらかというと自然に配慮だ、気遣いだという様を見せるのだから、面倒へらしてくれるのはかわらないんですよ。

無意識なので、やるやらないという判断すらないし、面倒にもならないから、その後になってやらなくなるわけでもないし。

アイツはそういう奴ってしてれば、気にならなくなるのに、なんでそう、ね。

そういう苦労を未だにしかねないから、就労支援A型の作業所でも悪化を招いて戦略的撤退したくらいです。

ほんとこう、普通で居れるって、うらやましい位なのに...。

やれやれですよ。

ぶっちゃけ、自分がHSPだ!って主張したところで、何にもならないですよ?

結局、個人差がありますし、同じ事出来ますよね?って言っても、出来ないでしょう。

気遣いとか、配慮とか、目に映ってる現実を勝手に脳が処理して、無意識かつ自然体でやってしまうくらいです。

だから、おかしいだ、やり過ぎだと、周囲はつつくんですよ。

で、こういう話は苦労話ではなく、HSPのブームで気苦労が発生するので、止めてくださいね?っていう話だったりするんですよね。

だってその、人間の楽したがる部分、それ故にいい加減になる部分、そういうネガティブさが物凄く詰まってますので。

だから、自由は好き勝手じゃないし、そうしてると因果応報だなんだ、という話もしてたんですけど、ね。

あー、あと、しようとして、やめた話として、ジョジョの奇妙な冒険の波紋とか幽波紋=スタンドですが。

あれって人の感情に対する目に見えないエネルギーの可視化、それを表現したものだと思います

向いてる職業だなんだもさ。

ジョジョの奇妙な冒険から、漫画家って話が出るのが当然だと思うのだけど。

気づけてないんでしょうね(にっこり

と、最後に嫌味もはさみつつ。

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