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書くリハビリ

何ていうか、こう。

ほんとね。

何ていうんでしょうね。

うん。


あくまで可能性として

現状、第2の冷戦というところでしょうか。

先日、ウクライナでの緊張の際、国名ではなくNATO=北大西洋条約機構という、ね。

かつての冷戦末期によく聞いてた言葉が。

うん。

アイタタタ。

やっぱりそうなっちゃいますか?

現状の感染症の拡大以降の、少なからず見聞きできてた国際的な動きが、あんれ~?で。

というかさ。

もう、ここまで来て、オミクロン株という存在から、再度問題を無駄に再燃させたあげく、政府の批判ばかりというのはもう、ね。

もりかけ以外にもやることあるだろ!の声には耳を貸さず。

忖度だ、責任問題だ言う割に、自分たちのやらかしはゴメンナサイの謝罪だけで茶を濁し。

情報を届けるよりも。

兎に角ネガキャン、ネガキャン。

もう。

だめだこりゃ!

なんてね。

自分のやりたいことに固執してしまうと、ほんとこう。

周りが見えなくなるんですよ、ね。

というか、恐らく。

第2の旧ソ、かつてのそれを復活みたいな動きもあったんですよねぇ。

ほんともう、やっぱりこうなっちゃいます?みたいな。


最近こういう事が多いわけですが

体調的に、もう無理です。

そんな状態になったのは、こういう流れのおかげです。

無意識だろうが、気付きませんでしただろうが、わたしは違うだろうが。

言うのは全然構わないですが。

残念ながら、人って思いの外色々もれてるんですよ。

あくまで、個人の感覚の話ですけど。

幼稚園に通いだして、同世代との比較、そして家族、親族、社宅住まいだったので母親たちという、普段から自分を見ていない、幼稚園の先生という新たな大人の存在のおかげで。

やけに、目立ってしまう事になる、と。

なので、相手の気分次第で良い方悪い方に転がされるわ、その割に話を聞いてもらえないわ、下手すると一瞬はっ!とするほどに私が図星を突くし、下手するとそれで周囲の子たちも先生を凝視するので、怒ってドカン。

正直、気づくってのもそうなんですが、言語化という部分関係してると言うか。

面倒見が良いという部分では、上手く伝えられない、それ以上に言葉にできない、でも何がどうあるかくらいは聞けば答えることが出来るという、同世代の子への対応を、代わりに言語化して相手に伝えることで聞き出す、をやってたから。

そういう、タネや仕掛けがあったりします。あくまで、自分目線ですけどね。

その時点で、相手の様子、今何をしてるのか、どこで作業や動きが止まってるのか他色々。

困る理由があるはずだからと、色々見た上で、決めつけるのではなく、どうかな?もしかして、こうかな?って問うことで引き出してたんですよね。

うん。

一方的に決めつけるのではなく。

そういう、問いかけや、聞き出しをしてたら、うまくやれるんですよ。

そういうのを自然とやってただけでなく、なにはともあれ解決するというか、先生も怒らなくて済む、同じクラスの子も怒られなくて済む。

お互いに嫌な気持ちにならなくて済む。

そゆことを、幼稚園児っていう時点で、自然と把握してやってたし、それは気がついたら当たり前のように出来てたことなので、褒められても実感がない。

ただ、そこにそういう現実があるから。

それに向き合って対処しただけ。

そして、これが教えてもらう優しさとか、仲良くするってことなんだろうなって漠然とはいえ。

教えられたことに対して、実践をもって、自分の中に落とし込む。

気がついたら、当たり前のようにやってたし、これをおかしいだ、普通じゃないだ、ありえないだ、散々言われすぎて抑えるようになってたので。

自分すらも目を背けて、ついぞ最近まで40年近く過ごしてたわけです。

はい。

そして、ね。

今までのように、幼い頃からの、自分じゃない自分になるっていう抑えが効かなくなってるだけでなく。

自分が現実として受け止めようとしたら、相反してかち合うので、精神状態どころか、体調の方に先んじて出てしまうので。

困っちゃってるんですよ、ね。

そもそも、幼稚園の時点で、母親から、

「私が気づくことは大人は気づけない。お母さんだって気づけないことがある」

だから、口に出すな、と。どうしてもって時は、お母さんに言いなさいと。

そこに自覚もあったからこその、封印っていうんですかね。厨二病くさくなりますが。

それをもってようやく普通レベル。でも、完全には無理で、どうしても表に出てしまうので、それからも叩かれることになる。

そういうものなので、抑えられなくなった今は。

散々ぶつけられながら我慢してきた、矛盾した否定や、人のいい加減さなんてのは、気づくのが当たり前過ぎるんですよ、ね。

だから、困るんですよ。

何事も、過ぎたるは及ばざるが如し。

これって実は、自分に言い聞かせる為の物でもあって、自分は出来てるとは言え、感覚だけでなく、臭いも、音も、目で見える形にするにはそれらを映像化するしかないし、日常生活でそれやってたら邪魔なだけなので。

やりすぎないように、まずは自分自身が注意しろよ?という意味での、

過ぎたるは及ばざるが如しにしてたのですが。

もう、体調に出てしまうだけでなく、我慢をしようと意識した時点でアウトになるので、相当にキツイ、吐き気他で気持ち悪いし、回数重ねると胃も痛くなるし、意識して抑える=脳も使ってるので、疲れ切って起きてられない、と。

生きづらいじゃねーの。

人から何を言われようが、それで湧く自身の感情は自身でしか処理できないので、自分がそれを拭えなきゃダメなんですが?

それが当たり前なんじゃないの?

感じるとか、嫌でも常にそうあるもので、何も感情が動いたときだけじゃないですよ、ってね。

ちょっとこう、話がズレた感じもありますが。

それ程にあるので、一次情報という、完全な出どころ。

情報の大元としての部分以外は、大した情報にならないし、無駄にあれこれ撒き散らすのは、ホント、毒にしかならないんですよね。

一次以降は、人の意思、感情、思惑や意図が働くことも多いですから。

うん。


あー、隕石落ちるなり、超大噴火で気温低下で食うに困るレベルになってくんねーかなぁ。

地球にとってはもう、人間がオミクロンに変異してるような、ものじゃないですかね。

うん。


あとがき

幼い頃からの名残で、まだまだ抑えようとする自分。

それで苦しんでるから、現実見て受け入れようとする自分。

こういう、相反する部分でのカチ合いからも色々起こるので、内も外も毒だらけ。

どうしようもないんですよね。流石に、外のものは自分が関与してないので。

1歳時点で相当におかしかったという母の話も、おそらく、弟を妊娠したからこその、つわりや、それに付随する体調への影響を見て察してたんだと思います。

流石に、苦しそうに見えてただろうし。

また、私のほうが母のお腹に居た頃には、おそらく、長男、男の子、跡取りというプレッシャーを周囲が与えてたと思いますし、母も我慢する方なので、そういう変化を感じ取ってたのかも知れません。

だから、1歳時点でも、気づいただけでなく。

自分は生まれて体も持って、自分の意志で動けるようになったわけなので。

当たり前の様にフォローするようになった、と。

この長男で跡取りというのは、父方でも結構言われましたし、そのせいか父も家族への心配以上に、プレッシャー、理想や希望の押しつけ、思い通りにならない事は母のせいにする、と。

機能不全家族、家庭という言葉が今ではありますが。

正直、親類縁者という一族含めて、とんでもなかったですよ。

そういう限られた範囲でも1対他。

幼い頃から、自分の意思にしたがって、聞かれたからと将来の夢を答えようものなら、周囲が総じてNo。

ダメというだけでなく、あれやこれや、なんやかんや、と。

そこまで言うなら、母じゃなくて、自分たちが家継いどけよ・・・ってのも日常生活での当たり前だったんですよね。

ほんともう、ガンで苦しんでるのに、お前ら何いってんだっていう、母の闘病生活も結構酷い状態でしたし。

私と2人だけにならないと、母の体から、力みが抜けなかったんですよ。

こういう心理的負担も、相談事として話そうものなら、受容がない。

こりゃもう、狂ったように笑うしかねぇwwwwww

と、内心毒づいて、イメージの中で狂気じみた笑い声をあげつつ。

現実の自分は、普通を装う、と。

ストレスとか、負担とか。

そういうレベルじゃないんですよね。

もう、慣れが発生するくらいに、幼い頃からの、当たり前の出来事で。

それに対して、周囲の感情を受け止めてしまうから、自分の中に入ったものは自分で処理しなきゃ、感情が揺れる、昂ぶるで追加のダメージが発生するので止むなし。

結果、カウンセリングでは、

「他者の感情を取り込みすぎ、自分のものとして処理しすぎ」

そう見受けられるとしてきされたわけですが。

仕方ないんですよ。

そうしないと、1対他で戦わなきゃいけなくなるので。

うん。

そんな感じなので、受け取った黒いものはヘドロどころか、カッチンコッチン。

固まるほどに凝縮してしまってる。と言うほどに、受け続けてきたわけです。

まぁ、過去に、「それであんたよく、グレたり道を踏み外したりしないでこれたよね」なんて言われたわけですが。

今頃になって、そう言われるのもそうかもしれない、と妙に納得することにもなる、と。

生まれつきの持ち前で持ってしまったとは言え。

言語化出来ないから、一般的な概念でしか言えないその他大勢と、言語化して根拠として言葉にする自分。

違いすぎると、とんでもないことになるわけで。

生きづらいなんて、タンポポの綿毛レベルですが?

あくまで個人的にですが、どうみても、逃げてるだけでは?になるんですよね。

何故相手は怒ってるのか?

何故相手はそんな事を言うのか?

その先の原因なんて、その場での流れで見えてる事すらあるほどなので、振り回されるなんて、何も気づけて無くね?

何を見聞きしてるの?と。

厳しくいうしかなくなるというか。

甘えてはいけないですよ?と。

何かを言うだけでも理由や、原因ってあるものなので、言ったことだけで完結しないんです、よ!

ということで。

あー、バイオでのイーサンじゃないけど、ほんとこう。

マジかよ!ですわぁ。

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