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見た感じスローガンだけな感が

最近目にしたり耳にしたりする、SDGsという言葉。

NEETにしろ、LGBTQにしろ、HSPにしろ。

外来語については、いい所=理想だけを見て、実情を鑑みないというのは日本人の悪い癖というか。

国内外にせよ、故事から生まれたことわざ等はうまく表現することができてたのに、今となってはその影も無くなったのかな?と。

個人的に疑問を持たずにはいられない。

そんな感じです。

理想を追うことは悪いとは言わない。

でも、現実を見ずに、人間だけの理想を追うのは、ただのエゴ。そして勝手な自己満足。

外来の様々な生物が持ち込まれることには、”生態系の維持”に疑問を呈すのに。

自分たちがやる事になると、ノータッチ。臭いものに蓋をする。

これだから、人間ってやつは…。


当たり前の自然があるということ

全てではないにしても、なんやかんやで路線が入れ代わり立ち代わりした結果の一つとして、こういう物を目にしました。

うーん。

陸上からの見た目が良くなっただけで、海の中=砂浜からちょっと進んだ程度の状態が、元の自然環境ではなくなってるのでは?

それからしばらくして、事前の自浄作用で海中まで侵食しつつあったガラスの砂の上にまた泥や砂がつもり始めてはいたものの、5年経っても元々の自然環境と同じ状態に戻っていない

そもそも、自然環境の中には、目に見えない菌や小さな生き物が居たり、普段目にしないからこそ、よほど知ってなければその習性を知り得ないという生き物も沢山いるものです。

そこを考慮せずに、角を丸くしたガラスなんて置けば、ねぇ?

試行錯誤だ、というくらいなら、もう少し範囲を狭くして研究出来るような部分だけでやって結果を待つ方が、まだ良い方に向かっていたと思います。

それほどに、自然って人間が思ってる以上に複雑。

また、動物の場合人が保護した後に回復したからと野に返しても、人がツケた臭いが邪魔したり、人がいる生活に慣れきってると、野に放たれたところで動物に取っては迷惑になりうる。

そんな話もあるわけですが。

結局何かしら、人が手を加えると、人工になってしまい自然とはかけ離れてしまうのではないでしょうかね。

本当にこう、上辺だけ、見た目だけを良くする事しか考えてない、正にザ・エゴ。

最近ちょこちょこSDGsって聞くだけでなく、良いところだけ、理想的なところだけを取りあげて扱ってる人が多いし、noteでもたまに見かけてますが。

正直、自然を甘く見すぎでしょう。

個人的にはそう思います。


自然についてもう少し深く…

加熱して再利用出来るもの。

とはいえ、その加熱部分でエネルギーが必要だったり、排気の問題が環境問題に関係してしまうので、完全なリサイクルとなると、相当に難しいだけでなく、まだまだ技術不足だと思います。

また、環境問題としてのCO2の対策にカーボン・ニュートラルというのもありますが。

そもそも、植樹したりすれば良いわけでもなく。

植樹って人間の都合で、人間が選んで、植物を植え付けていくわけで。

それは、自然に発生する自然環境ではなく、人工的な自然環境になってしまい、コレまた同じく”本当に自然について考えてる?”と言わんばかりというか。

計算上こうなるはずとか、こういう風になってくれればとか、理想的な部分だけを見すぎてて、現実を見ようとしてないのでは?と。

そもそも、現時点で暮らしてる環境にある自然も、人が作り上げたのではなく、放ってても自然の中での循環や動きのおかげがあるからこそ”自然体”でそうなるものなんですよね。

自然って何もしなくても、自ずからそうなる=自らそうあるのが然りと言わんばかりに、そうあってくれるから自然なわけで。

待っててそうあるには時間がかかるから、と。

人が手を加えたところで、神様でもなんでもなければ、人間自体が人間同士で衝突するくらいなのに、自然を戻すなんてことは出来ないわけで。

環境問題、環境問題言うけど、何かこう、本当に考えてるのかな?と。

そもそも、その自然を産業革命以降は受容以上に供給過多、そう言わんばかりに大量生産するようになったもの、その分素材としての自然からの搾取が増えてしまってるのに、考えないで止めなかったからのツケであって。

というか、それ以上に……

開発のために必要不可欠な、行動目標

なのでは?と。


少し、ズレてないですかね?

先々の事を考えて、自然を改善して達成する目標ではなく。

相応に技術革新をしただけでなく、まだまだ続いてるのが現状という現代。

それでも、技術開発は追いつかず、消費するのは楽だったけど、もとに戻すもどせない。それどころか、改善と言う部分すらも新しい技術開発が必要なのも現状だと思います。

そう。

SDGs=開発のために必要不可欠な行動目標って、改善を見据えて開発する為の行動目標はこうです、というもので、その為には研究なんかも更に続けて行きましょうというような。

達成を目指す目標ではないと思います。


知って、学んで、考えて、想像して。

今までは懸念されること以上に、環境よりも利益!としてきたから、様々な歪みや溝ができてしまった事を反省しての目標なんじゃないでしょうかね。

自然環境に対しては。

実際、日本で過去にあった公害でも、問題は分かりきってるのに経済成長の方ばかり見てて、対応が遅れてしまったために結構大きな被害がでて、問題にもなったし、国が保証した部分もあります。

終わったことではなく。

過去にそういう過ちを犯してるのだから、振り返って反省もして、目に付く部分、自分たちの理想で手を打つではなく、そのための開発を続けていきましょう、と。

なんかこう、動画の様子を見てると、ただただ、

結果を出して実績を出そうとしただけで、自然環境に対して向ききれてないですよね?、と。

まぁ、動画については、作成された方の想いも乗って入るので、それだけで厳しくいうのも、少々悪いかも知れない、と思いつつ。

そうは言っても、様々な対策を取られる中で、結局は自然が二の次になってる印象が強いものばかりが見られてしまう。

バイオ燃料にしても、太陽光発電にしても、風力発電にしても。

少なからず~相当に自然削った上で、そのモノを作るための設備に必要なエネルギー、設置面積や不慮の破損(液漏れとかコワイですよ?)とか、設備の維持管理には、これまた様々な要因が絡んでくる。

キリがないから、というのもわかります。

でも、キリがないからだと、経済成長の為の屋台骨だからと公害にまで発展してた過去と同じことやってて、目標からズレてるとも言えるのではないでしょうか。


言葉を知ったところで

全てが見えるわけではないですし、情報についても、全部が全部出てくるわけでもなく

必要最小限、見た目や読みやすさの為の取捨選択・削減、難解なものはわかりやすく。

そういう感じで、実際は深い部分があるのに、逆に浅くされて出てくるものでもあるというか。

LGBTQもHSPも、一部の人の満足のために、好き勝手あれこれやってるし、そこには本の出版だなんだという、利益やビジネスがどうしても絡んできてる。

何かこう、一挙両得しようとして、二兎追う者は一兎も得ずにしかなってない。それを今まで続けてきてるのだから、反省をまずしないと行けないのでは?と。

良くしよう、改善しようというのなら、良い方だけを見るのではなく、何故そうなってしまったのか?という悪い部分もみないといけないというか。

批判とか評論というのも、実際は”良い部分、悪い部分をそれぞれ評価する”という言葉でもあるのに。

少し前に、とある方がとある情報番組で「両論併記で語るべきでした」と謝罪をしたわけですが。

その人以上に、他は悪さしかつついてないじゃん……。

子供向けのアニメはゴールデンタイムで放映しなくなり、時代劇なんかも見られなくなり。

アテにならない情報番組や、お笑い=笑わせるではなく、異質な行動での笑われになった芸人が出てくるだけの番組ばかりになってしまってる。

正直、ネガティブをお茶の間に届け過ぎなんですよね、今のテレビって。

個人的にはそう見てますし、だからテレビ離れが加速するんですよ。

情報を届ける側が、届けたいものだけを、ニーズを考えずに届ける。

そんな感じなので、知った情報って結構慎重に扱う、考えるしないといけないと思います。

今となっては、地球ににた星もある、移住先がと言う話もありますが。

この動画の最後に言われてるように、まずは自分たちが今住んでる星を大切にする。そのためには、何をどうすればいいのか?

まだまだ、考えなきゃいけないし、情報で知ったからとその情報だけでの理想しか見てないと、寧ろ逆効果として破壊していくだけになると思います。


うるさいようだけど、問題提起です

何にしても、想像する、考えると言うことを忘れてしまってる。

昭和の頃からズレてる身、感受性が高いからなのか、どうしても見え方が違ってしまう身。

なので、世間とは違う視点での物言いを敢えてしなければ、過ちを犯し続けるだけでしかない。

そういう危惧をずっとし続けてるわけです。

知識や理解が追いつく前から、その言葉の意味はこうじゃないの?な子でもあったので。

なので、環境問題に対する取り組みや、SDGsという行動目標自体を否定したり、悪く言うというわけでもないです。

必要な事で大事なことなのは分かってます。

でも。

やっぱり、どこか抜け落ちてる。

どうしても、ビジネスや投資、利益という、人間だけの都合すらも見え隠れする。

結局は、稼働や準備段階で別にエネルギーを消費したり、素材に付いても部位次第では、寧ろ自然に漏れ出たら余計によろしくないというものを使ってたりもします。

自然が破壊されたのは、人間の自分勝手さが過ぎてたから。

そういう部分もちゃんと見つめないと、反省が出来ないが故に、原因の深堀りができず、目の前の、小手先のものに飛びついてしまってる。

言い換えれば、慎重さが足りず、超短期だけしかみれてなかった、とも。

これからはもう少し、先々をちゃんと見据えないといけないと言うか。

次世代の為、子どもたちの為なんてのも、ただただ理想なだけ。

絵に描いた餅になってしまってると思います。

というか、今の20代の人の親たちって、やっぱりこう子供のためとか言うような世代でもあるというか。そうなり始めた世代というか。

でも、反省できずに楽を求めるばかり。

小手先をやった結果、その子どもたちが大人になった今、覆いかぶさってしまってるんですよ。

そんな哲学みたいな、とか笑われますけどね?

それは何故か?という視点や思考を持ってないからこそ、失敗してるとしか見えないんですよ。個人としては。

だからこう、ね?

同世代がやらかして、本当に申し訳ない。

という思いからも、問題部分はちゃんと提起していかないと、と。

そして、自分もちゃんと反省しなさい!ってね。

生きていくためとはいえ、強く主張せず、体調悪化もあるのでやむなしとはいえ、戦いを避けて来たわけですし。

うん。

そういう反省する部分も含めて、問題提起として、声をあげよう。

そんな記事になればいいんだけど、難しいんですよね。

うわーん!


あとがき

理想を追うのは悪いことじゃない、です。

でも、今や少し先しか見れてなくて、今さえ良くなればだと、必ず拾わずに捨ててきた負の部分は、因果応報するんですよ。

個人的にはもう、そういうのを見すぎてて、因果応報って精神論や宗教的な意味合いではなく、現実論になってしまってます。

因果応報ってもう、現実として必ず起こりうる事象って感じで。

実際こう、色んなツケが回ってきてますし、ね。

言い出してたらキリがないから。それも分かります。

でも、そうやってキリがない、キリがないって後先考えずに目の前だけの対処をし続けた結果が現状でもある、と。

何が正しい、何が間違い。

何が良い、何が悪い。

そういう、二元論でもなく。

生態系や自然となると、やっぱりそういう方向での知識って必要ですし、ただただ理科として、生物としてを教えるだけな教育もそろそろ脱したほうが良いようにも思います。

差別やイジメも、見たいところだけを見て、個人が悪とする部分への不満や感情を言葉にしてガガガガガ!と撃つだけですし。

口先ガトリングガンじゃないんですから。

それ以上に、今ある色々でなんとかなるようなら、もう既に改善してるのが目に見えて分かるという状態になってる可能性というのも、強いし大きいです。

でも、現実としてそうなるどころか、寧ろまだまだ壊す方に傾いてる。

ほんと、ね。

開発のために必要不可欠な行動目標ですから。

SDGsなんかも、ちゃんと深堀りして、目の前だけ、上辺だけを良くしようなんてやっても意味を成さないどころか、そういう結果が既に出てるともいえるんですから。

知る、学ぶ、考える、想像する。

そういう、追求というものも出来るようにならないと、いけないと思います。

という事で。

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