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彼を知り己を知れば百戦殆うからず

別に人に限った話ではなく。

彼=相手=自然だろうが、現実だろうが関係なく。

そもそも、自分の事は嫌でも掘り下げてつかもうとするくらいなので。

その繊細さ、その敏感さを活かして、生きづらそうな人を支える、フォローする。

それを自然とやってしまうのが、HSPだと。

あるあるブームがやっぱりこう、耳障りが良いとか、都合が良いとか、そういう話しか出てこないのは、本質を追えないだけでなく、

言い訳に使う=現実から目を背けて、ただただひたすら逃げるばかり。

逃げてる間に態勢の立て直しすらはからない。

なんだこれは?


名乗るほうが恥ずかしいと思います。

うん。現状、名乗らないほうが良い。

楽をしようとする、自分の都合のいい話にすり替えるという、子供じみた真似をしてる人が、HSPを自称してるから。

そういう人と、一緒にされかねないので、それこそHSPだ感受性だ関係なく、

自分はこうあるから、これが自分だからという、ね。

そういうスタンスにしたほうが良いと思います。

うん。

なんだか良くわからないけど、自分にとっては普通の事だから。

そうやって行動した結果が、「それ、評価しすぎですよ??」に自然となってしまう。

そういう人が、ね。

今後の研究次第では、基準ができたりして名乗れるんじゃないかな、と。

思います。

現時点で、自分の不満や愚痴、イライラをHSPという言葉に転嫁してるような人は、間違いなく今後は足元くずれるでしょう。


というか、見えないの?何も

なんかこう、敏感とか言いながら、視覚、見るという部分が全然敏感ではない。

それどころか、下手すると普通より劣るかも知れない。

それ程に、何も見えないの?

自分の至らなさとか自分の事だから嫌でも気づくし、直しておかないと実生活では、悪い影響を周囲に与えるというところまで把握できるので、

自然と正しますよ?

現状はもう、世界規模というスケールでの負が発生してますから。嫌でも、誰しもピリピリしやすいし、ストレスも溜まりやすくなる。

だから、与えたくないって思いますよ。

気付ける人が少ないレベル=その分だけストレスが増えるレベル

それ程にストレスも感じてるので、その辛さや苦しさは実感できる。だからこそ、他者には与えたくない。

良いものじゃないし、利益がないから。

だからこそ、真面目すぎだ、自分に厳しすぎだ、ストイックすぎだと、そういう言われ方もします。

様々に感じ取れる=多角的、なので、嫌でも見た目以上に内側の幅も広がるんですよ。

だからこそ、周囲に居る人たちのほうが気にするし、色々言ってくるんです。

個人にとっては普通どころか、些細な事、小さな事であっても。

なので、HSPという言葉も、ブームの3ワードで収まらないなんて、ね?

「当たり前のように、見えてしまいますよ。視覚的という形で」

うん。

何でそんなに見えてないの?

自分自身の事すらも。

まぁ、見えてないからホイホイ自称するんでしょうけどね。


見誤ると危うい精神疾患

HSPかどうか?以前に、精神疾患について調べて、然るべき場所に相談するか、病院を受信するかしたほうが良いと思います。

個人の人格という部分にメスがはいった、パーソナリティ障害というのもあるし、時折上げてるのですが、ほんとね。

素人目に見ても、自己愛性パーソナリティ障害を疑ってしまいます。

だからといって、あくまで疑いでしかないので、断定はできないわけですが。

なんかこう、自分はHSPだから、なんてのは、自分で自分を特別扱いしてて、特別生きづらくある人みたいに誤解どころか誇張、誇大にしてると受け取れますし、HSPな自分は~とか、ホントこう自分は特別なんだ!ってのを前面に打ち出してる心理からの行動、と。

そう言われるのも止むなし、なんですよ。良い悪いとは別な話として。

また、ね。

対人関係で何かしら辛さを感じるなら、それこそ「社交不安障害」の疑いも考えられるし、病院を受信したほうが良いと思います。

以前指摘した動画なんかは、明らかにこちら。

職場での人間関係に怯えてるからこそ、蛍光灯の光を眩しく感じてしまい、PCのキーボードの音が気になってしまう。

メンタルの不調が行き過ぎると、必ず体に悪影響でます

うん。

というか、プロフェッショナル版を置かなくても、と思いますが、HSPとか言うくらいなら、このくらい読んで少なからず理解できますよ。

うん。

相談という、文字を読むではなく、耳で言葉を聞くだけでも、色々読み取る、読み解くするのは朝飯前です。

本当にそうあれば出来るからやってみ?

その上で、ちゃんと気づけます。自分の為にやることなので。


そしてことわざに戻る

彼を知り己を知れば百戦殆うからず

孫子の兵法に書かれてるもので、それなりに目にするので知ってる人も多いと思います。

これってね?

戦の為の兵法という側面とは別に、人間同士の心理戦という側面もあると思います。

また、個人、集団関係なく、どちらにも応用できるもの。

なので、当時はそういう学術の発達が無かったからという前提を置くと、軍師とか参謀というタイプの人は、恐らくHSPというタイプなのでは?と。

ちゃんと知れれば、そういう可能性にたどり着きます、よ?

ことの流れや動き、その中での些細な変化に気づいて、策を練るという対応をする。

人並み外れた能力として、感じ取る、気づく、影響を受けるという部分は大いに考えられるんですよ。

個人としても、周囲から「バカバカしい」と言われるような細かい所に気づいて、説明した上で敢えて放って置くと、

「ほらね?言ったとおりになったでしょ?」

って、不思議となってしまうし、相談上手という部分でもそんな感じです。

個人として、何故、孫子の兵法にある「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」を使うのか?

そういう狙いがあるからなんですよ。

自他関係なく、知れる、下手すると一致度に驚かれるほどに読めますから。


あとがき

申し訳ないとは思いつつ。

学術的な部分は専門の方に任せるとして、一般人だからこそ、根拠がない話題に対応しておきましょう。って、何様だよ!なわけですが。

こういう部分にも、人間社会の難しさってあるんですよ。

肩書を持った人は確かに信頼度があるわけですが、それを無駄に振り回すようだと必ず評判もさがるんです。

なので、肩書がある分、一般とか普通という部分には触れづらくもなる。

評判が落ちると、研究とかしてるようなら、スポンサーや資金繰りという部分で響きますからね。

なので、かゆい所に手が出せないもどかしさみたいなのは、感じるところだと思います。

まぁ、個人の勝手な予測かつ、余計なお世話でもあるわけです。

うん。

というかですね?

情報が出たからそこで終わりではなく、すごい速さで変わり続けてるし、どうしても目に見える部分にも限界があるので、気付けないってことも多いです。

そこに気付ける、不思議と言い当てられなくもない。そういうタイプだと思いますHSPって。

だからこそ、コロナ禍も軍事侵攻も予測済みの予定調和だったし、個人の中では「なるべくしてなっただけ」なわけですが、その中では様々な動きがあるので、触れられる部分には触れて、フォローなりなんなりしようかな、と。

「そんな事しても、お前には何の利益もないだろ?」

こういう事もよく言われますが、利益なんてみてねーから!

そうやって利益を追おうとするから、衝突したり争ったりに発展して、傷つけ合う、それを長い歴史の中で続けてるのが人間なので、いい加減楔を打てるところはうちたいだけ、なんですよ。

無駄に争って、お互いに負の感情を抱えるのは、損ですから。

とはいえ、千手観世音菩薩みたいに、もれなく誰でも救えるなんて土台無理なので、自分だからこその、自分に出来ることを、判断や取捨選択も伴わせてやってるだけ。

なので支えたり救いになったりもすれば、逆に傷つける事も厭わない。

1か0かではなく、1も0も合わせ持つ。

不名誉だ、汚名だもどんとこい。

対価と代償、リスクとリターン。

どっちか片方だけってのは無理ですからね。

ということで。

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