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あたまのなかみ

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日々の中で思ったことを徒然と。#ワタクシ論 #チラ裏 #人生
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点字ブロックと伯母と私。

‪街中で見かける点字ブロック。たまにその上に自転車停めたり、物を置いたりしてるとこを目に…

虚勢を張って生きている。本当は今すぐにでも全部投げ出して部屋の隅で丸くなって泣き出したいくらいの自分に、鎧を着けて仮面を着けて、兜を被せて立ち上がらせる。孤軍奮闘。背水の陣。選んだのは自分。震える足に力を込めて背筋を伸ばして立ち向かえ。

昔「お前のせいで人生が面白くない」と言われた事があった。その時はただグサりと深く矢が刺さって、酷く落ち込んだのだけれど、今ならあの矢を全力で斬り捨てる自信がある。お前の人生が面白くないのは120%お前が面白くないからだ。
「面白きことも無き世を面白く住みなすものは心なりけり」

「目的と手段」
社会で生きることが目的だとしたら、労働はその為の手段だ。
でもふと気が付くと、この目的と手段は入れ替わっていて、私は働く為に生きているような錯覚をする。
いかに生きるか?を見失ってしまったら、ちっぽけな自我なんて跡形も無く流されてしまうものなのだ。

波に洗われて丸くなった石だって、何かにぶつかって割れちゃえばまた角ができるじゃない。
丸くなることだけが正解みたいな言い方、しないで。

私は間違ってないと信じてここまで走ってきたけれど、不条理なことばかり次々立ち塞がってきて、その度に迂回したり、飛び越えたり、蹴り倒したりしてきた。しかしまたこうやって新たな問題が出てくると、自分の義はなんだったんだろう?って思っちゃうよね。あとどれだけのものを消耗すればいいんだろ

知識を掘り下げていくとき、私には多分何かしらの足掛かりが必要なんだと思う。広い荒野をただ漠然とシャベルで掘って行くよりも、「ここを手で掘るなら大体この辺りの地盤がいい」とか「降りて行くときはここに足を掛けると降りやすい」みたいな。そういうヒントは動機付けに結び付くような気がする。

自分の持ってる凹凸を欠陥とみなすか、個性と思うかは自分次第。

子どもの頃は大人になれば、胸が苦しくなるような窮屈な気持ちも、先の見えない不安感や焦燥感もまっさらに無くなると思ってた。でも大人になった今は分かる。閉塞感も不安感も焦燥感も完全には無くならない。ただ少しだけ鈍感になった感覚が輪郭をぼんやりさせてくれているに過ぎないんだって。