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焦燥感の春一番

この時期になると忘れかけていた焦燥感が再びやってくる日がたまにあります。
それは昨日のような冬の厳しい寒さが和らぎ、温かく強い風がビュウビュウと吹くような、台風の前の日のようなのに雲一つないようなそんな日だったりします。

中学生や高校生の時は、自分と言うアイデンティティを求めて、もしくは己は何にもなれずに死んでゆくのではないかという漠然とした不安から日々焦燥感に包まれ生きていました、が、年齢を重ねるににつれそれは諦観に変わっていきました。

けれどもその焦燥感が蘇る日がたまにあるのです。
今すぐ走り出したいような、ギターをかき鳴らして狂ったように叫びたいような、そんな気分になるのです。

けれど実際そんなことはしません、ただそんな日はいっぱい酒を飲みます。古い友人に連絡を取ることもあります。
焦燥感に身を任せめちゃくちゃな行動をとるには私は老いすぎました。もう昔のように明日の事を気にせず自己アピールする事は難しいのです。


きっとそれは誰にでもある事なのでしょう。暴走族だっていつまでも暴走はしていませんし、野球部だってほとんどの人は素振りを辞めていくのです。

それはよくある青春の終わり、それを同じ濃度で続けられる人はいなく無理に続けたとて水色になりやがて無色の春になってしまうのでしょう。


なので私も焦燥感の日は過去を愛しんで酒を飲むのです。春一番に乗って私へ届くぞわぞわとした焦燥感、夏の始まりのあの感じ、うだるような暑さの中に混じる金木犀の香り、それらは私の心を掻き乱し何かをやらなければいけない気にさせます。

もしその何かが分かったら、もしその何かのタイミングが来たなら、私はきっと走り出せます。その時まではじっと、泥にまみれて眠るのです。その時が来たら…その時が来たら…

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