見出し画像

雨潸々とこの身に落ちて②

翌日は、昨日とは打って変わって秋晴れになった。
天気が違うだけで、気分がこんなにも違う。つくづく単純な心身である。

我々は、豊後大野市にある用作公園を目指した。ここは、紅葉が有名である。
私自身が訪れるのは3〜4回目である。

昔久住に行く途中によく看板を見かけており、
「ようさく公園?なんじゃそれ。」
と、荻子とよく話していたのを思い出した。この公園、実は「ゆうじゃく公園」と読む。

当時、読み方に衝撃を受けた上に、何度か訪れているにも関わらず、その日、

「ようじゃく公園行こ〜」
と、終始言っていた自分。そして同じように何度か訪れている荻子も訂正しなかった。皆「ようじゃく公園」だと思っていると思う。

このように、あり得ない読み方というのは覚えられにくい。だから、人間の命名も、「誰しもが違和感なく読める漢字」にしてあげるべきだというのは私の持論である。

と、自身のミスを用作公園のネーミングのせいにしたところで、車は中九州横断道路を進んだ。
この道路は、大分市から熊本市に至る約120kmの地域高規格道路である。
私と荻子が社会人になってからの週末の探索で、一番通った道路じゃなかろうか。「大分市から熊本市に至る」となっているが、今のところ、竹田市辺りで止まっており、未完成である。
我々が探索していた頃は、もう少し手前の朝地くらいまでしか完成しておらず、その後は国道57号に接続していた。

竹田まで開通したのは平成31年なので、結構最近である。
今年の夏、家族で久住に行った時、この道路を何年ぶりかに通ったのだが、竹田でおろされた我々は、完全に方向感覚を失った。新しい道なので、ナビも対応出来ていなかった。

夫はこの辺の道にそんなに詳しくないのだが、私は長年の荻子との旅により、この辺は「庭」だと自負している。道を間違うわけがない。

しかし、私は見事に逆方向に夫を誘導してしまったのである。その後はナビに変な細い道を案内され、ビクビクしながら目的地に到着した。

実は私は……

ーー方向音痴である。

大分県の色々な道路は分かる。「ここは国道○号で、○○の辺りに行ける」とか、そのようなことには割と詳しい。

しかし、急にその地点におろされ、「○○に行くにはどっちに行けば良いか?」となった時、途端confuseである。しかも、何故か反対方向に行ってしまう確率が高い。

それに反して、荻子は方向感覚に優れている。荻子が言う方向に行けば大体間違いない。彼女の車にはナビが付いていないが、あまり困っている様子はない。まさに「歩くカーナビ」なのである。

我々は、中九州横断道路から国道57号に出るところでまた多少戸惑ったが、無事に用作公園に到着した。

娘が到着前2分くらいに、深い眠りについてしまったため、夫と娘を車に残し、私と荻子の2人で行くことになった。

見事。とても綺麗な紅葉を見ることが出来た。
花とかその他の自然のものは、写真に収めるとやはり、肉眼で見るよりは全く劣ってしまう。しかし、紅葉は写真でも綺麗さが伝わるので不思議である。それくらい、数え切れないほどの「色」が含まれている世界なのだろう。
「自然」において、こんなにたくさんの「色」が密集していることはそうそうない気がする。
自然の美しさに感動した我々は、池の周りを一周することにした。

こんなとこに来ると、写真家気取りになる私は、その日も紅葉を撮りまくっていた。
荻子に、「逆光やな、上手く撮れんのよな〜」等と言いながら紅葉を近くで撮ってみたり、遠くで撮ってみたりしていた。

すると、同じようにiPhoneで写真を撮っていたおじさんが近寄ってきた。
※我々はおじさんに絡まれやすい。(桃源郷②〜10月のひまわり

「逆光でも上手く撮れるいい方法ありますよ!」
と、おじさん。

ーーマジで?

そんな魔法のような方法があるとは!と身を乗り出す我々。

「ここをポンポンって押してね…そしたら太陽のマーク出るでしょ?」

それさ、
ーーHDRのことじゃね?

さすがに…
ーー知 っ て る 。

おじさんは我々にご丁寧にHDRの説明をしてくれた。我々は知らないテイで聞いた。
でもさすがに、
「えー⁉️そんな機能あるの⁉️」
みたいな盛り上がり方は出来ないので、
「あ、へぇぇぇ。そうなんですね。」
的な返しになる。でも、大人として、「教えてくれてありがとう」という態度は大切。
我々がお礼を言うとおじさんは、
「覚えておくと良い機能ですよ。」
と、ドヤ顔で言って満足気に去って行った。

私はおじさんに、写真の色味を加工出来るアプリを教えてあげたかった。

現代のiPhoneの画質はもちろん、アプリでの加工等もここ何年かでかなり発達してきた。ちょっと残念に撮れた写真なんかも、あとでいい感じに修正出来たりする。一眼レフ顔負けである。

でも、最近私の心に芽生える「ガチなカメラ欲しい」欲。
当然、結構な値段するので、家計と相談であるが、このような「趣味」に当たるものは、おそらく何年も相談が続き、結局買わない。
しかし、風景とか花とか撮るのが好きで、カメラについては、いつか買ってそうな自分。むしろ、買うべきなんじゃないかとすら思っている。

さて、紅葉を堪能した我々は、次の目的地「原尻の滝」へ向かう。
「原尻の滝」は、用作公園と同じ、豊後大野市にあり、緒方町というところに存在する。
大分県民にとっては、一度は行ったことがある馴染みのある滝ではなかろうか。

ところが先日、夫がこの滝を見たことがないという事実を知った。

ーーえ、一緒に行かんかったっけ?

夫とは、大学時代からの交際期間を含めると12年くらい一緒にいることになる。
社会人生活に病んで、週末になると大分県内の隅々を色んな人と旅していた私は、誰とどこに行ったとかがもうゴチャゴチャである。
当時は、平日の閉塞感の反動で、週末はほとんど家にいなかった。自分らしからぬ、誰とでも(女子に限る)どこにでも行く「尻軽感」が否めない状態であった。

夫はもっぱらインドアであり、たまに行くアウトドアなことはよく覚えている。私と滝を見たのは、熊本の「夫婦滝」だけだと言う。

私の記憶の混同ぶりも問題であるが、大分に36年住む夫が「原尻の滝」に行ったことがないという事実にも驚愕であった。

それはさておき、この「原尻の滝」は「東洋のナイアガラ」と呼ばれている。

ーーナイアガラに謝れ( ゚д゚)!

とは思ったものの、結構凄いと思う。

自然好きな私は、当然滝も結構まわっている。私が大分県内で一番凄い!と思った滝は、宇佐市安心院にある「東椎屋の滝」である。

それに次いで好きなのは、この「原尻の滝」である。
訪れた回数は、滝の中でダントツである。

滝は普通、山の中にあり、駐車場から少し高低差のあるところを歩いてやっと辿りつける…というところが多い。
しかし、この「原尻の滝」は、平地の田園風景の中に突然滝がある、というイメージである。
よく考えると何ともシュールな光景。
地理的にも割と分かりやすいところにあり、歩くのが面倒な私にとっては、とてもありがたい滝なのである。

そして、もう一つの見どころは、滝の正面にかかっている「吊り橋」。
子供の頃、初めてこの吊り橋を渡り、「こんなに揺れる橋があるのか!」と衝撃を受けたのを今でも覚えている。
この吊り橋から見る「原尻の滝」は素晴らしい。

娘は人生初吊り橋であったが、何も恐れることなく、私と夫に手をひかれ、普段と同じように歩いていた。こんなに非日常な体験をしているにも関わらず、吊り橋を渡り終えるまで終始真顔であった。

滝も素晴らしいが、この辺の風景も癒されるものがある。

上手く言えないが、なんともノスタルジックな気分になる。

世の中のあらゆることは、日々移り変わる。人の心なんかもそうである。

日々惑わされる。

そんな中、自分の中に「変わらない風景」があることは私にとって重要である。

風 散々と この身に荒れて
思いどおりにならない夢を 失なくしたりして
人はかよわい かよわいものですね
それでも未来達は 人待ち顔して微笑む
人生って 嬉しいものですね


という節を思い浮かべながら、我々は帰路についた。

この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?