人生はやめようとおもわないけれども。

這いつくばって書いている。
昨日は久しぶりにハイボールを自分で作って飲んだ。二杯飲んだので眠くなって寝た。
いろんなやらないといけないことがあったけれど、そういうのはとりあえず無視して寝た。そのため、結構元気に一日を過ごすことができた。
急にやらないといけないことがふってくることは確かにあるけれど、後ろ倒しになっていることが多いので、ちょっとこのサイクルを見直していきたいな、と考えている。
タスクシュート的な考えを導入している。もちろんきちんとそれが行えているわけではない。しかし、精神的に少し落ち着いてきたというか楽になってきた、ということは確かに言える。
明日のぶんの仕事を前日にぎゅっとやって事足れり、としてしまうことはちょっと避けていきたい。
そうではなくても緊急で仕事は降ってくる。
判断力や意志力のようなものをある程度発揮しないといけない。ただそれらは使用可能限度のようなものがある。

当たり前のことを言うようだけれど、そしてこのnoteには全く適応はできていないけれど、何かを書くというとき、下書きというのはとても大事である。
大学の時のゼミでもよく言われていた。文章は書いてそのまま出すのではなく、一日寝かして、次の日の朝読んでみることだと。それも声に出して読むとよいと。よい、というのは何かしらのミスに気が付けたり、よくわからない部分をフレッシュな頭で考えられる、ということなのだろう。
それとともに、書いているときはどうも、書きたいことというか頭の中にあるような概念や体を突き動かしているもの(まさに今の僕をうごかしているものなのだけれど)に体をのっとられている。
だから、というわけではないけれど、いったんそののっとりの相手をするのをやめるのである。はい、こうやって書いたからもういいでしょ、とのっとりにたいして説得をする。そののっとり感がなくなってはじめてみえてくる景色というものがある。

無駄なことを愛するためにも、無駄にとって無駄なことはやらないべきである。
僕は最近引き算を考えている。何を引いていくのかわからないけれど、少なくとも何もしない、という状態というのはとっても大事なので、やめてみて損することはないと思う。
ただやみくもにやめるのではなく。やめることを考えていきたい。

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