シンプルな考えを持っている人間はやがてシンプルな脳みそを持つことになってしまうだろうか。

シンプルな文章を心がけていきたい。
この文章自体がシンプルではないと僕は思う。
僕は、文章を正確に書きたい。これも少し違う。
僕は、文章を読んでくれる人にとって読みやすいように書きたい。
もうなんだか袋小路な感じである。やればやるほど、僕が書いた文章が自分の言いたいことから遠ざかっている。
何も考えずに文字を打つということもいいのだけれど、読む人のことを考えてみると、文章の書き方というものがもう一段階ステップアップしていくんじゃないかと最近もくろんでいる。こういう長ったらしい文章はカットしていくということも含めて。
大事なことはそんなに多くはないと思う。
何が大事なのだろうか。
暇や無駄な時間が大事だということ。自分と違う考えの人とかかわることが大事だということ…本当だろうか。僕はそこまで違う考えの人とかかわっているだろうか。
というより、同じ考えの人というものは存在しない気がする。
そう考えてみると、考え方の違う人といかにしゃべることができるか、というか、話を聞くことができるか、ということが大事なんじゃろうな、と思っている。
いろんな本を乱読というほどではないけれどつまみ食いしている現状。なんだか嫌だなと思う。ということで、『話の出来ない人と話す方法』をばりばり読んでいく。
読むということも、聞くということと同じく苦手ではない、と思い込んでいる。
最近は時間がないと言い訳をしてしまって読む量がとても減っている。ただこのへんも、気の持ちようじゃないけれど、やり方というものがあるものさ、と思っている。
いろいろ訂正してみて、何か見つけていく。訂正するエネルギーとして動機づけであってり、夢のようなものの設定がきっと大事なのだろう。
将来の夢とかそういうことをどうのこうのいうよりも、きょう一日をどう生きていくか、何をしていくか、ということの方がはるかに大事だということを最近は思っている。
それと同時に投資についても考えている。
お金を稼ぐという狭い意味の投資ではなくて、今ここに集中することででてくる余剰をどう使うか、と考える時点でもう投資なきがしてくる。
今ここに集中するのはそんなに悪くない、どころか、それが生きているということなんじゃないだろうかと最近は結構強く思っている。とてもシンプルな結論でよかった。

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