失恋したり、頭から血がでたりしたら、書いたらいい。笑ってもらえるようなネタにするんじゃなくて、そのまま、思ったことを。

今日は趣向を変えて全力でノートを書いていく。
全力、といっても何ができれば全力かどうかはわからない。
幼稚園の時に逆上がりができなかった。
今でも覚えているのが、近所に住んでいる女の子のことを好きだった。
幼稚園にある鉄棒で逆上がりの練習をするときに、気合を込めるために、『逆上がりができたら、〇〇ちゃんと結婚できる』と鼻息荒く気合を捻出していた。
もちろん逆上がりもできなかったし、〇〇ちゃんとは結婚もできていない。中学校に上がるときに引っ越したか何かだったと思う。記憶すらもおぼろげである。
中学校の時、体育の授業で、鉄棒があった。
僕は運動部に所属していたし、同級生は鉄棒でぐるぐるまわっていたので、さすがに…と思って逆上がりをやってみた。
ちょっとおしいところまでいって、地面にずさーっとなった。
もう目標は目と鼻の先だな、とほくそ笑んで、その体育の授業中ひたすら逆上がり続けた。正確には坂上がれていなかった。
驚くべきことに、両手の皮膚がずるずるになった。
鉄の匂いって血の匂いに似てるな、と物心がついたときから思っていたけれど、その時も同じように、鉄棒って鉄の棒だから血の匂いに似てるなぁとぼんやりと考えていた。普通に僕の両の手からでた血だった。

血のつながりでいうと、小学生の時にすべって受け身を取ろうとして逆にもっと加速して机の角で頭を切った。頭を切ったことがある人ならわかると思うけれど、ちょっと切るだけでかなり血が出る。どういう仕組みなのだろうか。僕は経験則でそれを知っているだけで原理はわからない。そういう帰納的にしかわかっていないのにわかった顔をしてしまうようなことで、世の中あふれてしまっているな、と感じる。ちなみにその頭をきったときは保健室まで歩いている道中に僕の血の道ができていた。たしか、校長先生かだれかの車に乗せてもらってちかくの病院に行った。今思うとなぜ先生の車だったのだろうかと疑問でならない。

そういう経験をして人は大人になっていく。こうやって書く事で、自分が大人になったことがわかる。書かなければいつまでたっても積み重ねることができない。失敗でも成功でもなんでも、書く事で救われることは多い。エッセーってそういうもんだと思う。

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