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三人目はなぜ泣かない?

1ヶ月前に3人目が生まれました。
そこで上の子(小1)からのたかだか7年、されど7年の子育てで気付いたこと、学んだことを、その中でも特に、1人目育児に奮闘していた時の自分に伝えるつもりで書きました。
というのも、やっぱり1人目が一番大変だったから。
先は見えなし、その不安や疲れに呼応するかのように、赤ん坊はよく泣くし。
そんなときに、私が聞いておいたら、きっと肩の力を抜けていただろうことが、今、コロナ禍で育児に奮闘する方の少しでも励みになれば:)

頑張らない(教育ママ編)

いきなり手前味噌ですが、私は何かと頑張るお母さんでした、笑
教育企業に勤めていること、我が子の成長が早目だったことも相まって、早期教育には全て手を出しました。ディズニー英語うん百万から、ドーマン博士のフラッシュカードまで。。。
育休もたっぷりとっていたので、自然派の掃除用具から、布おむつまで、ホント、子どもに良いであろうことはたくさん試しました。
そんな、私に言いたい。「そんなに頑張らなくてもいいよ」と。
頑張った過去の私を否定するつもりはないし、結局、私は全て知りたい、やりたいタイプなので、「やらない」選択肢はなかったと思うのですが、私の頑張るマインドが良くなかったと今なら思います。

そう、頑張る私は結果も期待してしまっていたのです。
上の娘は割と結果(のようなもの)を出してくるから、余計に拍車がかかってしまったのですが、汗。
それから私はアドラー心理学を学び、この執着を手放すことができたのですが、
その時の自分に声をかけてあげられるとしたら「その瞬間瞬間を、楽しんで」と。
教育熱心であることは今でも否定できないのだけれど、新しいことを学んだ瞬間、できなかったことができるようになった瞬間を、毎日一緒に楽しみながら、子どもと「私が」成長していこうと思えていれば、私はいかった肩をもっと下げられていたのではないかと、今でも内省しながらの毎日ですが。。。

頑張らない(寝かしつけ編)

どんだけ頑張らないのか、笑。
3人目の夜泣きに付き合いながら思うのは、寝かせようとするから大変なんだということ。赤ちゃんが寝れない気分なら、私は撮りためたドラマ観ながら抱っこしています。3人目の比じゃないくらいよく泣く1人目の時は、暗くしないと、静かにしないと、と思って夜中に一人で「ヨイヨイヨイ」とあやしたり、乳をあげたりしながら「寝れない〜涙」と思っていたのですが、今なら「ま、明日昼寝でもしよう」と割り切って夜中にドラマを観たりしています。暗くなくても、静かでなくても、赤ちゃんは寝るもんだと、上2人(ときには友達も混ざって)の大騒音の中、スヤスヤ眠る3人目を見て思いました。むしろ退院して家に戻った日、コロナ禍で面会できなかったので、初めて家族の声を聞いたその瞬間に、赤ちゃんがほっとした顔をしたような気がしたのです。この喧騒が、ここが僕の帰るところなんだと。

頑張らない(家事編)

最後の頑張らないは、家事です。これも私は今思うと、1人目の時は「1日中、家にいるんだから、ちゃんとやらないと」と誰に強制された訳でもないのに、思っていました。今は、子どもの寝かしつけで寝落ちしている間に洗濯と食器洗いなどは全て旦那がしてくれています。もちろん感謝をしているのだけど、以前はそこに「罪悪感」や「無力感」がありました。こんなこともできない自分、、と。
今は、できない自分にちゃんと自分でO Kを出してあげられています。そして自分のできることに注力しようと思っています。苦手やできないことを、これまでは若さ(体力や気力)で乗り切ったりして、見てみぬふり(できるふり)をしていたのです。でもそれをちゃんと受け入れてあげたら、次の景色が見えてきました。

できないことは、できる人がやってくれる。
できない時は、できないから助けて欲しいと言える。
私ができることで、できない人を助けられることがある。
両家とも近くにいない私にとっては、助けてもらえる近所、地域のママたちの存在が何よりの支えになりました。それはちゃんと「助けて」と言えるし「助けるよ」と言えるからだと思っています。

余談ですが、最近読んだ『スピリチュアルズ「わたしの謎」』(橘玲)の本が、私の「頑張らない」という主張しようと思った根拠です。
学力などは遺伝が7割、子どもは非共有環境(親の教育ではなく、子ども同士で経験する環境)が大きく影響する。だからこそ、地域で子育てできる、私にとってはいつも公園で友達と遊べる環境を作ることが何より大切なことで、今でも頑張ってよかったことだと思っています。

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