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哲学をする意味



今すぐ人生を今よりも良くする方法がある。しかも、0円で。
と言ったらどう思うでしょうか。
すごく怪しく感じたかと思います。

しかし実は私たち生きているもの全員が、毎日それをやっていて、もちろんあなたもそうであると言ったらどう思うでしょうか。

そんなはずはない。私の人生は順風満帆ではないのに」と思う方も多いと思います。しかし間違いなく私たちは、毎日のように人生をより良くしているのです。

そしてそれは我々が生まれた人類にのみ唯一与えられた能力であり特権なのです。これは訓練次第で誰でも精度を高めることができます。

今回の記事では、その能力を最大化して自分の人生を思うがままにコントロールする方法を解説します。

哲学とは思考


人生は不確かで、未知の出来事が私たちを待ち受けています。しかし、中には自分の方向性を見失い、困難に立ち向かえない人々がいます。彼らは自分自身の哲学的な指針を持たないことから、深刻な問題に直面しているのです。

全ての生き物の中で私たち人類にのみ、唯一許された能力・特権というのは『哲学』、つまり考えることです。

そして、ここからが重要です。

哲学を学び、哲学的な考え方を取り入れることで、私たちは人生の荒波に立ち向かう武器を手に入れるのです。哲学を学び、問いかけ、考えることは、人生の中での方向を示し、己の運命を切り拓く手段なのです。

『哲学』と急に言われても、そんな難しいことは堅苦しい書物の中だけの話で、自分の人生には関係ないと思われるかもしれませんね。

しかし哲学というのは簡単に言うと「一つの物事を深く考えること」ということです。

「何が正解なのか」「どう解釈すればいいのか」


わざわざ説明することでややこしく感じますが、これらは私たちが毎日行っている思考です。

頭の中で哲学をした結果、私たちは日々行動しているのです。


あなたの今の人生はあなたの思考の結果


あなたの人生の結果や現状は、あなたの脳内で哲学されたことが原因となっています。つまり、哲学の質を高めることができれば、人生を自動で良くすることができるようになります。これはお金をかけなくても誰でもできることなのです。

哲学は学問としては2500年以上の歴史がありますが、世界最古の哲学者と言われているソクラテスが「汝自身を知れ」つまり「自分をもっと知ろう」と提唱したことから始まりました。

一見自分のことは自分が一番詳しいと思いますが、一番難しいのが自分を理解することなのです。


自分を理解することのメリットは実は心理学にも役に立ちます。心理学においても「相手のことを理解したければ自分のことを理解しろ」という言葉があります。

仏教哲学でも「宇宙を作り出しているのはあなたの自我です」と説かれています。

この世の天国も地獄もあなたの認識次第であり、人生は全て自分次第なのです。もしあなたが今の環境に不満があったとしても、哲学した結果その場所を選んでいるのはあなた次第なのです。

自己を理解するのが難しいからこそ、我々の人生は難しいのです。

究極に自分を理解することができるかどうかが、良い人生を歩むための鍵となるのです。

なんのために哲学するのか


古代中国の哲学者『荀子』はこう言っています。

学びは単に立身出世のことのためではないのです。逆境に立ち向かい、困難に立ち向かう力を養い、悲しみに打ちひしがれない精神を持つためにあるのです。運命の波に乗り、落ち着いて禍福を受け入れる知恵を得るためのものなのです。」

つまり、なんのために哲学をするかというと出世や資格、収入をあげたりするもののためではなく、私たちが人生の苦難に際しても苦ともせず、志が折れないために行うものなのです。

しかしながら、このように哲学を繰り返し自分の生き方を整えていけば不思議なことに自然と収入も人間関係も、人生における全てのことが好転するようになるのです。

なぜなら、良いもの、良い人は、良い人のところへ集まってくるからです。
これはスピリチュアルでも主観的な偏った考えでも全くなく、自然の摂理であり法則なのです。

あなたも、わざわざ自分から悪いもの、悪い人のところへ行こうとは思わないはずです。

私たちは日々なんのために学習、経験をしているかというと、より良く生きるためです。自分の柱を強くするためのもの、最後に活きてくるのが哲学となります。

あなたが持っている才能


人間には大きく分けて2種類の才能があります。

本質的才能』と『付属的才能』の2種類です。

本質的才能は人徳・人格・人間力などあなたそのものの人間としての才能です。

付属的才能はスキル・キャリア・学歴など後から付け足しできる社会的な才能です。

どちらかの才能が突出していてもダメで、これら2つの才能をバランス良く保つことが重要になります。

なぜなら、高学歴でキャリアも豊富、仕事がバリバリできて社会的な地位は高いけど、人間性に欠如していて他人を敬わず、自分勝手にコントロールする人間のことは尊敬できないし、出来る限り関わりたくないですよね。

反対に、人格者ではあるけれど、学歴や職歴も乏しく、たとえ身の回りの人たちからは『良い人』と思われていたとしても、社会的に成功するための付属的才能が足りない人も大勢います。

哲学とは人間力を伸ばすために行う学問です。
本来は本質的才能を伸ばすべきなのに、付属的才能を伸ばすことにばかりフォーカスしているのが現代社会だと言えます。

しかしご安心ください。

本質的才能が育つと付属的才能も自然と伸びるのです。根っこや土がしっかりしていたら、大きい幹も葉も生まれるのです。

先ほど述べたような、『人格者だけど付属的才能が足りない』パターンの人たちも、いずれ何かしらの成功はします。

成功よりも成長を求めた結果、自然と成功も得られるのです。

人間力を高めるために哲学は重要


では、どうやったら自分を理解できるのでしょうか?

多くの人が勘違いしていますが、哲学とは本を読むことではありません。ただ目的もなく、カントやルソーやモンテスキューなどのそれっぽい本を読んでも意味はありません。

本を読むだけでは意味がないのです。哲学の本質とは『自分で考えること』なのです。物事の真理を言語化し、とことん探求することです。自分の偏った感情を一切入れずに物事を徹底的に追求することです。

追及するために先人の教えを知ろうとして哲学書を読むことは時には重要ですが、哲学書はHOW TO本ではありません。

自分で考えないといけませんし、哲学書事態も考え方を提起させるように書かれていないといけません。ただし、『哲学をしろ』と抽象的な提言だけをされても、どうしたらいいかわからないかと思います。

ここからは、私が推奨する誰でもできる哲学のし方をご紹介します。

南北的哲学法


理解してもらいやすくするために、ひとつ小話をさせてください。

ある国の小さな村人のほとんどは目が見えませんでした。
ある日旅人が象を連れてきました。

村人たちは象のことを知らなかったので、、6人の盲人が象を触って、その正体を突き止めようとしました。

1人目の盲人は象の鼻に触り、
「象とはヘビのようなものだ」と言いました

2人目の盲人は象の耳に触り、
「象とはうちわのようなものだ」と言いました

3人目の盲人は象の足に触り、
「象とは木の幹のようなものだ」と言いました

4人目の盲人は象の胴体に触り、
「象とは壁のようなものだ」と言いました

5人目の盲人は象のしっぽに触り、
「象とはロープのようなものだ」と言いました

6人目の盲人は象の牙に触り、
「象とは槍のようなものだ」と言いました

6人はみんな自分の意見が正しいと主張し合い、
いつまでたっても結論が出ることはありませんでした。

これは哲学を説く上で非常にわかりやすい話である上に、日常生活でも似たようなことはよく起きています。

面白いのは、この6人の盲人は誰一人間違っていないのです。
しかし全員が全体を見れていないことも事実なのです。

この寓話から教訓にできるのは、ものごとは多角的にみるべきであるということと、ほかの人の意見も受け入れる素直さを持とうということです。

この話を踏まえた上で、私が推奨する哲学の仕方をご紹介します。


①感情を入れずに物事の本質を見る


人は好きだと思って見たら好きにしか見れませんし、嫌いと思って見たら嫌いにしか見ることができないものです。

感情を入れて物事を見るのはフィルターが通り過ぎて確実に本質を見誤ります。純粋に感情を入れずに物事の本質を捉えることに挑戦してみましょう。
好き嫌い楽しい楽しくない快不快は入れないことが重要です。

②主観的・客観的に見る


自分側・相手側の両目線で見ることを心がけましょう。相手の行動にはすべて理由があるのです。

自分は善意で行動していても、相手にとっては不快なことがあるかもしれません。逆に、相手は悪意で行動しているように見えても、実は良いことをしてくれている場合もあります。起こった現実をただ眺めているだけでは、本質は見えません。


ある夕方、二人の友達が公園で遊んでいました。 
一人は寒いと思って、もう帰ろうと思いました。
なので、風邪をひいている友達に「早く家に帰って休んでね」と言いました。

風邪をひいている友達は「ありがとう、でも大丈夫だよ。元気だからね。」と答えました。

 でも、元気な友達は心配して、風邪をひいている友達に気を使って言ったのに、風邪をひいている友達は元気な友達が自分のことを心配しているとは考えず、意図的に自分を帰宅させようとしていると思いました。

この状況では、お互いの善意がうまく伝わらず、苦しみが生じました。

自分目線だけではなく、相手の意図を考えることができれば、人生の選択肢が一気に増える感覚を得られるはずです。

③弁証法


感情を入れず、相手の目線でも考えた上で、これらを併せて考えることを弁証法といいます。

対立する物事を許容しながら統合・進化・発展させていくのです。
中国では中庸という言葉がありますが、物事の真ん中を見るということが重要であると説かれています。

先ほどの象の例で例えると全員の意見を一致させれば

象とは、
ヘビのような鼻と
うちわのような耳と
木の幹のような足と
壁のような体と
ロープのようなしっぽと
槍のような牙
をもった生き物だ

と、実態にかなり近い結論を見出すことができます。


まとめ

このような考え方を持つのが南北式の哲学法です。

この考え方を持つことで、物事の間違いない真理を見出すことができます。

たくさんの真理が積み重なった人間は強いものです。
なぜなら、間違っていないことをたくさん持っているからです。

その時点で、それを持っていない多くの人たちよりも、圧倒的に人生が優位になるでしょう。

いかがでしたでしょうか。
これが0円でできる人生を良くするための方法です。

このスキルちゃ能力はできる限り人生の早い段階で習得しておくと、人生の攻略難易度が各段に下がっていくでしょう。


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