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「義」とは何か。

義という漢字は羊を解体することを表しており、
羊と刃物を合わせた会意文字です。

何を意味しているかと言いますと、古代では神様に羊の
いけにえを捧げていて、羊の腹を割いた時に内臓などを
全部出して神様に献上していました。

そのような腹に何もない状態が最大の誠心誠意であって、それを表しています。
腹が空虚で本当に何もない。真心をもって神にささげている訳ですね。
これが義の言葉の意味です。

これが中国の自然哲学の根幹を成す、「徳」と言われるところです。
「徳」というのは、天の性質を表わした言葉であり、
天が宿命的に背負った性質を、古代中国人は言語にしたのです。

中国から来た、自然哲学をやる者にとって
「徳」の字をしっかりと定義づけることが出来なければ、哲学を進める
ことは困難になりますから、しっかり押さえておいた方が良いですね。

天の徳である「義」とは、どういう事かと言うと
この宇宙空間は15億年の間に無限に近い星と無百億という銀河が
寸分違わず全てスケジュール通り運行しています。

これが天の「義」であります。
正しい法則が正しく実行されて、正しい結果が出ることも
天の義であります。
我々人間も宇宙から見れば、塵くずのようなものですが
我々は宇宙を構成する要素の一つであることも間違いないですよね。

生きようが死のうが宇宙の中の出来事であり、
これがよく、天からの分け御霊(みたま)と言われる概念です。

そもそも私達の命は、天から来ており、
我々は天の子供でもあるから、天の性質を色濃く受け継いでいます。
これが、人の徳の「義」ということですね。

人の徳の義とは、人として与えられた正しい役割を
正しく実行するということです。

天は見返りを求めないのと同様に、人として正しい行いをして
人から見返りを求めるのは義ではないです。
だから、人として与えられた正しい役割が天命であります。

僕の書籍にも「天命」についての本がございますので、詳しくはこちらをお読みください。

私たちは生きているが、生かされているという事でもあります。
生かされている意義が必ずあるのです。
「私の天命は悪事を働くことです」と言う者がいたのなら、
これは言語道断です。

天の性質に悪はないのです。
悪が天命となることはありえないということです。
義のために身を滅ぼすという、ことわざがありますが、自分の正義や信念のために自分の身体が犠牲になったとしても、それは立派な行いであります。


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