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20,09,12。プロレスの話⑬

短期間で消滅してしまったSWSでしたが、その登場が既存のプロレス団体に与えた影響は大きなものでした。

直接的な原因では無かったにせよ、最もあおりを受けたのは第二次UWFでしょう。今では多くの検証&インタビュー本で詳細が語られていますから今更自分が細かく書く事は控えますが、SWSに対する選手派遣問題に端を発したフロントとの対立から内紛が始まり、あれほどの勢いがあったにもかかわらず、あっという間に解散から分裂へと突き進んでしまいます。

旗揚げ当初6人しかいなかった所属レスラーも船木、鈴木、藤原の参戦と新人のデビューによって団体として充実を見せ、さらなる飛躍が期待されていましたからその解散劇はファンに衝撃を与えました。

第二次UWFとは逆に団体を引き締める事に成功したのは新日本と全日本の老舗団体でした。

もともと団体の歴史が分裂や離脱という波乱で彩られていた新日本プロレスは所属レスラーの契約や管理に力を入れ、かつては犬猿の仲とされていた全日本プロレスとの協調路線を取る事と闘魂三銃士の成長や幅広い若い世代の成長もあって一応の安定期を迎える事に成功します。

所属レスラーの多くとフロントに離脱された全日本プロレスは新日同様団体にとどまったレスラーに対して待遇UPと登用で報いる事で団体の勢いを取り戻す事に成功します。特に若いレスラー達の登用はその後にメインイベンタージャンボ鶴田の長期離脱もあって後の四天王時代への基盤となりました。

SWSの消滅によって所属していたレスラー達はいくつかの団体に分裂する事になりました。看板の天龍はWARを、他のレスラー達もいくつかの団体を旗揚げし分裂と再編を繰り返す事でプロレス界はさらなる多団体時代へと向かう事になります。

思えばこの頃から自分は「団体を追いかけるのではなくレスラー単位で試合を愉しむ」ようになっていった気がします。

老舗団体の安心して楽しめる試合に、3団体に分裂したUWF組のそれぞれの特色のある試合にFMWや天龍以外のレスラーの立ちあげた団体のどインディーな試合とより取り見取りではありましたが記憶に残っているのは元UWF組のレスラー達の試合だったように思います。

特に藤原組から再分裂した船木たちが旗揚げしたパンクラスは完全実力主義を標榜して実力差がある選手同士の試合では秒単位で試合が決着する事もアリと言う今までにないスタイルで目を見張らされました。

時は流れて90年代末にはアントニオ猪木の引退とジャイアント馬場の死去と言う正に一つの時代の終焉を感じさせる出来事がありましたが、この時期にはまだプロレスの勢いは衰えることは無く、自分もプロレスから心が離れる事はありませんでした。

そして迎えた90年代末から2000年代を迎える時期に勢いを増していったのはプロレスでは無く、かつて天才佐山サトルが夢に描いた世界的な総合格闘技イベントであり、一応競技として行われる試合の数々だったのです。

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