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ヒッピーによる自治区、クリスチャニアで見た新たな共生のかたち

 デンマークを訪れて一番印象的だった町、クリスチャニア。

 ここは、ヒッピーの人々が特別な自治権を持って暮らす町で、最近は観光地としても有名になりつつある場所です。

 何と言っても自治の認められ方がすごい。デンマーク政府が定める法律に従う必要はなく、自分たちで決めた9つのルールだけで、町が成り立っているんだって。ルールって言っても「暴力禁止」「ハードドラッグ禁止」とかの簡単なものだけで、デンマークでは禁止されているマリファナも、ここではOK。

 だから、観光客やコペンハーゲン市内に住む人々がここを訪れて、マリファナを吸って帰るということも往々にしてあるそう。(友人談)普通のカフェ?のようなお店で、タバコを吸うくらいの感じでマリファナを吸う人もいるから、観光で訪れる際には注意が必要みたい。あとその関係で、写真撮影が禁止されている場所もあるそう。

 建物の雰囲気もコペンハーゲンとは全く違う。少しGoogleで”クリスチャニア”と検索するだけで、それはわかると思う。私が訪れた時は夜だったから、あまり良い写真がないので、載せません…^^;  あ、トップに出てる画像はその時撮ったやつです。落書きの量が…おぢさん、ビックリです!(◎_◎;)この写真だけでも、コペンハーゲンとは違う空気感が流れてることは、分かるはず、、、!

 ユニークなデザインの手作りのお家や、水の上に立ってる(浮いてる)お家なんかもあったりして、とにかく自由。人々の服装も少しくだけた感じだった。写真があればわかりやすいのだけど、、、うーん、、、雑誌やネットに特集記事も多いので是非そちらを、、、、

 こっからは真面目なテンションでいきます。

 どうして、国の法律が適用されない国ができたのか。それは、デンマーク政府のある特別な意図があったから。(以後、友人談)法を守れない人々をただただ厳しく罰するのではなく、そうした人々も自由に生きられるような場所を作ったらどうなるか、それを確かめるために、実験的にクリスチャニアを作ったそう。法を国中に守らせて一部の人々の不満を溜めるよりも、ある程度開放的な場所があった方が、国全体の治安・平和が保たれるのではないかと考えたのだと思う。

 私は初めてこの話を聞いた時、かなり違和感があった。「法を守れない人はコペンハーゲンには住まわせない」と言ってるように聞こえたからだ。それってある意味、”排除”なんじゃないかなと思った。

 でも、きっとそうじゃない。実際に行ってみて、考えが変わった。そのきっかけを書こうと思います。

 まず、コペンハーゲンの街の中心からのアクセスが凄く良いこと。空港からであれ、街の中心からであれ、電車と徒歩を使えば30分以内でクリスチャニアに辿り着く。てっきり私は市の外れとかにあるのかと勘違いしていた。クリスチャニアのあるクリスチャンシャオンに渡るための橋では、車や自転車が他の道と同じくらいの交通量があった。つまり、それだけ普段から人々の往来があること、この町は決して市内の他の町から孤立しているわけではないということだ。人々はきっと、クリスチャニアの町をコペンハーゲンの一部として受け入れながら生活しているのだと感じた。

 次に、幼稚園や小学校が町の中にあり、子どもが育つ環境があること。クリスチャニア生まれ、クリスチャニア育ちの学生がコペンハーゲン市内の大学に通うということは珍しくないそう。不法者を集めて住まわせる町などでは決してなく、町で適用されているルールが違うだけ、生き方が違うだけなのだ。なんとなく怖いイメージがあったが、楽しそうに歩く子どもたちを見て、直感的にそう思った。

 更に、定期的にデンマークの警察が町を訪れること。この町がギャングの温床として機能してしまわないように、月に何度か警察が巡回に訪れるらしい。(友人談)クリスチャニアには、国の目が、良い意味で行き渡っている。

 最後に、住んでいる人々がとても楽しそうに活き活きとしていること。偶然入ったバーのようなカフェでは、タバコを吹かし、酒に酔いながらビリヤードを楽しむおじさん達や、それを階段に座ってビールを飲みながらニコニコ見守る店主のおばあちゃんがいた。店内は薄暗く、日本ではなかなか見ることのできなくなったジュークボックスもあったりして、なんだかワイルドだった。よそ者である私たちにも優しく接してくれた。愛想よくというよりも、「おう、いらっしゃい」というような感じで。

 不法の町だけど、全然怖くなかった。私が行った場所、出会った人たちが偶然優しかっただけなのかもしれないし、いったいどれほどの治安が保たれているかなんて、分からない。だけど、この町がコペンハーゲンから排除されているとは全く思えない。むしろクリスチャニアの町があることで、「市内での暮らしが自身に合わない場合でも、市内にいていいんだ」という安心感が、人々に対して与えられてるんじゃないんだろうか。それってむしろ、"排除"じゃなくて"包摂"じゃないのかなあ。

 私は正しく生きることが偉いことだと思って生きてきたけど、本当にそうなんだろうか。法は破ってはいけないものとされてるけど、それを守れない人はただの悪い人なのだろうか。そして、私たちの住む社会では、半ば無意識のうちに、法律を守れない人をを非常識な人として抑圧し、排除してしまってるけど、それでいいのかなあ〜と思った。

 もちろん、人々の平和な暮らしを守るために、法律はあってしかるべきものだと思う。ただ同時に、良くも悪くも、法律は人々に常識というものを植え付けてしまう。一長一短だから、どれがいいとかは言えないけど、日本とデンマークの社会どちらに寛容さがあるかと聞かれたら、答えは明白なんじゃないかなあ。

  法を守れない人にも居場所を!って声高に言いたいんじゃなくて、ルールを守れるということだけに価値を置き過ぎるのも、もったいないのかもって思ったよってことが言いたかった。

 おぢさん風に言うと
「え゛〜〜!おぢさん、ルールに従うのめっちゃ大切!って思ってたから、目からウロコです^^;!色んな生き方が許されるって幸せダナッ!マッタク!プンプン!」です。

 デンマークは、法が適用されない場所を作ることで、人々の生き方をもっと幅広く、豊かなものにしているように感じた。法律に遵守する人も、法律に囚われず自由に生きる人も、誰もが暮らせる、新たな共生の形が、そこにはあった。                                     

 「もっと肩の力を抜いて生きてもいいんじゃない」そんな雰囲気がクリスチャニアにはあって、何だかすごく好きだった。

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