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『キラキラ ファントム ストリーム』に2年間振り回された男の乱文

初めに

『おそ松さん』『おそ松くん』を原作とした言わずと知れたアニメ作品である。
製作発表からキャストや初回放送(第1期1話は中でも伝説だと思う)、各クールの最終回まで話題に事欠くことがなく、(主に女性をメインターゲットに)大きく盛り上がった作品なので、観てはいなくとも存在は知っている人は多いのではないだろうか。
今回はその『おそ松さん』第3期14話について感想を書いていきたい。

今更?

なぜ今『おそ松さん』の、しかも第3期14話という特定の回について感想を書こうと思ったのか。
自分はこの回を録画だったが放送翌日くらいには観ていたと記憶しているが、観ている最中からなにか心に引っかかる感じが続いていた。
当時は自分の周りに『おそ松さん』を観ているかつ感想を語り合うような友人がおらず、またSNSやブログに文章としてまとめようとしてもうまく書くことができなかった。

今でも明確に言葉にできている訳では無いけれど、その引っかかった気持ちを言葉にしてみたい思いはずっと頭の片隅で残っており、その供養のようなものという主旨の記事になっている。まとまりのないまま書いたら支離滅裂な乱文が3000字くらい出来上がっていた。
この話を観てこんなことを思ったやつがいるんだな~程度に思ってくれれば嬉しい。

それでは1本目の『ワカサギ釣り』から感想を書いていこうと思う。

『ワカサギ釣り』

SFホラー短編みたいな話。
ワカサギ釣りを楽しむ6つ子が次々いなくなり、最後に残ったトド松もエロ本に文字通り釣られて、巨人(赤塚不二夫作品によくいるキャラ)に釣られ天ぷらとして揚げられてしまう。

14話のアバンに位置するとても短い話ではあるが、展開やオチ、SF的な考察も捗る良い話。エロ本に釣られるところは笑ったが、人間の上位種としての巨人の存在やおそらくこれから美味しく頂かれるであろう天ぷらになってしまった6つ子を見ると、ギャグに覆われたSFホラーを味わうことができる。

赤塚作品はあまり詳しくはないが、藤子・F・不二雄先生の短編作品にはこういったテイストのものが多いのでこの話が好みであればお勧め。

『死闘』

雪が積もった家の前で雪玉をひたすら投げ合う話。
『おそ松さん』得意分野の「考えるな感じろ」系の話で、勢いで4分間を走り抜ける話でもある。

野球選手ネタやマトリックスネタ、ドラゴンボールネタとオマージュがちりばめられており、14話の中でいつもの『おそ松さん』感がある。もしかしたら僕が分かっていなかっただけで他にも元ネタがあるのかもしれない。(絶対あるだろうな……)

初見はギャグ漫画のような展開(そもそもギャグ漫画が原案ではあるけれど)に個人の好みに合う合わないがはっきりする話で、僕自身あまり笑ったり面白いと感じなかった。
しかし、そんな僕でも次の『キラキラ ファントム ストリーム』を観返したときにはこの勢いと意味不明さに実家のような安心感を覚えてしまった。

『キラキラ ファントム ストリーム』

『死闘』に安心感を感じる直接的な原因であり、この記事を書きたい衝動に駆られた一番の要因は3本目の『キラキラ ファントム ストリーム』(以下『KFS』と略す)だ。

あらすじとしては、3期準レギュラーのAIロボット「おむすび」の二人がお笑い活動をしていることを知ったチョロ松が、自分もなにか「キラキラ」できることを探して迷走する話である。
大まかな流れはこれまでの放送でも度々あった、6つ子へのニートいじり(仕事ではなく趣味の範囲でもあるので少し違うかもしれないが)ではある。だが他の話とは異なり、個人的にこの話は自分自身に刺さった。それは迷走しているチョロ松の心情に身に覚えがあったからだ。

チョロ松はおむすびの二人がネタ作りしているところだけでなく、実際にお笑いのライブをしているところまで見に行っている。十四松を巻き込んだチョロ松の『KFS』という迷走はここからはじまるのだが、身近な人がなにか活動しているのを見ると、自分もなにかをやりたくなる気持ちは筆者にはとても理解できた。
自分にとってそれは友人が参加していたコミケやオンリーといった同人誌即売会、趣味で鑑賞しに行く舞台や展示会がそれに当たる。

十四松を振り回しながら無理にでも「キラキラできること」を探す『KFS』のチョロ松は、「面倒で厄介なワナビーだなww」と苦笑する対象であるはずなのに、感情移入してしまっているのでチョロ松に言われていることが、「誰かの活動を見て何かをやりたくなるのはイタいことなの?」と自分にも響く。

初見から時間が経っている今、類似点があるとはいえチョロ松と自身の動機・目的は同じではないことは飲み込むことができた。
チョロ松は「キラキラしたいから」が動機の大きな割合を占めている。キラキラして見えることにも裏側があり、その分だけ苦痛もある。作中でも各キャラの「キラキラ」している活動の裏側を視聴者にはわかりやすく同時に見せているが、チョロ松には見えていない(映像的にも心情的にも)。

きっかけとなったおにぎりを始め、チョロ松がキラキラしていると思っている作中のキャラはキラキラしたいからやっているのではない。苦しいことはあるけれど好きなことを楽しそうにやっているからキラキラして見えるが、チョロ松はそれが逆になってしまっている。
身近なキラキラした人を見てやりたいことを探し始めることは間違っているわけではない。

では『KFS』との違いはどこにあるのか?
一つは前述した、目的が「キラキラしたいから」であるかどうかだと思う。
目的が先行してしまって、その活動に対しての未練がないので、つらくなったらすぐ辞めてしまうのは『KFS』であるといえるだろう。

また、チョロ松は「人に応援を強要する」こともしていた。これは『KFS』以前の問題で、応援は自発的にするものであって、強要されるのは迷惑以外の何物でもない。宣伝だったり告知だったりは必要な活動だが、度が過ぎると「イタいやつ」どころか害悪判定されてしまう。活動の準備を押し付けるのは論外。

誰かに影響されて何かを始めるのは悪いことではない。
「しなくちゃいけない」ではなく、「やりたい!」という気持ちを持って、他人に迷惑をかけないことを心がけていれば『KFS』になることはないのではないだろうか。

作中にある十四松の台詞がすべてかもしれない。

いい加減にしろ。自分なさすぎ、周りに振り回されすぎ。大変そうとか面倒そうとか、そりゃそうでしょ。それじゃ続くわけないよ。だって自分で決めてない。やりたいことなんて見つかるかブァーカ!

十四松

十四松を巻き込んで自分のやりたいことを探させたり突発的に流行りに乗っかっては事前準備を十四松に押し付けた上に「なにか違う」といってやりもしない。(お礼も言わない)
そんなチョロ松の返しの台詞はどうしようもないやつだと思うと同時に、やりたいことの探し方もわからないことに切なくもなってしまった。

こっちはなぁ、別にやりたいこと見つけたいわけじゃないんだよ!ただキラキラしたいだけ。メインの目的はそっちじゃい

だってみんなキラキラしてんじゃん。僕だけキラキラしてないじゃん?でもやりたいこと特にないし。探しても見つからないし?探し方もわかんないし。見つけたと思ったら幻で?やりたいことを自分から作ったら、そういうのは偽物だとか怒られるし。じゃあどうすりゃいいんだよ。どうやったらキラキラできますか?皆さんどうやってますか?ちくしょー!

チョロ松

ギャグアニメだからそんなに切実な訴えではなく、十四松のアドバイスや指摘がど正論で、チョロ松が面倒で厄介なワナビーになっているのを「いるよなこんなやつ~」で笑うのがこの回の正しい見方なんだろうけど。

終わりに

放送時から2年の間、もやもやし続けて文章化できなかったことが以上である。
ダラダラ書いているが、要は「趣味は人に迷惑かけないようにやりたいことをやってもいいよね?」ということを再確認したよ、という内容でした。

ネットの片隅で文章を書くことが筆者のやりたいことの一つ。
「やりたい!」という気持ちと目標を持ち続けて来年は定期的に記事を書いていきたい。

チラ裏乱文をここまで読んでいただき感謝。

おわり

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