【寝言】2106.05.26

【寝言】ふと、自分の「理想とする楽園」とはどんなところだろう、とぼんやり考えていて、そこに「他者の存在を必要とするのかどうか」という問題で立ち止まってしまった。
「自分の理想とする楽園」を思い描く時、そこに「他者が存在するかどうか(その存在を容認するかどうか)」と考えると、とてもむずかしい問題に思えてくる。それは「自分の理想とする世界」が、「他者を含む」のか「他者の存在を容認する」のか、または「他者の存在を拒絶」するのか、という検証を求められることになるからである。
それは、もう一つの問題として「自分の思い描く楽園」と「否応なく他者が介在せざるを得ない現実」とのギャップをどう意識するか、どこで折り合いをつけるか、どこで突っぱねるか、という「現実の、あるいは現実的な」生き方、というか、社会的な対応の仕方に対する、自分なりの判断基準になる。
というわけで、「自分の理想の楽園」を考えることは、もしかしたら「自分のどうしようもない現実」を、図らずも浮かび上がらせてしまうことにもなりかねず、「楽園」について考えることは、実はとても怖いことなのではないか、と思う今夜である。
まあ、明日の朝には忘れてしまっているだろうが。

この文章を書いたことすらも、忘れていたりして(笑)。

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