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子供の話を聴くこと

昨日、子供の話を聴くことができた。
昨日は「聴くことができた」と思えた。

高1の息子。
とても夜に帰って来た。
大体のことはLINEで問うて返事をもらってたけど、それにしても遅かった。
それ以上突っ込んで聞くかどうか、迷った。
まぁ、いいか…と思った矢先、
私の口は勝手に動いていた。
「なんでこんなに遅くなったの?」
あれ?聞いちゃった👅…って感じだった。
嫌がられるよな…こういうの… という内心。

息子は話し始めたけど、聞いても、そこまで遅くなる理由には、私の中では繋がらなかった。
「それでこんな時間にはならないな…」
また私の口は言っていた…もうちょっと遠慮しろよ… という内心。
その台詞に怒りの芽生えも入ってしまっていたと思う。

でも息子は、話を続けてくれた。
怒りの芽生えはそのままに、私は聴いた。聴き続けた。
聴き続けていると、だんだん印象が変わって来て、怒りの芽は引っ込んだ。それどころか、息子を思いやった。息子は、友達とのやり取りの中で、悲しい思いをして帰って来たことが分かったのだ。これは本人も想像以上にダメージがデカいのではないか?と思えることだった。
その心情を、息子が私に吐露してくれたこと。
私でないとしても、吐露できたこと。
そこに嬉しさと安心があった。
この思いを吐露できなければ、息子はもっと苦しかっただろう?
私に吐露できる関係性で、そして頭ごなしに怒ったりしないで、本当に良かった…と思った。
話を最後まで聴いて、本当に良かった。

いつも、子供の話をゆっくり聴いてあげられてないな…という思いがあった。いや、思春期だし、そんなに深いことを母に話して来ること自体がそんなに無い。でも学校の話、YouTubeの話とか、何か軽めの話はして来たりするけど、軽いし私が興味ないことだったり、私は自分のことに集中したかったりで、ちゃんと聞くってことができてない、と。
あぁ、でも、肝心な時に聴けて、最後まで聴けて、そして寄り添うことができて、ホッとした。

私は、体も心も冷えてるだろうと思った息子に、ゆたぽんをレンチンして渡した。
布団に横になった息子に、掛け布団と、新たに毛布を掛けてやった。
ゆっくり、ポカポカと眠って欲しかった。

今朝、息子は学校の時間に起きれなかった。
本人は単純に、ただ眠くて眠くて起きられないようだったが、私には、やはり昨日のダメージが大きいように見えた。
私は、「(学校)休む?」と提案した。
息子は最初は行こうとしていたが、ふっ…と
休む方を選択した。
私が、子供が学校を休むことに抵抗が無いのは、上の娘で不登校を経験しているからだ。その時々の状況によっては、簡単に休んでいいと思えるようになった。本当に不登校は役に立っている。私を強くしたし、視野を広げたし、本当に大事なことは何か?を見る目をくれた。

息子は、昼まで、よく眠った。
起きた時は、元気そうに回復していた。
単純に睡眠が…かもしれないし、彼なりに何かを受け止めたり消化したのかもしれない。
私からはもう、その話はしなかった。

話を聴けたこと。学校を休ませられたことに、
私は、満足した。成長したもんだ。

私は、話を聴くことを仕事にしたいと思っている。よそ様の話を聴くよりも、自分の子供の話を聴くことの方が実は難しい。客観性に欠けてしまいやすい、要らぬ感情が入り込む。
でも、こうして、一番近くの人の話を聴けて、これ無しに、始まれないと思った。

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