見出し画像

女子校出身で思うこと

私は女子校出身
高校3年間のみだけど。御三家と言われるような女子校には及ばない横浜の小さな女子校だったけど、その地味さが良いと母が気に入っていた。もう15年も前の話。その学校をどうしても志望したという訳ではなく、背伸びして学区内の公立高校No3、安全牌はNo4という中途半端な学力。しかもそのNo3とNo4の偏差値が結構大きい。ならば推薦で私立、という考えでの入学だった。通っていた公立中学の制服がブレザーだったから、私立の女子校でセーラー服というのにも惹かれた。15歳なんてそんなもの。そんな感じで「横浜のセーラー服の女子校」での生活が始まった。

本中と外部
この「女子校御三家」という本が興味深かった。書いてあるのは桜蔭、女子学院、雙葉という一流の女子校だけど、私の学校にも通じるものがある。その一つである「内部と外部」という言葉。所謂下から来ているのが内部で、途中入学が外部。私の学校は中学高校のみなので、付属中学からの生徒は「本中」と呼ばれ、私のような高校からの入学生は「外部」と呼ばれた。まあそれも最初の一年で、途中からはごちゃ混ぜになるし、卒業の時になれば誰が本中で外部かなんて分からなくなっていた。実際、私も2年生の時から卒業までよく遊んでいたのは本中生の子だった。

淑女で、且つ活躍する女性を
活躍する女性を目指すために英語教育に力を入れている学校だった。夏休みに行われるアメリカでのホームステイが魅力的だったが、不運なことに入学した年の秋に起こったニューヨークでのテロにより渡米プログラムが中止され、卒業までそのホームステイが再開されることはなかった。
この本で考えさせられたのは「活躍する女性」の定義。御三家どこでも共通しているのが「社会で活躍できる女性」を育てること。この御三家に限らず、日本の女子校はこの目標を掲げている学校がほとんどだと思う。では何を以って「活躍している」とみなすのか。特にこの御三家は優秀であるため毎年東大入学者を多数輩出し、医者や弁護士、政治家など華々しく活躍し且つ国のために働く人材を育てている。私の幼馴染みにも桜蔭を卒業後東大に進み、現在は経済産業省に勤めている才女がいる。私だって才女ではないながらも女子校卒業後は看護学校に進み、現在は大学病院で看護師として働き、社会に貢献しているつもりだ。お互い結婚はしておらず、もちろん子どももいない。しかし中には結婚をし子どもを数人産み家庭を守っている同級生も多くいる。また独身のままで好きなことを追求したり、海外で仕事をしている同級生も多い。今では「勝ち組負け組」というのは死語だろう。活躍の仕方が多種多様で「勝ち組」の定義も多様化している。にも関わらず「活躍する女性」を考えた時に思い浮かぶのは、バリバリ働く女性だというのがつまらない。しかし結婚と仕事を別けてしまっているのは他ならぬ私達女性。
女子校にいた時も本中外部の括りが薄れてくると、今度はギャル組や秀才組など新たなグループができていた。グループ化された中でもそれぞれの役割があったものだ。私は新聞部に属し、ギャル組が遊ぶことで思春期特有の不満を発散させていた時、新聞記事に思いをぶつけたりした。今でも文章を書くという習慣が残っている程、女子校で経験したことが大きい。それが私の活躍するコアになっている。「活躍する女性」というのが何かに括られるものにならないことを願う。それが「社会で活躍できる女性を」の中で育った女子校出身のプライド。
#女子校 #女性の活躍

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?