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陽の光を観て。

今年はどんな年にしよう。
今、何を大事にしたい??

そんなことを悶々と考えていたら気づいたら1ヶ月が経っていた(考えすぎ)。
でもこの1ヶ月の中でたくさん大事なものが見えた。
大事にしたいものも見えた。
2022年、さぁどんな年にしようか。



2022年のテーマ、それは
「審<陽>眼」

美を識別する眼力という意味の「審美眼」をもじった造語だ。

これをテーマにしたのは、
人と人との関係において、やわらかくあたたかい陽だまりのような部分で交差し合いたい、と思ったから。
そう思ったのは、とあるコミュニティから少し距離を置くことを決めたことがきっかけだった。

今までとてもお世話になっていたコミュニティ。
次に行くための決断として、距離を置くことを決めた。そこの人たちが大好きなことに変わりはない。自分のためだけの選択だった。

距離を置く、ということを伝えるのはとても怖かった。やってもらったことがたくさんある中で、今わたしが離れて迷惑をかけることもたくさんあるから。

「状況考えてよ!」「そんな理由で?」

なんて言われたらどうしよう、、、。いや、そこの人たちが人を責めることは絶対になかったから、そんな言葉を言われることは絶対にない。でも頭の中では思われたらどうしよう、、、。

相手の気持ちを想像するだけなんて意味がないのに、わたしの不安な気持ちはどうしたって膨らむばかりで。そうやって人からどう思われるかに恐れて、何も伝えず変わらない時間だけが過ぎていった。

でも、その時間さえも苦しくなってきたわたしは
"これは伝えないと進めない!"と、勇気を振り絞り伝えてみることにした。すると、思いがけない言葉が返ってきた。

「いいじゃん!」
「今までありがとう」
「自分の時間を大事にしてね」

とても暖かかった。泪が込み上げてきた。

と同時に、本当にごめんなさい、という気持ちになった。わたしはこれまで、この人たちの何を見てきたのだろうと。

絶対侮辱や怒りの言葉をぶつけられることはないとわかっている関係性でも、自分で空想の相手を生み出して、勝手に怒らせてたり悲しませたり。おまけにわたしも勝手に恐れて、勝手に落ち込んで、被害者になって逃げていた。

こんなにも大切にしてもらえていたのに。
こんなにも想ってもらえていたのに。
その人をどんな人だと思ってきてたんだ。
される・されたと被害者ぶって、勝手に恐れて怖がっていた自分に憤りを感じた。

そして、この苛立ちとともに、
わたしは決めた。

《恐れではなく、愛を信じる》ということを。

人のやさしさや、純粋な気持ち、
してもらえてること、受け取っているもの。
そんな温かさや優しさ、美しさは、
きっとどの瞬間にもある。

それなのに恐れを信じていたわたしは
そんなものはなかったかのように、
もはや攻められているかのようにして、
自分を守ることしか考えられなくなっていた。

でも、
勇気が湧くのはいつだって愛を信じているときだ。

だから、わたしは光(陽)をみる。
やわらかくてあたたかい、
陽だまりのような光を。
もしかしたら恐れが出てくるかもしれないけど、その時もまた、陽の光を見つけて「観る」。

そうすればきっと、最後に信じられるのは
恐れではなく、愛だと思うから。

そこに在る、愛を、光を、
観て、交差して
人と関わっていきたい。

こうして2022年の始まった今、
大事にしたいことが見つかった。

悶々と考えていたのは、ある種この出来事を待っていたのかもしれないな、、、。

2022年、
たくさん日向ぼっこする年にするんだ~- ̗̀ ☺︎ ̖́-
カラダもこころも。

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