港区や渋谷区に住んでも生きづらさは解消しないのだろう

すごく個人的な話を書かせてください。私のnoteなので誰に断るいわれもないのですが・・・。

ちょっとしたお金、愛、そこそこのお顔。

ぶっちゃけいちおう今の私には揃っていると思います。10年間必死に働いてきて、ちょろっと資産はできました。「すごく頑張ってる」ってみんなに言われます。そして完璧な相手とはほど遠いが私なりに求めた人と結婚もできました。それから、美人ってわけじゃないけれども、別に顔にコンプレックスを抱いて整形にハマっているわけでもありません。女に必要とされるお金・愛・顔、全部もってるかもしれない。

それなのに日々つらくて。
とてもとてもつらくて。
人生ずっとつらかったんですが、それは10年前まで金がなくて愛がなくてとりたてて美人じゃないから?と思っていたのですが、よくよく考えると全部あってもまだつらいんです。

考えることがおかしいので「このつらさは渋谷区港区のタワマンに住めば解決するのでは?」と思って一生懸命働いていますけれども、たぶん解決しない。今までの人生ずっと目標を達成しても何も現実はわからなかったから。

ところが小さな出来事がきっかけで、そのつらさが取れかけています。その話を書かせてください。ほんとうにささいな出来事なので、時間のムダになったら申し訳ないのですが・・・

満たされた感情

先日、夫に誘われてTwitterに新規アカウントを作りました。お互い適当に作って、目の前にある適当なモノの名前をつけた適当な新規アカウント。フォロワーは夫だけ。

そのアカウントを使用してある有名人のスペースに参加したんです。スペースとはTwitterでできる音声交流の機能なんですが、別宅の夫に指示され、そのスペースでスピーカーに参加し、上げてもらいました。

で、話を1時間ぐらいしたのですが、結構話が弾んでディスカッションになったのと、それを聞いていた人達が「すごくよかった!」と沢山リプライをくれて大絶賛してくれたんです。

すごく満たされた感情が生まれました。

コミュニケーションを褒められたことも嬉しかったのですが、ああ、そういうことかと。私はちょっと考えることがおかしいので、これまでの人生でずっと人と話が合わなかった。こちらの言うことがおかしいから。このコミュニケーション不全がずーっと40年以上続いて、今も続いていてそれがとても大きなストレスになって日々のしかかっていたのかもしれないと。

生きづらさが取れる予感

平行して10年のフリーランス生活によって「聞く」ができるようになりました。ただ聞いて同調して忖度するだけでなく、外部の人間として言うべきことを言わねばならない。毎日のようにあるWeb会議がその訓練となり、聞く姿勢ができ、いつのまにか話を聞き終わったあと自分の意見をはっきり言えるようになっていました。

つまらない人間ですから、自分から有意義な発信は難しいです。世間様に言いたいことなど別にないから。でも聞いて考えて、整理して打ち返し、その後で自分の意見をくっつけるぐらいならいつの間にかできるようになっていたのです。

するとコミュニケーション不全が解消しすごく充実感が残りました。夫もそのスペースを聞いており褒めてくれました。夫にもみんなにも褒められたのと別で自分も手応えがあったのと。

なんか生きづらさが取れそうな予感がするのです。

そもそも“生きづらさ”とは?

生きづらさとは2種類あると考えます。空気を読みすぎても、空気を無視しても、つぶれてしまう。まわりからの同調圧力に敏感すぎると自分の意見が押しつぶされてしまいます。一方、空気を無視しつづけるといつかは壊れます。大抵の人は前者の生きづらさがあると思うんですが、私は後者でした。

私のつらさは慢性的なコミュニケーション不全があったのだと、それがストレスの元だったと自覚した次第です。そしてコミュニケーションは“コミュ力”というぐらいだからある程度は伸ばしていけるはず。仕事のWeb会議が結果として聞く訓練になり、私生活でも聞いたり話したりがスムーズにできるようになって、驚くほど心身のつらさが取れた、という話でした。

ちなみにタイトルよくないですね。渋谷区港区には住んでおりませんw


ご依頼等ございましたら、ここに少額を投げていただきメッセージを書いていただけると折り返します。