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SNSでの誹謗中傷


SNSをやっていない人や、特に気にしないよ..という方にとっては無縁なテーマです。
でも、もらい事故のようにたまたま嫌なコメントを目にすることもあれば、あなたの大切な人が辛い思いをすることがあるかもしれません。
実際私の周りにも、悩んでいる人がたくさんいて、これはSNSがなくならない限り、避けることのできない社会問題であると考えています。

ここからは、検索でたどり着いた方々にも寄り添えるよう、私自身の経験をもとに、心の持ち方について書いていきたいと思います。


人付き合いは自分のペースで


趣味の登山を例えに書いてみます✐☡
登山家の中には、「富士山や槍ヶ岳」を登る人、縦走する人、中には世界的に難易度が高い「有名な山」を登る人、そして私のように同じ山を何度も登る人、色々な人がいます。
数人で登るときは、経験や体力に差があるので、少しずつバラけて、それぞれのペースで登っていきます。
高度が上がると酸素が薄くなるので、頭痛がしてくることもありますが、これは休むのではなくリタイアのサインだということは、登山をする人であれば知っておきたい知識です..。頂上目の前にリタイア?せっかくみんなで来たのに?
何が言いたいかというと、大切なのは、頂上まで行くことや、立ち止まらないことではなく、「自分のペースで登る」ということ。

そしてゆっくり自分のペースで登っている時も、必ず似たようなペースで登っている人がいるということ。これに気づける余裕を持っておくことは、生きていくうえでとても大切だと思います。
山に登るときは、同じペースで登る人たちとのコミュニティを大切にすれば、それで十分です。そのコミュニティも、下山すればやがてなくなりますが、麓ではまた違う人たちと過ごします。これが人間関係というものではないか...と思うのです。
自分が変われば、当然関わる人も変わる。仕事でもプライベートでも、その時々、近しいペースの人たちと交流すれば良いのです。 

隣の土俵にいるアンチと相撲を取る

有名な登山家も、マイペースな私たちも、みんな登ること、進むことに一生懸命です。
誹謗中傷してくる人は、どんなペースの人にも自由に攻撃してきますが、そもそもこういう人たちは、登ってすらいない人たちです。皆がそこに行きつくまでに経験した苦労や、かけた時間などを想像できない人。登ろうとしたこともないから、想像できないのは当然ですよね。
そう考えると、一生懸命山を登っている途中に、登ってもいない人たちから言われたことで、足を止めてしまうのはもったいないなと思うのです。
登頂時にしか味わえない景色を堪能し、一緒に登っている人たちの声に耳を傾けた方が、生きやすい気がします。私たちが登山している時間、アンチがどんなに頑張ってもすれ違うことはないのです。
誹謗中傷で心をいため、歩をやめてしまうことは、遠く離れた土俵にいる人と相撲を取っているような…それくらい無意味なエネルギーを消耗しているのと同じです。

優しい気持ちでいられなくなったら離れる

私自身、SNS歴が長い分、色々な経験をしてきたつもりでいます。なので歩を止めたくなった時には、少し距離をおくようにしています。
優しい気持ちでいられなくなったとき、それは離れどきです。
意識的にSNSから離れるため、長い時間台所に立ち、ひたすら料理をしたり、デジタルがなかった時代の本をだらだらと読んだりします。

そうしているうちに、こういうことで悩んでいる今も、時は流れている...ということに気づくのです。
もっと考えなくてはいけないことや、大切な人たちとの時間がある..と我に返ります。
SNSは、心擦り減らしてまで、続けなくていいし、悩まなくていい。いつやめたっていいのです。
辛さが楽しさを上回ったら、何も良いことなんてありませんよね。私たちには、絶対的に守られるべき“人としての尊厳”があるのに...

心の処方せん

たくさん辛い思いをした人は、誰かの背中をさすってあげられるだろうし、背中をさすられた人も、また違うところで同じようにしてあげられると思うのです。
私自身も、ここに至るまで色々と葛藤がありましたが、書くことで頭と心が整理され、何だか下山後の清々しさに近いものがあります。
もし悩んでいる人がいたら、このnoteが処方せんのようなものになれば、幸いです。

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