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自分をさがす旅 part42 怖いものは自分

あなたの怖いものは、なんですか?
ホラーゲーム。ゾンビ。お化け。暴力シーン。恋愛。いろいろありそうだ。

私のもっとも怖いものは、実はちっぽけな自分という存在である。ここまで、自分を好きになるための活動をしていることに反している発言のように感じる。それは、打ち解けるための戦略だから。初めての人と仲良くなるには、共通点を見つけて、話題を広げますよね?あれと同じ。自分でありながら、自分の特性を活かす術を持ち合わせていない。言葉に当てはめられない存在。


障害者手帳を発行しようと、行動した結果はとてもあっけなかった。結論、障害者には近い。だが、障害者ではなかった。ただただ、自分の生きづらさが数値として検証された。しかも、お墨付きだ。

自分の手から表現したい好きなことは、自分の気質と食い違いが生まれ、生きづらい。対人関係の読み取れない会話、平均とちがう許容範囲の狭さ。私は、バイト経験のほとんどを接客業だった。飲食店のホールやキッチン、展示場のスタッフ、いわゆる受付業務。楽しくて大好きと思えた仕事に「待った」がかかる。実は、向いていなかったのだ。

驚きだった。できていたこと、褒められていたことは実は違った。そして、いまの自分にその仕事たちは歯ぐるまを合わせられない大きなズレがあることを知った。私が、やってこれたのはいじめから学んだひとの眼をどれだけ欺くか。弱い立場の人に気付く些細な敏感さを備えたからだった。たしかに、欺くこと、敏感に物事をとらえることを毎日行うのはむずかしい。それを仕事にするのはもっと厳しい。



自分のできることは、白と黒をはっきりすること。論理的思考の現場、すなわち検品や経理といったあいまいな指標がない場所。感情によって男を誘導する女の真似はわたしにはできない。

なるほど。よく私の伝えたい気持ちを誤解されることが多いのも、難しい言葉を使うのも素直になりきれない自分を隠すための策だったのか。それとも、複雑な迷路を描いてしまうくせだったのか。と、思い当たる節が湧いて出てくる。数値と同じくらい気になる説明文に「独特」という単語があった。最近、周りからよく聞く単語である。まさか生まれつきの特性とは知らなかった。

私は、二十代の半ばに来て、自分の狂気さにまだ目を伏せている。自分のやりたいことと自分の特性が真逆を走っている。そして、自分の基準がとてもマニアック。かつ、多数派の意見に耳を傾けても納得がいかない。悩ましい。感受性が豊かだと実感する自分を最も悩ますこと。最近は、ときめきさえも忘れ、買うことで得られるインスピレーションに触れられない。


泣いて、泣いて、泣いて、もがく。
泣いて、泣いて、泣いて、立ち止まる。

泣くことは、私にとって大事な足場。
泣くことによって、得られることはなんだろう。

見返したい相手がいる。恩を返したい相手がいる。
生きていい。絶対幸せになれ。と強く訴えたい自分がいる。

人生のたいはんを涙に覆われ、濡らしてきた晴れ間。
人生のたいはんを床で過ごし、夜にしてきた陽射し。

素直な自分がいることを確認できるのは、泣く自分。
傲慢な自分がいることを確認できるのは、笑う自分。

だから、泣くことをやめない。

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