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「家族遺棄社会」読みました

サンフランシスコからの帰りの飛行機で、菅野久美子著『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)読みました。

土地とのつながりが薄く、親戚や友達が少なく、ヘルプを言うのが苦手な私にとっては身に染みるものがある。ひとりぼっちで死にそうになったら、どうすればいいんだろう…。

「家長」という制度は、むっちゃ問題はあるものの、家族が遺棄されてしまうことを防ぐ形で機能していた。戦後「家族」を解体したあと、代わるもののないままになっている。それでもまだ、終戦後ある程度は、団塊の世代は兄弟が多く、親戚付き合いも「めんどーだ」といいながらも、続いていた。私世代(1959年生まれ)あたりから「一人っ子」も多くなり、シングルの友人もめずらしくなくなった。

一人っ子の親世代が亡くなると、子どもには頼れる親族はあっという間にほぼ、いなくなってしまう。祖父母世代の兄弟の系列しかいなくなるからだ。たとえば、私の父は2人兄弟、母は3人兄弟。夫の父は4人兄弟、母は8人兄弟だ。私にとってのいとこは8人いて、夫サイドには把握しきれないほどいっぱいいる。ところが、我が家の2人の子どもにとってのおじおばは1カップルとシングルが1人、いとこは3人しかいない。ガックリと親戚力が減ってしまう。この状況で、家族・親類縁者という単位だけで、さまざまなサポートを提供するのは無理というものだ。

その昔、シアトルの米人家族のもとに1ヶ月ホームステイしたことがある。そのときに「家族行事」があれこれあるのに驚いた。戦後、自主・独立、自律していること、相互依存的でないことが欧米風で新しいとむっちゃ教育され、日本でお盆やお正月の集まりが「村的」「べたついた関係的」に忌避されたんじゃなかったのかな? と思っていたところに、日頃、それほどベタついているようには見えない米国人家族たちが、週末に集まったり、2、3時間ドライブして、年老いた両親に会いに行ったり。会社帰りにどこかでイッパイ、というのがない代わり、BBQとか一品持ち寄りとか社交としてのパーティが頻繁に行われていた。同僚やご近所さんと、それなりのつながりを楽しむことに慣れている。

シアトルでのホームステイから40年という年月が経っているけれど、ハワイに来てびっくりしたことの一つに、いまだに日曜日の午前中、教会に行く人が結構、いるということだ。お寺も日曜日の午前中には教会のミサに準ずる形でみんなでお経をあげたり、歌を歌ったりする。なので、日曜日の午前中にミーティングを入れたり、やだれかと会う約束を提案することはまずない。サンクスギビングやメモリアルデーなど、家族を大切にする時間、家族を思う時間が暮らしの中に織り込まれている。

もちろん、破綻している家族も多く、親たちに振り回されている子どもたちもたくさんいるのだけれど、「つながり」という意味では、なんやかんか、つながり先があるような気がする。特に教会のつながりは深く、ミサの後には食事が振る舞われることが多いし、何か困っていたり、助けが必要になったときに、所属教会の人同志、血のつながりがあろうとなかろうと、ヘルプの手が差し伸べられる。

日本にはこれがない。檀家さんであっても地元のお寺が毎週、会合を開いて、食事を提供するとか、檀家さん同士の親睦を図るなんて、聞かない。昔はお祭りがあったり、地域とのつながりも密接だったりしたのだろうけれど。

そう思うと「家族遺棄社会」に書いてあることが、そんなに特別な出来事ではないような気がして、これからの日本での人と人とのつながりがどうなっていくのか、ちょっと気がかりだ。




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