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モラハラ男性にマザコンが多い理由〜20代フリーターが有料婚活サイトに登録したら⑤〜

24歳から婚活サイトで婚活を始め、26歳で結婚した筆者が、経験談を踏まえて婚活に有益な情報を綴っていく記事です。

今回はタイトルにある通り、皆さんも一度は遭遇したであろうモラハラ男性にはなぜマザコンが多いのか、そしてそのモラハラマザコン男性を見極める共通点とは、結婚したとしたらどんな生活を送るのか?について書いていきます。

モラハラ男性にマザコンが多い理由だけを先に述べると、『幼児期に母から与えられていた万能感を欲し続けているから』ではないかと筆者は推測しています。詳細は後ほど説明していきます。

ちなみに、この記事内では、デートはいつでもお母さん同席、服から住む物件まで全てお母さん任せ、等のどこから見ても「お母さん大好き!」と看板を掲げているような人ではなく、一見普通の社会人ですが時折り精神的に自立していない面が目立ち、交際を始めるとそれが顕著になっていく、あくまで「モラハラ」に分類されるマザコンを取り上げていきます。

恥ずかしながら、筆者は25歳で現在の夫と出会うまで、以前付き合った男性3人が全員「モラハラ」という「モラハラウォーカー」でした。そしてそのモラハラな彼氏のほとんどがいわゆる「マザコン」だったのです。彼らと接した上で気づいた「モラハラとマザコンはワンセットの法則」を記事にすることで、身近に当てはまる人がいないかの注意喚起をしていければと思います。そして3章ではなぜ自分がモラハラな男性を渡り歩いてしまったのかを見つめ直し、原因を作っていた自分の思考を綴っていきます。



1.心理的離乳が済んでいない?女性を蔑むマザコン

今年某日、芸人Oさんがラジオ番組で風俗店に勤務する女性を差別するような発言をしたとして問題になったのは、記憶に残っている方も多いと思います。筆者としては、その発言自体は男性同士が飲み屋で交わしているちょっとゲスな会話を電波に乗せて発信してしまったのだ、くらいに感じていたのですが、同時に抱いた感想は「Oさんはモラハラ傾向が強いだろうな」というものでしたので、その理由を述べていきたいと思います。(芸人としてのOさんの才能は別の問題ですし、ラジオの発言についてこれ以上非難する意図はありません。)

Oさんの発言「世の中の景気が悪くなった時こそ風俗にはかわいい子が集まる。なぜなら職を失って今すぐお金が必要なはずだから」の中に、そしてその後ラジオで話題にあがった、楽屋での女性スタッフへの横柄な振る舞いのエピソードには、女性ならば嫌でも感じ取ってしまう女性蔑視が詰まっているのですが、それを箇条書きにするとこうなります。

1. 性産業に携わる女性を憐んでいる。
2. 女性の経済力を持つ手段=風俗での労働、お金持ちとの結婚、等の性を武器にする手段が一番だと思っている。
3. 女性スタッフに横柄に振る舞うことで即席の万能感を得ている。

夜のお店によく現れるらしい、客としてサービスを受けながら「こんな仕事をいつまで続ける気だね?」と説教し始めるおじさんがその台頭ではないでしょうか。

そもそも「モラハラ」の定義とは何なのでしょう。

モラハラ(モラルハラスメント)とは=身体的な暴力ではなく、言動や態度といったモラルによる精神的な苦痛を相手に与える、DV(ドメスティックバイオレンス)の一種。(ネット調べ)

身体的暴力を伴えばDV、精神的攻撃のみならばモラハラ、というのが一般的な考えでしょうか。少し前は「女性である(時には男性である)」という理由で差別したり、むやみに性的対象とみなしたりするのは「セクハラ」と呼ばれていましたが、最近では「モラルの問題である」という広い意味で「モラハラ」が多く使われている印象を受けます。

異性間でのモラハラは依然として「女とは(男とは)こういったものである」という先入観の押し付けが発端になっているのではないでしょうか。

古来からの「女性」をイメージしたとき、家の中で子供に囲まれて過ごしたり、料理を作ったり、仕事から帰ってきた夫を暖かく出迎え、夜は寝相の悪い子供に毛布をかけてやりながら編み物をしている女性を思い浮かべる人も多いかもしれません。しかしこれっていわずもがな、日本昔話やおとぎの国の世界のファンタジーですよね。

大体の大人は意識せずとも「現代人」と「ファンタジー」の区別ができているのですが、それができないのが「モラハラな人」の特徴なのではないかと感じています。

ここまで男性から女性へのモラハラを取り上げましたが、昨今では女性から男性へのモラハラも社会問題になっていて、そのほとんどが「夫や彼氏への人格否定や精神的虐待」と表されるようなので、内容は男性のそれと負けず劣らずなのでしょう。モラハラ男性は女性を性的に搾取する傾向が強いですが、それが男女逆転した場合は、家庭内での男性は財布としてしか見なされず、経済的搾取を受けるのです。そんな時出てくるセリフを要約するとこうなるのではないでしょうか。「男ならもっとたくさん稼いできたらどう?」

これって、章の頭で書いたOさんの発言と共通する部分があるのではないでしょうか。モラハラな人にとっては「男性=経済を回し生活費を運んでくる存在」「女性=家庭に入り性的に奉仕する存在」なのです。そのせいかモラハラ傾向が強い男女の話では、男性は稼いでいる額や所有財産を自慢し、女性は結婚したら専業主婦になって悠々自適に暮らしたいと発言する人が多いように思うのです。

人間は子供の頃、大半の場合が両親と暮らし「外に働きに出るお父さん」と「家で家事をするお母さん」の二人をジェンダーのお手本としてすり込んでいくのですが、(もちろん家庭それぞれスタイルはちがいます)モラハラ傾向が強い人は家庭でスポイルされて育ち、両親から教わったジェンダーを間に受けて育ったか、家庭で守られていた頃のままで心理的離乳が済んでいない人が多い気がしています。

正しい意味での「男女差」を自分で考え、価値観を確立できなかった結果でもあるかもしれません。

「女はいいよな、性的関係を持てば生活が保証されるんだから」

「男が仕事をしてるんだからもっと稼げるはずでしょう?」

どちらのモラルハラスメントも、あまりにも幼稚なジェンダーへの先入観なのです。

そしてこの章での余談ですが、芸人Oさん然り世の中然り、性産業に携わっている人や夜職の人を蔑むような意見を聞くと、筆者は単純に「視野が狭すぎる...」と感じてしまいます。夜の仕事はなるのも続けるのも決して楽じゃないし、前向きな気持ちで働いている人だっているのです。自堕落な理由や、自傷行為の延長のような動機でなる人って、ごく一部ですよ......おっと記事の主旨が変わりそうなのでここまでにしておきます。


2.なぜマザコン男性は女性の前で横柄に振る舞うのか

これは記事の冒頭でも書きましたが、その理由は母親が与えてくれた万能感が忘れられないから、ではないかと考えています。

魔の2歳児、という言葉をご存知でしょうか。イヤイヤ期、第一次反抗期とも呼ばれているのですが、この頃の子供の何が一番手強いかというと、「自分は世界の中心であり万能の存在である」と信じてやまない点でしょう。その魔の2歳児がそのまま成長して、表向きだけ社会で責任ある立場を任される大人になったら?と考えると、みなさんの周りにも思い当たる人物がいるのではないでしょうか。

母親とは人間が生まれて初めて愛着を覚える対象であり、そして同時に初めて「自分と他人は別の意識を持っていて全てを分かり合えるわけではない」ことを教わる相手なのですが、そこで必要な過程である「別離」が上手くできていないと、その子供は大人になってからモラハラ、長じてはパーソナル障害になる確率が高まるという説があります。

心理的離乳の済んでいない男性は、彼女や妻は自分を無条件に崇める信者ではなく、怒りもすれば反抗もする自我を持った一人の人間であることが認められないばかりか、女性が与えてくれるはずの万能感を得られないというのは、今まで信じていた世界の崩壊と表すので、それらしい詭弁を繰り広げて彼女や妻を制圧するのです。



3.私だけに優しい人は、いずれ私だけに優しくなくなる。

先ほど記述した通り、20代前半の頃、筆者はモラハラ男性ばかり3人連続で付き合ってしまった「モラハラ・ウォーカー」でした。直接的な暴力はありませんでしたが、密室で明け方まで耳許で説教される、避妊に協力しない等のけっこうすれすれな出来事が多かったです。(その後こちらから距離を置いて別れたので大事にはなりませんでした)

しかし、なぜそういった男性と付き合ったのか?の回答はずばり「人から必要とされることで不安の穴埋めをしていたから」なのですが、これについて経験談の中で説明していきたいと思います。

付き合った男性一人ひとりのエピソードを書いていくと冗長になる上に読みづらいので、ここではこの記事の本題である「結婚及び婚活」に的を絞り、マザコンでモラハラ傾向の強い男性に、結婚前提の交際を申し込まれた経験談をなるべく簡潔にまとめていこうと思います。



職場の上司に結婚前提の交際を申し込まれたら〜あるフリーターの体験談〜

———ある夏に、私は一年半ほど勤めたバイト先を突然クビになった。解雇の理由を実直に書くと「上司に結婚前提の交際を申し込まれ、それに応じなかったため」だ。

そのバイト先は知人の紹介で面接を受けて入った。知人の顔を潰さないために、また業務が専門職で業界内が狭かったので、今後キャリアを生かすためにも波風を立てずにやって行きたかった。

当時35歳の上司(以下Cさんとする)は私が勤め始めた当初は腰が低く、特に問題な点はないように見えたが、次第に職場の空気が不穏なものに変わり始めた。私以外の若いバイト勢が次々と辞めて行くのだ。

「この前雇ったあいつはダメだ。態度が悪いし生意気で」辞めていった若者たちについてCさんは技術や能力ではなく、態度や内面を批判していた。一方で私のことは気に入っている風で、人が次々と辞めて行く職場の上司であるのが嘘のように優しかった。「君だけが頼りだよ。毎日来て欲しいくらいだ」誰かに認められるのは決して悪い気はしないし、慣れない業務に着いて日が浅かったのもあり、私もCさんにより気に入られようと努力するようになった。

ただそんな日々の中で、みんなが勤め始めて数日で辞めて行く理由も何となく理解できるようになった。Cさんはとてもおしゃべりで、なおかつ自分より弱い者に対しては高圧的な態度をとる瞬間が見え隠れし始めたのだ。中でも女性蔑視的な発言が多く、「男より稼ぐ女は離婚されて当たり前」「女は結婚したら家の中で、旦那の帰りだけを待っているもの」といった昭和からタイムスリップしてきたような価値観を持っていた。そして決まって最後に「うちの母親は男を立てるいい母親だった」と付け加えるのだった。

常に機嫌をうかがっていれば舞い上がるが、少しでも意にそぐわない行動をとる相手はそれらしい理由をつけて辞職に追い込む。それがCさんのやり方だった。

しかし、その時期の私は「自分だけは大丈夫だ」とたかを括っているところがあった。その理由は今思えば浅はかなのだが、ある日Cさんに交際を申し込まれたからだ。

「俺もそろそろ結婚しないとさ」35歳の壁を最近越えたらしいCさんはそう呟いてため息をついた。その様子はいささか大げさで、結婚というワードでこちらの気を引きたいのが半分、本音が半分といった感じに見て取れた。

職場がなぜ婚活パーティー会場になるのだ?と不快に思った人もいるかもしれない。しかし業界内では上司が男性で新人やバイトが女性の場合、それはよくある話らしかった。ここでの私の間違いは、「よくある話なのだから」と思考停止をしてしまい、その後を自分で予想しなかったことだろう。

Cさんは正直に言って好みのタイプではなかったし、一日中ご機嫌を取って暮らすのもあまり現実的とは思えず、何より昭和の女性像を押し付けられて、Cさんの母と同じであれと望まれるのは憂鬱だった。あくまで私にとって、Cさんは上司でしかなかった。「他に好きな人がいる」という理由で断ったのだが、Cさんの返答は「じゃあもし破局したら教えてよ」というものだった。Cさんの押しの強さがますます思考を鈍らせていき、部下を性的な目で見ている上司と、気付かぬ振りでやり過ごす私の日々は過ぎていった。

仕事自体は楽しい時間も多く、なるべく貢献したいのは事実だったし、そのうちCさんもほどよい距離感を掴んでくれるだろうと期待していた。その日が来ればきっとこの職場は私にとってかけがえのないものになる、そう信じたかった。当時の私は全て自分の都合のいいように発想を転換させていたのだ。

しかし、あっけなく関係の崩壊は始まった。発端は第三者が介入したことで、Cさんの私に対する本音が露呈し、そこで私は目が覚めた。

「君ももっとD子さんみたいに頑張らなきゃ」働き始めて半年ほど経った頃、Cさんの口からこんな言葉が飛び出すようになった。

D子さんは私の少し後に入ったバイトの女性で、年齢は明らかにされていなかったがおそらく40代頃に見受けられた。バイトとはいえD子さんはキャリアが長かったこともあり、上司であるCさんより秀でている作業も多かった。CさんはD子さんを重宝していたようで、おのずと私にもD子さんを尊敬するように誘導していた。職場の中で、いつしかD子さんはもてはやされ神格化されていくようだった。そんな中で、しだいにD子さんは態度が大きくなっていき、時にはCさんより前に出て職場を回すようになっていった。

暴走するバイトとなす術のない頼りない上司、D子さんとCさんの対比はそう見えた。もちろん私に取っても職場は徐々に肩身が狭い場所になっていったのだが、そんな中でもCさんの性的アピールは続き、何度か体に触れられる場面もあった。「君のことは幸せにするし、何があっても守るよ」そんなセリフを口にするCさんに、それならばなぜ暴走するD子さんからは守ってくれないんですか?と心の中で問い続けた。

ここから決定的な事件が立て続けに起きた。一つ目は、D子さんが私だけに名指しで個人攻撃を始めたこと。二つ目はCさんがD子さんの前では私を蔑んでいたのを知ってしまったこと。

朝、職場に行くと必ずデスクの上にD子さんからの言伝メモが置かれるようになった。最初は私への作業アドバイスや改善点の指摘で、心の中で「こういうのは本来上司であるCさんが行うものでは?」と思いつつ、善意なのだと解釈してお礼の返答メモを置いて帰る日が続いた。

いつしか、言伝メモは私に対する指摘を書くだけのホワイトボードに変わっていた。大きなホワイトボードが私のデスクの隣に鎮座して、毎朝D子さんのメッセージで真っ黒に埋まっている。内容も仕事に関係するものから変遷して、いつしか水回りの使い方や共用の食器の洗い方、休憩室の冷蔵庫にD子さんの残したものがあるから食べ切っておくように、といった残飯処理の命令に変わっていた。

「Cさん、このホワイトボード、D子さんが運んだんですか?」耐えかねた私がCさんに尋ねると、Cさんはいまいち興味がなさそうに

「ん?D子さんが君にいろいろ指導したいのでホワイトボード置いてくれって言うからさ。俺が発注したよ」

「どんな内容が書かれてるのかは、Cさんはもちろんチェックしてるんですよね?」

Cさんはだるそうに首を回しながら「してないよ。こっちも仕事に追われてるから。いや、あえて見ないようにしてるのかも」

その上司としての責任感のなさに閉口しつつ、私はなんとかホワイトボードを撤去して欲しいこと、D子さんが私に対して指示を出す時は、必ずCさんを介して行って欲しいことを伝えた。

Cさんは「あーはい、撤去しましょう」とその場でホワイトボードを片付けてくれたまではよかったのだが、その後はどちらかと言えばD子さんを擁護する発言が目立った。確かにD子さんの機嫌を損ねると仕事が回らなくなるかもしれない。しかしそれはあくまでCさんの都合であって、私たちバイトにとってはD子さんの暴走は早急に対処して欲しい問題だった。

——名指しで攻撃を受けた人間が目の前で要望を伝えているのに、しかも、それはあなたが歯の浮くようなセリフを投げかけた相手なのに——

Cさんのキザな発言と矛盾したその行動や言動は、頭の中で混ざり合って私を混乱させた。

後日、D子さんがホワイトボードが撤去されたことにショックを受けていると情報が入った。意外にもD子さんは、私に嫌われているのではないか?と落ち込んでいたという。

あんなに辛辣な指示や雑用を押し付けたのに、その上で嫌われているかどうか気にするなんて、まるで悪気はなかったみたいだ......

少し考えて合点がいった。D子さんはおそらくCさんにもてはやされ、感化され、Cさんの万能感を我が身にも取り込んでしまったのだ。

そう思ったきっかけは、その後で知ったCさんとD子さんの会話だった。

「D子さんすごく落ち込んでたからさー、君が泣き始めちゃったから仕方なくって言っておいたよ。今時の若い子は精神的に弱いからってね」

それをCさんの口から直接聞いた時、私は思わず「泣いてないですし、なぜ私が悪いかのように事実を捏造するんですか?」と詰め寄った。Cさんは罰が悪そうにうつむきながら、「こちらからしたら何でそんなにごねるの?って聞きたいよ」とこぼした。自分に上司として落ち度があったとはまるで気づいていないようだった。

D子さんはCさんにもてはやされることで万能感に飲み込まれ、自分の立ち位置を見失っていった。それは、Cさんに交際を申し込まれ、「自分だけは辞職に追い込まれないだろう」と考えていた時の私の姿だった。

Cさんは人の心の隙間に入って共依存の関係を築くのがうまかった。逆に言えばお互いの傷を舐め合う共依存の関係でなければ、人と繋がれない男性だったのだ。

異性としても上司としてもCさんに不信感が募ったことと、自分自身も悪影響を受けることを懸念した私は、今までのように職場でCさんの機嫌を取れなくなった。そんな私にCさんは例のセリフ「態度が悪くて生意気」を投げかけ、何かと理由をつけて説教するようになった。

Cさんは一度、談笑している時に私にこう言ったことがある「君はいい子だからさ、もう君には何をしてもいいやって思ってるんだよね」

それは紛れもない本音で、Cさんにとって私は何もしても自分に寄り添ってくれる「お母さん」だったのだ。「お母さん」だと思っていた女性に裏切られたと感じたCさんにとって、私は嫌悪の対象でしかなくなっていた。

その頃になってようやく思い出したのは、バイトとして雇われている大半が「若い女性」であったことだ。若い男性が加わることもあったが、大抵はすぐCさんにいびられ辞職していった。Cさんは最初から自分専用のハーレムを作り、そこで思い通りになりそうな女性を見繕ってアプローチし、拒否されると「態度が悪くて生意気」という理由で追い出していたのだ。またD子さんにおいては有能というのもあるが、単純に自分より年上のため、注意ができなかったというのが今となっては大きかったように感じる。

メッキが剥がれたCさんは、まるでガキ大将がそのまま大人になったように見えた。

Cさんとはなるべく会話をせず、D子さんの話題にも触れなくなった私に、ある日Cさんが「あと一ヶ月でこの職場を出ていってくれ」と告げた。

私が「解雇ということですか?」と尋ねると「まあ、そうだね」という返答があった。

「それは具体的に何が解雇の理由になるんですか?」するとCさんは、私が交際に応じず傷ついた、なおかつこのような空気になってはもう同じ職場にいるのは辛い、といった旨を語り始めた。

「それは少し理不尽すぎます。せめて一月分の給料を退職の際に上乗せして下さい。それか別の職場を斡旋して下さい」ただで辞めるわけにはいかないので、食い下がると、Cさんは最初こそ頷いていたが、やがて「ちょっと待てよ。その場合どうやって他の部署に掛け合えばいいんだ?なんでお前の自己都合で辞職じゃダメなんだよ」とうろたえ始めた。

「俺だって仕事がいっぱいあってお前だけにかまっていられないんだよ。生意気言うなよ」

「それならば辞職の話はなかったことにして下さい」

「あのさ、俺お前がいかに嫌な女か知ってるんだからな。この会話録音なんてしたら業界にいられなくしてやるからな」

このような会話が三日ほどにわたり仕事の合間に繰り広げられた。そしてCさんはとうとう最後にこう叫んだ。

「もういい!今すぐ出て行け!!」

私が荷物をまとめて出て行こうとすると、Cさんは私の肩をグイッと押さえて捨てゼリフを吐いた。

「最後にいいかな?お前本当に嫌な女だったよ」

Cさんに罵られる日々が終わりを告げ、後日最後の給料がいくらか割り増しされて振り込まれていた。労働基準局に駆け込まれるのを恐れて、Cさんがいくらか私の残業時間を増やして申請したにちがいない。

Cさんはその後、また新しいバイトの女の子を雇い、その女の子とも同じ手口で共依存関係を築いているらしい。D子さんは私が辞めてから数ヶ月後に職場を去ったらしいが、詳しい経緯は聞いていないのでここで書き記すことはない。

私はそれから一ヶ月ほど経って同じ業種の職場が見つかり、そこでたくさんのいい思い出ができ、今でも親交がある友人も作れたので、あの解雇および辞職はなるべくしてなったと前向きに捉えている。———



以上、モラハラマザコン男性と共依存になりかけた失敗談でした。これだけは伝えておきたいと感じる内容を一文にまとめると以下の通りです。

私だけに優しい人は、いずれ私だけに優しくなくなる。

「君がいないと僕はダメなんだ」は「お前のせいで俺は上手くいかない」へ。「君がいたから頑張れたんだ」は「お前が気を利かせないから失敗したんだ」へ。

なぜならば彼らにとって彼女はお母さんのように甘えていい存在だからです。

「甘える」という状態は、ほっぺを恋人にスリスリゴロニャンするのだけを指しているのではなく、感情の捌け口にしたり、自分の尻拭いをさせたり、と雑用係のように使う行為も含まれています。

もしマザコンモラハラ男性に気に入られて結婚したとしても、幸せになれる確率は低いでしょう。心理的離乳が済んでおらず、自分はいつまでも擁護される存在であると信じて疑わない男性は、責任を取るという感覚がないためか、必ずと言っていいほど仕事でトラブルを起こします。筆者が付き合ったモラハラ男性3人のうち、2人は勤め先を辞職しています。「仕事が一番という割には、仕事が中途半端で長続きしない」それがマザコンモラハラ男性なのです。

もし今交際している人がモラハラ傾向が強い人だった場合、大事なのはそれを見過ごさないことと、自分が共依存に陥っていないかを定期的に見直す癖をつけるといいと思っています。

これは手前味噌な話になり恐縮なのですが、夫と私は出会ってから現在までケンカをしたことがありません。もちろん暮らしている中で小さなすれ違いはあるのですが、それが口論まで発展することはないのです。それはなぜか?大きな理由は「最初は他人であり、それぞれ別の人生を歩んでいる」と思っているからだと考えています。

子供は設けたし生計も共にしていますが、それぞれ別の人間である以上、完全な運命共同体にはなりえないと考えています。夫と筆者が将来を語る時は「娘の親である」と言う部分だけが共通していて、他は趣味も別なら展望も別なのですが、それについて不思議と寂しい気持ちにはならないし、むしろ、どこまでも一緒に行こうと言われるより人生が充実している気がするのです。

ここに「星の王子さま」の著者でありパイロットだったサン=テグジュペリの言葉を残しておきます。

愛とはお互い見つめあうことではなく、共に同じ方向を見つめることである



4.「マザコン」は自然な姿だからこそ社会性が必要。

ここまで「マザコン」という言葉をまるで卑下するかのように使ってきたし、実際そうじゃないか、と気を悪くされた方も、もしかしたらいるかもしれません。ひとつだけ弁解するとすれば、筆者は「マザコン」の存在を訝しがる反面、それ自体は人の自然な姿であると捉えています。

これはちょっと余談なのですが、筆者は実の両親と仲が良いとはいえず、田舎でもう一度暮らすことは絶対に嫌だと考えているくらい家庭にトラウマがあるんですが(この記事には関係ないので省きます)それでもなぜか「母親」は嫌いになりきれないのです。

いまだに母からLINEがくると無視できないし、褒められると嬉しいし、逆に叱られるとひどく落ち込みます。それほど人間にとって「母親」の存在は潜在意識の根本を握っているのかもしれません。

しかし、一生独身で「誰かの子供」で居続けるならまだしも、これから結婚してさらに子供を設けたい人ならばせめて心理的離乳は終わっていて欲しいし、異性に過度な幻想を抱くタイプだと辛いですよね。

この記事で、マザコンとモラハラがセットの人とのお付き合いは勧めないと書きましたが、それを覆す身も蓋もない言葉を最後にひとつ。

男は多かれ少なかれみんなマザコン。

そんなわけないよね?...いいえきっと真実なのでしょう。

しかし、そこで自分の付き合っている彼がマザコンっぽいけれど、まあみんなそうなら仕方がない、と考えるのはちょっと短絡的です。マザコンであることに気づいていながら結婚した場合、そしてマザコンが原因で関係がギクシャクした場合、責任を取るのは何を隠そう自分自身なのです。

男は多かれ少なかれみんなマザコン。









いやいや!まともな人はちゃんといるから!!!

最後まで読んでくださってありがとうございました。コメント非常に励みになっております。もしよろしければ次回の更新もよろしくお願い致します。

能登ひなみ

記事を読んで下さっただけでも感謝しております。投げ銭を投げられるときっと面白い声を出します