見出し画像

多様

「今、なんか跳ねた??」

「小石だね…この道、小石多いなぁ」

「車、痛そうだね」

「……そんなこと言う子、はじめて。でも、確かに〜」

「そう?」

「普通は気にしないんじゃない?」

「そっかー」


という会話をした事があったなと、思い出した。
私のnoteを読んでいる人は、瞬時にどちらが私の言葉か解ると思う。

もう一つ会話を思い出した。


「ねぇっ!大きいカラス」

「カラスに反応する人、はじめて」

「……。カラス…好きなの」

「怖くない?」

「…怖くないよ」


どちらも車の助手席に私がおさまっている時の会話で、運転手はそれぞれ違う人。


私あるある。

「え?それ気になるの?」
「ふふっ、それ好きなの?」
「変わってるねぇ」
「人とは視点が違うんだね」 



「変わってる」って褒め言葉だと思う。
心底、本当に、そう思っている。
その言葉に悪意をべったり塗り付けて渡してくる人は嫌だけれど、個性的って素敵なことだと思っている。

この手の話をすると、すぐ「それ、マウントでしょ」人間が湧くのが好きじゃなかったりする。
純粋に、楽しくて「こうなんだよ!」「こうだったよ!」「こう感じるの!」って言いたいだけの事なのに。

人と違うということは「特別」だと思っている人達がいる。
違う視点で世界が見えることは「選ばれた者」だと思っている人達がいる。

私に嫉妬なんてしたところで、私は何も持っていない。 
私に羨望の眼差しを向けたところで、後でガッカリするだけだ。

逆に、私を罵ったり、下げずんでも、意味はない。

だって、そもそも、そんなふうに生きていないのだから。
山の生き物が、海の生き物に嫉妬するくらいおかしな感情だってことに、人間はなかなか気が付かない。

多様性うんたらかんたら。
その意味が全然。
言葉に心がついていってない。
そんな言葉だらけ。
感じ方が雑なのよ。
もっと丁寧にじっくり見つめればいいのに。

そんな風に思うから
きっと、何処かで反感を買うのだろう。
買ったつもりはないから、押し売りだけどね。
押し売っておいて代金を寄越せって、おかしなことを言う人達がいる。


私は、楽しく遊んでいたいだけ。
でも、それはワガママなんだって。
そういうのは空気を読まなきゃいけないんだって。

知っている。
解っている。
人間ってそういう生き物でしょ。


っていうのが私の中にはあるなって。 




そんなことより、新しいカラーボックスを組み立てるべきだ。
可哀想に、プラの天板が上に乗せるものの荷重に耐えきれずひしゃげている。
おかけで、一番上の棚は引き出しにくい。

外ではカラス君が鳴いている。
鳴き方的に相方を呼んでいる。
カラスは番になると、ずっとその相手と寄り添う鳥。
二羽で仲良く遊んでいるのを見かけると、ほっこりする。

私は日々の中に、小さな宝物が沢山ある。
人との関わりで得るものは、周囲にいる人よりはすくないみたいだと感じる事もあるけれど
たぶん、それで、どっこいなのだろう。


さぁ、ドライバーは何処だったかな?





この記事が参加している募集

多様性を考える

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。