声にするのが得意か苦手か


私はお喋りだ。
でも、私はお喋りが苦手。

今回、録音した事で、やはり得意分野は違うのねと自分のことだが思う。

私達は森と同じシステム。
それが一番説明しやすい。

ぺらぺらと気分でいくらでも喋る私と違って、私は独り言はともかく聴かせるのは得意ではない。

ただ、あまりにも流れが、流れだなぁとおもったのでたまには話すかと思った。

それだけの事。

そのへんの人達も、かなり稀に、いや凄く稀に
「お前は誰だ?」と問いたくなる時がある。
私達とは違うシステムだが、私達のような者達ということだ。

その人であり、その人でなく、しかしその人である。

私は森のシステムなので、森を見ているうちは何も変わらない。
木を一本一本見始めたら最後、目まぐるしく静かに煩い森の中だ。

私は言葉にならない事は言わない。
でも、私は言葉にならないうちから兎のように跳ね回る。

全てで私だと理解している。

だからこそ混乱する。
この世のシステムに当てはめにくいからだ。
大抵の人間は理解が追いついていないと感じるからだ。
創作の中のことだとしているか、何か特定の条件のものとしているか。

そういうのがとにかく多く、それが私達に伝わるとバランスが崩される。

私達は崩したバランスぶん補う。
崩れたら組み立てる。
組み立てたら崩れる。

それは永遠で永遠じゃない。

世に中庸という言葉がある事をはっきり認識したのはnote の人間からかもしれない。
それまでは感覚で中庸というものを捉え発信していた。
現す言葉は後からでも、いくらでも見つかるのだと思う。
ただいつも言葉が追いつかないだけ。
言葉はそんなにはやくないのだろう。

昨日は、というか
一昨日は、不安だった。

私がどうこうしたわけではなく、周囲の空気に何か重たさがあった。
人はたくさんいるのに、まるで知り合いが一人も見つからない子供のように、私はその波の間で不安だった。
正体をたずねてしまいたかったが、それは出来なかった。
突き止めたあとの言葉が必要だと思った。
けれど、それは生まれなかった。

そんな私の不調を、私はムカつくと思ったのだろう。ぺらぺらと、よく回る口だと感心する。
しかし、私の軽口はいい。
つられれば楽しくもなる。


私達は森だから
ここに在る。
そういうものだ。
声では全ては言い難く
こうして文章にしてみるが

私達がこんなだから、私は生きにくかろうと思う。
でもそれも私な事を、私達も私も知っている。
全ては全てなのだから。


ただそれだけの話だ。

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。