見出し画像

過去の私の書いたことに、未来の私は丸く頷く

いまの若い子たちは知らないかもしれないが、私が10代の頃はmixiは全盛期で、私は毎日のようにつらつらと文字を書いていた。

2006年の終わりから今に至るまで、mixiに色々書き綴り、当の本人が読み返しても「なんのこっちゃ」な事も多々。

今日は、たまたま気分で読み返して「やっぱり、過去の私のが尖ってるなー(笑)でも、うん、やっぱり変わらないね。私は、今も私だね」って文書があったので載せて見ようと思う。※2013年には20代になっている

これは過去の物語。2013年1月のとある日の私。


タイトルは「眠い…」


《微睡むの好き。

無音のお部屋でウトウト。

洗濯物の匂い。

毛布の感触。

浅いところで夢をみる。

私、人の見た目の変化に気づけないみたい…

痩せた とか 太った とかわからない。凄く変わらないとわからない。

私が その人を認識してたら どんな風に変化しても その人なんだよね。


世の中的にいいことしようとしてる って聞いたとして

私はその人がやりたいならやればいいよって思う。

世の中的に悪いことしようとしてる って聞いたとして

私はやっぱり、その人がやりたいならやればいいよって思う。


後者は優しくない?
大事ならとめるはず?


私は「それをすると、これだけの代償を払うことになると思う」という話はする。

けれど代償が高くても、それをやりたいと本人が言うなら私はとめない。
私が一緒にやることはほぼない。

誰かに必要な行為が

私に必要でないならば

私にとってそれは無価値だから。


ただ在ることを否定しない私がいる。

在るから大嫌いになり拒絶もする。


代償を払うことにしたなら文句はあまり言えなくなる。

だって選べたのだから。
そして選んだのだから。

ぼやいたり 愚痴を言ったりしてもいいし

逃げる道も正解になることだってあるけど

全部を誰かになすりつけて

物語をただ放置するのは
私はいけないことだって思ってるし

それをする人は嫌いだよ。

周りも確かに影響してるけど

選んだ自分も消えないよ。

過去に戻って自分を責めるの?

責める権利があると思う?

未来を選ぶ時に

軽かろうが 重かろうが
選ぶ時に

何にも感じてないわけがないのに。

確かな感情を抱いて選ぶことを選べて

そして進んできた人を

自分だからって責めたりしたらよくないよ。

とくに何があったわけじゃなく

思ってること書き出したくなっただけー。

宇宙に片隅があるなら

片隅にならあると思うの。

でもそれくらい音にしないこと。》


いやぁ、20代の私も実に私だね!

そう。こうして、過去の私が放った言葉は、彼女から見て未来、私から見て現在の私にしっかり届いている。「貴女は過去である私を拒む事は出来ない。そんな権利はない。あったとしても、それで物語を止める事は出来ないよ。何故なら私は選んで、貴女になるのだから。物語は最期まで書こう」というわけである。

世の中選べない事もあるんだけれど、それは「答えられない」「わからない」「選べない」っていうのが、その時の「応え」として残る。って、当時も現在も思っている。


多分、事件かなんかニュース及びコメントでもみたんだろうよ。過去の私は。

凄惨な事件の時に、私は「加害者」の事を考える。なぜ、そのような事を選んだのか。何故なのか考える。その選択肢しか残らないような選び方を迫られ生きてきたのか、それとも、もとから刺激的な選択をする人なのか。

当時も、今も、コメントで一方方向に騒ぎ立てる言葉に『それは大衆の正義だけれど、それは正義という名前なのかもしれないけれど、本当にその正体は正義なのか?』と思っているから、私は「その人の選択」「その人の正義」というのを常日ごろ考えてしまう。善悪を決めているのは、世の中ではなく自分なのだと。


私には、人の心を透かして見るなんて特殊能力はない。

どんなに考えたり、思ったりしたところで

私は私にしかなれないし、ならない。

だから何時も思う。

私の知らない誰かが、選ぶものが、その誰かの為になればいいと。そういう選択ができる世の中ならいいと。そして、勝手に遠くで、それぞれ幸せになってしまえばいいのにと。

私は選べる道は少なかったし、わざわざ茨の道を歩いたりもしたけれど、今こうして生き延びている。きっとこうして終わりまで行くんだ。

私の物語の終わりが、誰にも伝わらなくても、私なりのハッピーエンドだといい。

過去の私の理想ではないかもしれないけれど、多分彼女はそれも許すんだろう。

「私は私だからね」


過去の私を読み返す。そんな日もいいもんだ。

サポート設定出来てるのかしら?出来ていたとして、サポートしてもらえたら、明日も生きていけると思います。その明日に何かをつくりたいなぁ。