はじめてきみを抱きしめた日のことを、思い出す木漏れ日
気持ちは過ぎ去る。過ぎ去るとそうやすやすとは思い出せない。あの時の喜び、しあわせ、苦しみ、悲しみ。
全てが手の中にあるわけじゃ、ないでしょう?
でもたまに、ちゃんと、心の中に舞い戻ってくる。ふとしたときに、それは突然。
はじめて子犬を抱き上げた日を考えた。
どうしようもなくかわいくて、不安げな顔を守りたいと思った。
それから家族になって、恋人が抱き上げたのえるの写真を見て思い出す。家族になった喜び。
今はまいにち、私の仕事をする側で昼寝をしたり、原稿の邪魔をしている。そしてふと、抱き上げる。ずっしり大きくなって、すっぽり腕におさまってウトウトする。
長い時間をかけて、私の腕の中はのえるの居場所になった。
「きっと大丈夫だよ」という言葉のあまりの無責任さに唖然とする。裕樹が抱えている問題の大きさに対しては、ちっぽけすぎる励ましの言葉に怒りさえ覚えた。悪びれない笑顔に余計にやり場のない気持ちが込み上げる。かわりに涙が溢れ出た。-『ゼロセンチ、ゴール』
同じように恋人と私も長い時間をかけて居場所を作ってきた。好きなこと、好きじゃないこと、嬉しくなること。たくさんの彼を見てきて、気づいたことはよく意識するようにした。
私は彼が最大限しあわせで、意欲的で、嬉しく楽しく暮らせたらいいと思う。
愛し合っているというのは相手の喜びを共に喜べることだと感じた。私は彼が嬉しいと嬉しい。
だからこそ、日々、暮らしながら愛と直面する。
おっと、愛、そこにいたんだね。驚いたよ急に。と思ったりする。
だってただ食器棚の前でスライド式のとびらを開けている恋人の手を見た時にふと愛と出会うんだ。
あまりに一瞬で、あっというまに全身が満ち足りて、幸福には抗えない。
日常はいつも急にドラマチックだ。
あとの生活はいつものように原稿を書いたり、家族のための備品をちまちまと買い集める。ドラマチックが嘘のように淡々と過ぎていく。
また次の愛と出会うまで。
こうして日々を繰り返す。楽しい日もあれば、そうでもない日ある。とことんブルーな日も、グレーな日も、有頂天のまま眠れる日もある。
それでも繰り返せることが、私は嬉しい。
また春がくる。当たり前に、時間と共に春はくる。そんなことが毎年、私はたまらなく嬉しいんだ。
それでは、チワワを抱きしめよう。
おやすみ。
nana
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