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⑱【裁判編】相手が裁判官でも私は怯まない٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ここまで言うか⁈の巻。

今日は、その当時(約6年位前)に書いた、

"裁判官へ物申す文書"をそのまま転記します。     

よって、note自分史上初の6,000文字超えになりました📝

◉前回のお話しはこちら⇩


◉これまでのお話しはこちら⇩



今回の記事を書くために、私は、約6年前に書いた「裁判官宛の文書」を久しぶりに読み直してみて、A4サイズで5枚も書いていることに自分自身が驚いた😲

そして…これを書いた時には、何者かが自分に乗り移って書かせたのではないだろうか?と思うような内容になっていたことにも更に驚いた。

書いた時の記憶は、もうすっかり消えていて、
こんなこと書いたっけ?って感じなんだが…。

でも、ゆっくりと読み直しているうちに、目頭が熱くなってきて大泣きしてしまった私。

ちょっと恥ずかしいのだが…

自分に対して「あなた、ちゃんとがんばってたんだね。亡くなった父や母にも、ちゃんと顔向けできるじゃない」と言いながら、泣いている自分の頭を撫でてあげた。

自分のハートをなでなで。


これまで、色んな面で自分を責めてきた私は、

この時、初めて心から自分を労うねぎらうことができたのかもしれない。



では、まず、最初に、裁判官への書面を書くに
至った理由を説明しよう。


「損害賠償訴訟」の訴状を裁判所へ提出した後、裁判所が訴状を受理⇨審理⇨被告へ訴状を送付⇨そして、裁判がスタートする。

今回は提訴した◉私が原告 
       ◉兄が被告となる。

その後、何度も「口頭弁論期日」というものが設けられ、2ヶ月〜3ヶ月に1度くらいのペースで裁判所へ出向き、裁判官の前で、原告・
被告がそれぞれの主張をすることになるのだ。

期日から期日の間は、証拠集めや答弁書、
準備書面など、後は、必要であれば陳述書の
作成などを行なうことになる。
(途中で尋問じんもんが行われる場合もある)


そして、裁判が終わるまで、この口頭弁論期日を何度も何度も行うのだ。 

だから、裁判はものすごく時間がかかる。

そして、幾度なく繰り返してきた期日が、
終わりを迎える様相になってきた時、

裁判官から和解案が出された。

私は、和解はしないと決めていて、その理由も予めあらかじめ陳述書で裁判官に伝えていた。

その時の陳述書はこちら⇩


それなのに、裁判所から出された「和解案」


その和解案を受けた私の弁護士軍団は、これまでの態度を変え、私を

「和解」に向けて説得し始めたのだ。


私は、どうしても納得いかなかった。

だから、裁判官と直接話したいと訴えたが、

期日以外の日は、裁判官と話すことが出来ないとのこと。

そこで、自分で文書を作成して、事務官へ
ファックスしたいと申し出て番号を聞き、
裁判所へ直接送信した。

すると、内容を読んだ弁護士軍団も裁判官も

慌てる💦 慌てる💦


慌てふためいて、

文書を読んだ裁判官に至っては、
すぐに弁護士へ連絡してきたらしい。


 だって、裁判官には誰もが

「へいこら、へいこら」

してるから。


弁護士軍団だって、裁判官には何も言えなかったので、

私が直接、裁判官に

物申してしまったことに

面食らったようだ。


普段、苦言を言われていない裁判官は
さぞかしビックリしたのだろう。


とにかく、長〜い長〜い文章ですが、

裁判官にここまで言うか⁉️

という内容を、原文そのままここに貼り付けたので興味のある方は読んでみてくださいね!
        ⬇︎
特に後半が魂の叫び🔥になってます。




平成29年(ワ)第30594号 
原告 〇井〇恵 被告 白〇貴〇

           裁判官へ向けての陳述書

平成30年8月21日              
東京都江戸川区○小岩○丁目○○番○○号

                       ○井○恵   印

●この書面を書くことに至った経緯

先週、私の代理人である○○弁護士から現時点での裁判官の心証を伺いました。

先日尋問が終わった後、裁判官から和解の話をして頂きましたが、その時点で私は和解をするつもりはありませんでした。


しかし、裁判官から「判決を下すより、被告に謝罪文を書いてもらった方が、被告の反省の意思を確認できるし、その謝罪文を開示して、私の名誉を回復することが出来るように、敢えて口外禁止条項は付けない。」といった提案をして頂き、私は、裁判官の言葉を前向きに捉え、和解の方向へ気持ちを進めていました。

本訴訟を提起してからこれまで、幾度となく裁判官にお会いし審理を進めて頂き、

また、私の代理人である弁護士の先生方にも、これまで私の意思を尊重して頂き、手を携えて誠実に懸命にここまで共に歩んで頂きました。

私は、この件に関わってくださった方々に対して、また大きく言えば、公の場で審議をしてもらえる場所を、国が国民に対し提供してくれていることにも感謝しています。

この感謝の気持ちを、口先だけでなく行動で示すのなら、裁判官や代理人の話に耳を傾け、両者が、私のことを考えて進めてくださっている「和解」という道を受け入れるべきだと決めていたのですが、この決断は決して容易ではありませんでした。

その上で、現時点での裁判官の心証を聞き、
私は耳を疑う思いです。

「何が起こったのか」と思うほど、これまで裁判官が私に話してくださったことと違う方向の提示がされていたからです。

その後、裁判官の心証について、私の代理人と深く話し合いましたが、「今後、陳述書を書いて提出しても、裁判官の心証が変わることはありませんよ。」と言われました。


その話を聞いても尚、陳述書を書いているのは、私の意思を伝えることが目的だからです。


たとえ、裁判官の心証が変わらなくとも伝えることはできるからです。よって、本訴訟のこれまでの審理の流れについて、裁判官へお伝えしたいことを以下に記します。


また、本当は直接自分の口からお伝えしたかったのですが、現状では無理だということですので、まずは文書に綴り、後は次回期日の際に、直接お話しさせて頂きたいと思います。


●和解案についての結論とその理由

裁判官にご提示頂きました和解の骨子案について、結論から言いますと、
同意することは出来ません。

法的には不法行為を成立させ、慰謝料の支払いを命じるための違法性を認めることが出来ないという裁判官の判断に、私は異を唱える気持ちはありません。

残念ですがこれは日本に於ける司法の限界なのだと思います。


本訴訟について、裁判官がこれまでの審理の中で「司法の限界」を分かった上で、十分検討して頂いた結果、尋問後に和解のお話をして頂いたのだと理解していましたので、その時点までは裁判官を信頼していました。

だからこそ、和解を望んでいない自分の気持ちに折り合いをつけ、前向きに和解を検討できたのです。


しかし、今になって、「被告が受諾する限りでの謝罪文言を前提としている」
「口外禁止条項を付ける」などの和解案を提示されたことで、私が裁判官を信頼し、前向きに検討したことに意味がなかったと思いました。


裁判で、違法性を認めることができないからこそ、和解という道に於いて裁判官の裁量で、
中立・公平に導いて頂けると信じていました。 


しかし、裁判官より提示して頂いた案は、被告の希望に沿った内容になっています。この点について、次回期日の際に、なぜそのような判断になったのか、はっきりと裁判官の口から聞きたいと思っています。


裁判官から見ると、私は多くの原告の中の一人だと思いますが、私から見ると裁判官はただ一人の人なのです。そのことをお忘れなきよう、丁寧に対応していただくことをお願い致します。




●裁判官への訴え

被告人に謝罪文を提出させることは、そんなに難しいことでしょうか。

建前の仰々しい言い回しではなく、シンプルな言葉で良いのです。悪いことをした時は「ごめんなさい」や「申し訳ありませんでした」「反省しています」と普通に言葉になるはずです。また、謝罪とはコソコソするものではありません。 

間違ったことをした時に、自分が間違っていたと認めて謝罪できることはとても尊いことであり、恥ずべきことではありません。

間違うことは誰にでもありますが、間違ったことが問題ではなく、間違った後の行動が大事だと思うからです。

よく、新聞や雑誌などに謝罪文が掲載されているのを目にしますが、堂々としていてとても立派な行いだと思います。このようなことができない兄だからこそ、「謝罪文の口外禁止」という隠れ蓑を利用せず、悪かったということを素直に認め、正々堂々と謝罪することが兄には何より必要だと考えています。

なぜ兄が開示することを拒むのか、その理由を知りたいです。兄自身、悪いことをしたという認識があるからこそ、開示されることを必死に拒んでいるように思えます。

また、和解金についても、既に提出済みの陳述書にも記載しておりますが、和解金が自分の手元に入ることが望みではありません。

私は父が亡くなってから、兄に対して三つの訴訟及び遺産分割調停と現時点で一つの刑事告発(準備中)を行うにあたり、○千万円以上のお金をこの訴訟関係に使いました。

そして、現在、○千万円以上の相続税が未払いとなっていて、金銭的にとても苦しい状況です。それでも私は、和解金は寄付すると決めており、寄付証明書を発行しても構わないと言っています。

多くの人が、今、私が歩んでいるような茨の道を選択せず、多額の現金を受け取って楽に生活する道を選ぶと思います。


私にも楽な道が提示され、鼻の頭に人参をぶら下げられたことも幾度となくあります。
ですが、私は自分が困ること以上に、兄に改心してもらいたいという気持ちが強くあり、自ら茨の道を歩くことを選びました。 

本件についても、訴訟を提起して私に得になることなどなく、逆に大金を使うことになりました。しかし、父の残してくれた遺産は家族をよくするために使い切ってしまってもいい、兄が改心することが亡き父・母も何より喜んでくれるだろう、と思い、今日までその信念が揺るがないよう日々努めてきました。

損得勘定や自分の利益を考えていたら、この訴訟はやりきれなかったと思います。この信念を胸に行動してきた私が、兄に和解金を求めている意味をもう一度良く考えて頂きたいと願います。


そして、本件の審理を進めるにあたって、これまで被告の対応(提出期限を守らない、質問の答えが得られないなど)は、きちんと対応している私から見れば、どうして裁判官は注意しないのだろうといつも疑問に思ってきました。

仮にこれが学校での出来事だとしても、ルールに反することをすれば注意されますし、罰が与えられると思います。それをせず見逃してしまうことは、他の真面目に行動している人に対してとても不平等だと思いました。真面目に行動していることがバカバカしいとさえ思ってしまいます。

これでは、「正直者がバカをみる」の世の中になってしまいます。この点においては、これまで我慢してきましたが、ずっと不満でした。これから裁判で関わる方の為にも改善頂き、本当の意味での平等というものを実現させて欲しいと願います。



●最後に

これから、和解に向けての話し合いをする中で、裁判官から提示された和解案に同意することは出来ませんので、和解不成立の場合には、判決を下して頂くことになると思います。

現在、裁判官の心証としてお聞きしている内容ですと、不法行為が成立せず、原告である私が敗訴することになっていますが、それでも構いません。

これが、日本の司法の限界だということの証明になり、今後はその判決を黙示録とします。

法に触れなければ、悪いことをしても注意されることもなく、悪くなかったということを相手に示し、そのようなことが許される世の中の行き着く未来は絶望的だという予言書ともなるでしょう。

でも、その判決で、私は、傷つくことも悲しむこともありません。

私が、兄を家族として愛し、改心を願い、どんなに辛くても逃げ出さず判決に向かって歩んできた想いに一寸の嘘もなく、判決で出される結果より、自分の行動に価値があると思っているからです。


ただ、兄が改心するというチャンスを与えてもらえないとしたら、それだけが本当に残念でなりません。この世に生きて生活している人間で注意されなくていい人間なんて一人もいないと思います。



皆が、間違いや失敗を繰り返しながら、その度に許し合い、励まし合い、助けあいながら成長していくのだと思います。今の兄には、注意して反省を促してくれる人が必要です。



兄は、私の声に耳を傾けてくれないので、裁判官から「悪いことは悪い。きちんと謝りなさい。」と導いて欲しかったです。  


叱られたり、怒られたりすることのない人は不幸です。また、叱ったり怒ったりすることは、決して相手が憎くて言うのではなく厳しい愛だと思います。 



人を褒め、人に優しくすることの方が簡単で、
表面的には人から好かれますし楽です。
しかし、心から相手に良くなって欲しいと願うのなら、嫌われたとしても苦言を呈することができると思います。

私は、法律を勉強したことがあるのですが、刑法を勉強している時に、テキストの合間のページに設けられていた息抜きコーナーの記事に目が止まりました。

そこに、「刑法は産婆法とも言われていて、罪を犯した人に罰を与え改心を促し、人を生まれ変わらせる為の法なのです。」と書かれているのを読み、とても感銘を受けました。

でも、私は、実際にこのようなことに感銘し、深く理解し、志を持って法曹の仕事に携わっている人がどれくらいいるのだろうかと思うようになりました。

もしかしたらいないのかもしれないとさえ思います。

兄に、法律上の罰を与えることで、そのことが産婆法となり、兄を生まれ変わらせることに向けての第一歩となると考えています。

今後、裁判官が兄に有利な和解案を崩すことなく、最終的に私が敗訴する判決を出されたとしても、私はその判決が全てだとは思いません。

兄を想い懸命に働きかけたことへ対しての一つの結果として受け止めるだけです。

そして、今後の私の生き方に影響を及ぼすこともなく、これからも、悪いことは悪いときちんと言い続けます。

尋問の後、私の代理人である○○弁護士から、私が尋問されている時の話を聞きました。

傍聴していた数名の人が泣いていたので驚いたそうです。やはり、真実の言葉は人の旋律に触れるのだと思いました。

裁判官が感情に流されないことは承知しています。しかし、人の感情を冷静な目で見て感じることも必要なのではないでしょうか。

感情に流されることと、冷静な目で他者の感情を見て理解することは似ているようで全く違うと思います。


また私は、過去に囚われて時間を過ごすより、これから兄にどうやって改心してもらおう、というこの先の未来について考えることに時間を使っています。

父と会わせてもらえないまま父が亡くなったという、辛く苦しい過去の出来事でさえ、自分の中にある悲しみを、過去の傷として振り返るのではなく、兄を改心させることが父へのはなむけになると、未来の希望に目を向けて兄との訴訟を建設的な行為として進めています。


法に触れなければ、悪いことをやっても罰することが出来ないという現状を救えるのは、
裁判官の裁量にかかっているのです。

1%でも可能性があるのなら、私は最後の時まで裁判官へ訴え続けます。

どうか、
兄に改心するチャンスを与えてください。

私の願いはただそれだけです。

以上。


本当はこの内容を、実際に顔を見ながら自分の口で伝えたかったけど…

できない規則になっていることが
もどかしかった。

しかも、
裁判官にはあまり伝わらなかったという…😂

でも、

よくここまで裁判官に
たてついたもんだ!と改めて思う(๑˃̵ᴗ˂̵)私です。

やったー!なないろ🌈


この続きは、次回の記事にて✍️

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