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母の死から8年。自殺者の家族として、今の私が伝えたいこと。

写真は、ハワイ島 キラウェア火山からマウナロアを臨む夕焼け:本人撮影。

2013年7月23日の朝、スキルス性の胃癌で闘病中だった母は、病気を苦に自ら命を絶ってしまった。その母が亡くなってなってから約8年が
経とうとしている今、感じていることや、
思うこと。多くの人が様々な理由で自殺と
いう道を選んでしまう現代、同じ経験を
して絶望の中にいる人に贈りたいメッセージ。◆

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闘病中の母の元へ、また看病に行こうと思っていた頃、突然父から「母が亡くなった」と電話があった。そして、亡くなった理由は病気ではなく自殺だった。母は余命宣告をされていたが、また会えると信じていたから


その知らせを聞いた時に本当に まさか!!!

自分の家族が自殺? 母が自殺? もう会えないんだ、信じられない…って気持ちでいっぱいになり、悲鳴に近い泣き声をあげた私。その後、東京から熊本の実家へ帰る準備をしたのだけど、どうやって準備したかも覚えてないない。


だって、自殺。ありえない。自分の家族が自殺という形で命を絶つなんて。大切な人が亡くなるだけでも言葉にならないくらいショックなのに、それが自殺ってことになると、そこに様々な想いが加わって、今まで経験したことのない感情と戦うことになった。まさか、こんなことが自分の身に起きるとは思っていなかった。


「人生、いつ何があるか分からない」
って言葉は良く聞いてたけど、その言葉も人ごとのように捉えてたんだと、今になると良くわかる。

私は、自分の家族が自殺したことを、恥ずかしいと感じ、人に知られたくない、こんなこと嘘であって欲しいと強く思った。と同時に、母の死を悲しみながらも、自殺者の家族になってしまった、なんで私が?という、悲しみとは別な思いにも囚われていた。

つまり私は、自殺者の家族に偏見を持っていることに気付いてしまったのだ。


何かに対して恥だと思ったり隠したくなるのは、自分がそのことに偏見を持っているからだ。

そして、自分の身には絶対にそんな悲劇は起こらないと、勝手に思い込んでいた傲慢な自分がいることにも気付いた。トラブルや試練が起きた時って、人の本性がむき出しになるとは良く言ったもんだなぁ、って思う。今まで、他人に起きた家族の自殺を静観できたのは、自分には関係ないという驕った気持ちで見ていたからだった。人間は自分に直接関係ない事には案外寛大でいられるものだ。

母の自殺が、私の醜い部分をあぶり出してくれたと感じた。

そんな醜く嫌な自分と向き合うことは本当に苦しかったけど、母の死から8年が経った今、同じ思いに苦しんでる人達にやっと心から寄り添えるようなったように思う。今の世の中、自殺者が絶えないから自殺者の家族はたくさんいるはずだ。


だから、私のように「自分には起きるはずがない」と思い込んで、自殺者の家族に偏見を持ったりするような人が居なくなるといいな。また、偏見を持っている人が、こういう体験談を読んで思い直してくれたらいいな。


そして、誰でもいつ何が起きるから分からないのだから、壮絶な体験をした人達を温かな気持ちで見守っていく、そんな世界になるように、自分の学びと反省をこめて切に願っている。


最後に言えることは、色んな想いと向き合った今の私は、母の自殺や自殺者の家族ということを恥じていない。私と同じ体験をした人達にも、堂々と生きて欲しいと願っている。

どんな体験にも意味はある!!!

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