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【コラム】無敵の人問題

先鋭化する無敵の人

先日、安倍元総理が銃撃され亡くなりました。犯人は山上徹也という1人の男性でした。

動機は政治的なものではなく、自分の人生をめちゃくちゃにした宗教と関わりが強いからという個人的な怨恨に近いものでした。

彼は仕事も辞めてしまい、社会的な繋がりもとても弱い状況となり、最後は所持金がなくなるので死ぬ前に安倍さんへの凶行を決行したと供述しています。

ここ最近こういった自分のその後を考えることができなくなり、最後に自分の中にある溜まりきった鬱憤を吐き出すかのように大きな犯罪を犯す、いわゆる「無敵の人」による事件がより先鋭化していっています。

この中で特に以下の3つと安倍元総理殺害事件は共通性を感じてます。

2008年  秋葉原無差別殺傷事件
2021年  小田急殺傷事件
2022年  京王ジョーカー事件

これらの事件の犯人たちは元々は仕事をしていたが、仕事を辞めたことを機に凶行に及んでいるということ。

もちろんそれが動機のすべてではないが、社会的な繋がりを失うことが最後の一押しとなって、犯行に及んだという点に注目しています。

処罰や厳罰化の効果がない

無敵の人たちには犯罪行為を行うことでの制裁が必ずしもデメリットとして作用しません。仕事もなく、生活を共にする家族もいない。支えてくれる家族、と同時に守らなければならない家族がいれば、挫折を味わったとしてももう一度やり直す気持ちも取り戻せるかもしれない。

そんなものがない無敵の人たちは仕事を失い、経済的にも心理的な面でも生きていく糧を失う。

繋がりのない社会に対して自分が行う行為でどれだけの影響を与えてもいい。むしろ繋がりを失うことはイコール社会が自分を存在しないものとして黙殺することにも感じられます。そんな、社会に対して自分という存在を認識させるべくより大きな影響を与える事件を起こそうとしてしまう。

自分にかかる処罰もすでに仕事を失い生きていく術を失ったため死んだ同然なためにペナルティとも感じられない。

こういった人たちにはいくら厳罰化をしても効果はないですよね。

個人的には今後、この無敵の人たちが増えていくかもしれないと危惧している部分があります。

貧富の差は現代社会の必然

社会は今、劇的に変化していて、そのスピードはより加速しています。

貧富の差が広がっていると言われるがそれは科学技術や社会が高度化していった結果なんですよね。

かつては人間の能力差がそこまで可視化されませんでした。優秀な人が作り出したものが多くの人の生活を大きく変えてしまう。そんなことって昔はなかなか難しかった。

例えば、iPhoneを作ったスティーブ・ジョブズが仮に西部開拓時代に生まれていたら、果たしてここまで世界に影響を与えられたでしょうか。今は優れた素材や機械技術が発展し、それを流通させる仕組みがあり、何より高度なプログラムを稼働させることのできるIT技術があります。さらにそれを認知させる広告や情報の発信が可能な時代です。

しかし、西部開拓時代にはそういった環境要素がなく、爆発的に影響を与えることは難しかった。影響を与える範囲が小さければそれに伴って得られるリターンの規模も限界が出てきます。

西部開拓時代のスティーブ・ジョブズも何か革命的な発明をしたかもしれませんが、その発明のインパクトの大きさや影響を与える範囲は今の時代と比べるとどうしても小さなものになってしまうでしょう。

天才、もう少し言えば優秀な人が優秀な分だけ与えられる影響が小さかったことで、結果的に富の分配がある程度機能していたと考えます。

能力的な差があったとしてもアウトプットの差がそこまでつかない。だから、労働者たちはある程度平等に仕事にもつけ、報酬ももらえていた。

もちろん細かく見ていけばどんな時代にも貧富の差はありましたが、それが今の時代の差と比べたら小さな幅だったのではないかと。

これから起きること

これが進んでいくとするとどうなるだろう。

単純労働は技術と社会の進歩に伴いどんどん消えていきます。

1960年代頃には電話交換手という仕事がありましたが、今は電話の発展でなくなっています。

今でもセルフレジが普及し始めて、レジ打ちの仕事はなくなり始めています。ここ数年で完全になくなるということは無さそうですが、確実にかつてより人数は要らなくなりますよね。

例えば、スーパーのレジ打ちのバイトを考えた時、時給900円で朝10時から夜の23時まで働いてもらうとしたら、1日の人件費は11700円。年間にして約427万円。

フルセレフレジを購入すると200〜300万円くらいだそうです。これなら、1年以内に1人の人間の人件費をペイできちゃうし、購入なら翌年度も使える訳ですからね。

こういう風にして今ある仕事が徐々になくなっていきます。なくなっていく仕事はやはり、機械に置き換え可能な単純労働から順にでしょう。

これがどんどん進んでいくと僕らのような一般ピープルがやれる仕事が徐々に侵蝕されていきます。

簡単な仕事は機械に置き換えられ、人は機械ができないような高度な仕事や人間とのコミュニケーションを含めた感情に訴えるファジーな仕事をやっていかなくてならなくなる。

そんな時、あの無敵の人たちって仕事につけるだろうか。高度な仕事ができるなら、仕事を失うことがそもそもないだろうし、人とのコミュニケーションがうまく取れるなら、社会的な孤立もしなかったでしょう。

単純にこのまま技術の進歩、経済優先での社会、自己責任論で進んでいけば、この無敵の人と同じ境遇に陥る人が増えていくんではないか。

だから、一部ではベーシックインカムの議論が始まっているのかもしれない。

変化のスピードが加速

もう一つ、重要なのはこう言った社会構造の変化のスピードが速くなっていて、かつては大きな社会的変化は世代交代を伴って進んでいったものが、1人の人間の人生の中で起きるようになってきたってこと。

1890年に東京・横浜で電話サービスが開始。1913年頃で日本での電話加入者は20万件ほどだったそうです。

携帯電話の日本における歴史は1985年にショルダーフォンが発売されたのがスタート。

実際に一般の人が携帯電話を持つようになったのは1990年代に入ってからあたりでしょうか。

そして、2008年にソフトバンクがiPhoneを発売し、この頃からスマートフォン時代に突入します。


日本国内で見ると、電話というサービスが開始して95年後に携帯電話が現れる。

携帯電話が現れて28年後にスマホが現れる。

この間にこの電話という技術がもたらした社会変化はとても大きなものだったでしょうが。電話から携帯へ、携帯からスマホへとステップアップの時間が短縮しています。

電話が生まれた1880年頃から1960年代頃まで交換手という仕事がありましただいたい、80年くらいは存在していたので、交換手という仕事は世代交代と共になくなっていくような時代スパンでした。

しかし、携帯電話が普及しだして、その間PHSやPDCなどの変化も挟みながら28年で電話だけでなく持ち運びできるパソコンのようなスマホに移行しています。

仮に手に職をつけるような考えでガラケー時代固有のスキルに特化してしまうと、労働年代を消化しきれないことになります。

無敵の人は増えていくのか

どんな仕事も一人前になるには習得時間も努力も必要となりますが、そのスイッチがどんどん早く高度になっていく中で、全ての人が時代にアジャストして仕事に就き続けていくのはかつてよりもさらに難易度が高くなっていくのではないかと思います。

その難易度の高い社会にアジャストできなくなる無敵の人たちが増えていけば、近年起こるような悲劇も増えていってしまうのではないか。

そういう危惧を持っています。

ひとまず、仕事に就けない人にはきちんと生活保護が貰える仕組みを整えること。

次に社会的な孤立を支援する仕組み作りが必要かなと思います。

そんなのずっと前から言われてることだよ!と突っ込まれそうですが、これを実現するのもとてつもなく難しいことなんでしょうね。






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